クンター吉田@チェンマイ在住物書き
チェンマイ郊外山奥の村を離れて、1年と1ヶ月。必死なサバイバル戦略が功を奏して、ようやく自分らしい自由な時間が楽しめるようになってきた。各種メディアへの執筆、友人たちとの交流、そして気ままなバイクツーリング。年齢からすると、人生の残り時間は少ない。僕の前にはいま、私淑する開高健御大の教えである「悠々として急ぐ」べき道が一直線に続いている。
“人生は旅だ”なんていう心くすぐられる言葉があるけれど。そう言われてみれば僕の旅は、妻を亡くした瞬間から今もずっと続いているような気がする。その10数年の間に、僕はまるで物語のような流転と漂泊に身を委ね、時々ふと立ち止まっては、それらの記憶と余韻を自分だけのための物語として紡いできた。ここは、その物語たちが時のように静かに降り積もってゆく小さな本箱のようなものなのかも知れない。
村の衆は私のことを「クンター(タイ語で爺様)」と呼んだ・・・。極度の不眠と鬱から一転して異様な躁状態へ。愛妻の最期を看取ったあと狂ったように日本を飛び出した私は、無軌道な旅の果てに北タイの山奥にあるカレン族集落に迷い込んだ。異文化の衝突と相互理解の狭間の中で、大海に浮かんだ小舟の様に翻弄され続けた11年間の驚きに満ちた、だがユーモラスな記録。「第一回開高健ノンフィクション大賞」最終候補作家が、チェンマイ発の情報紙『CHAO(ちゃ〜お)』に連載した実体験にもとづく迫真のコラム集、順次公開します。
タイに温泉があると言えば、信じられないという顔をする人の方が多い。けれど、チェンマイを中心とする北部タイ各地には、硫黄臭がなく、柔らかい湯質を誇る非火山性温泉が数多く点在している。どうせバイクで走るのなら、日本人の心の古里である温泉を目指そう。そんな“湯の華”みたいなほんわか&ふわふわしたいい加減な動機から、僕の「チェンマイ&北タイ“湯の華探訪”バイクツーリング」は始まった。
冒頭写真は、コロナ禍による営業休止令が解除されたあとに無料開放を行っている「メーサー・エレファントキャンプ(チェンマイ近郊)」で撮影したものだ。 動画でないと分かりにくいが、この象は首を左右に激しく、かつ執拗に振り続けている。 これは動物学の世界では「Weaving(機織り行動)」と呼ばれ、野生の象には決して見られない異常行動なのだそうだ。 つまり、動物園やサーカスなどで飼われている象たち特有の動きなのだという。 そういえば、私がささやかながら応援してきた
夕方のウオーキングに出たら、総菜屋向かいの空きスペースに人だかりがしている。 垣間見えるのは、縦長の食料&食器入れみたいなものだ。 冷蔵庫の普及していない時代、タイでは作り置きや食べ残しの食料をこの通気性のある棚に入れて保存していた。 いや、冷蔵庫の普及した今でも、学校帰りで腹を空かせた子供たちが、この棚からおやつなどを取り出して食べる光景はよく見かける。 むろん、私たちが子供だった昭和30年代にも各家庭にあった。 日本語で「猫いらず(これは殺鼠剤か)」
チェンマイの自然に詳しい友人が教えてくれたとっておきの場所。 しかし、彼女には「絶対に誰にも教えてはいけない」と釘を刺されている。 「だって、この場所は私にとってはもちろん、近くに住んでいる人たちにとっても宝物のような隠れ場なのだから」 だから僕はひとり、落ち葉の積もった大地に寝転んで、もうずいぶんと長い時間、木々の隙間から漏れ覗く小さな空の移り変わりだけを黙って眺め続けている。
非常事態宣言の一ヶ月延長が決まった5月3日から、市場やエアコンのない開放的食堂、理髪店など一部商業施設での営業が再開されたチェンマイだが、3月半ばから続く閉鎖命令で失職した人々などが、未だに寺院などでの無料弁当給付に長蛇の列をなしている。 そして、各報道でも知られるように、北タイの観光の目玉となっているエレファントキャンプも閉鎖が続き、象使いなどスタッフの失業や象の餌代不足が深刻化しているという。 特に、市街地に近いキャンプでは象の供給元である山奥の村に象たちを大移
<タイのプラユット首相は5月1日付官報を通じて、非常事態宣言下における規制緩和の対象を発表。5月3日から食堂やコンビニアなどでのアルコール飲料販売も許可されることになった。ただし、店内での飲酒は認められない> 明け方にこの報道に接して、思わずのけ反った。 すでに発表されている1ヶ月延長措置から、わずか1日でのどんでん返しである。 * ドタバタ劇の始まりは、 「新コロナ感染症状況管理センター」が酒類販売全面禁止令の延長に備えて「5月1〜2日の2日間
二十才 僕は五月に誕生した 僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる いまこそ時 僕は僕の季節の入口で はにかみながら鳥たちへ 手をあげてみる 二十才 僕は五月に誕生した (寺山修司著『われに五月を』「五月の詩・序詞」一部抜粋) * 「職業は寺山修司」 衒いでも何でもなく、そうとしか答えようがなかっただろう多才の人が、瀕死の重病から生還した22歳のときに刊行された処女作である。 彼は私と同じ5月に生まれ、そして47歳で5月に逝った。
タイ政府は4月28日、4月一杯の予定で発令した非常事態宣言を5月末まで延長すると発表した。 現時点での一番分かり易い報道は、「バンコク週報」のウェブサイトだと思う。 特に、ここで説明されている「感染拡大の危険度を色別にランク分けして閉鎖商業施設の段階的営業緩和を図ってゆく」という手法は、なかなかに秀逸だ。 おそらく、映画やドラマで知られるようになった災害救急医療時の「カラータグ付け」がヒントになったのだろうが、今後の経済活動再開に向けた方針が実に分かり易い。
税金466億円も投入したアベノマスクに、髪の毛や虫が混入していたとか。 「白マスクのみ着用」を義務づける頑迷な学校や会社があって、生徒や保護者や社員を悩ませているとか。 祖国の迷走ぶりに、目を覆いたくなる毎日。 * 限られた情報しか得られないチェンマイ近郊田舎町に暮らしていても。 すでに残り少なくなった脳細胞が、さらに猛スピードで死滅している元青年であっても。 それらを冷静に選別&分析すれば、「いま、何をなすべきか」は自ずと判断できるというのに
私のまったく知らない「杏」という女優だか歌手だかをやっているらしい若い女性が、加川良の『教訓Ⅰ』を弾き語りして、家ごもりする日本人の間で話題になっているという。 遅ればせながらYouTubeにアクセスしてみると、外出自粛中の自宅らしい本棚の前、子供が夢中に遊んでいる脇での静かなまっすぐな弾き語りで好感が持てた。 だが、私が20歳のときに受けた衝撃とは比べようもない。 などと思っていると、その動画が終わった瞬間に、本物の加川良のステージ姿に切り替わったから驚いた。
誰にも会わない。 どこにも寄らない。 車一台見かけない。 人っ子ひとり歩いていない。 空と山と樹と鳥影と。 夢見ているような田舎道をひた走って。 気がつけば、ふと迷い込む水辺のオアシス。 ただいま。 ここが、私の、本当の栖(すみか)です。 Stay at Home.
4月13日のソンクラーン(タイ正月)初日。 ある旅サイト向け原稿の取材でチェンマイ市街地をバイクで走ってみた。 旧市街を囲むお堀の周囲もターペー門も驚くほどに閑散、有名寺院も閉鎖、有名カオソーイ店や珈琲店も持ち帰りのみの営業・・・という沈みがちな正月風景の中で、チャーンプアック門外左手にあるワット・ロークモーリーだけに人だかりがしている。 距離を取って様子を窺うと、経済的打撃を受けている人たちのための昼食配布らしい。 慈悲心と思いやりに富んだチェンマイ人たち
タイ語で、新年おめでとうございます! なんとか無事に、ソンクラーン(伝統正月)初日の明け方を迎えることができました。 懸念していた「終日外出禁止令」も出ることなく、タイの人たちもホッとしていることでしょう。 これまでに何度も書いて来たように、タイの今後はこのソンクラーン3日間の過ごし方にかかってきます。 どうか、不幸な「正月感染爆発」が起きませんように。 そうして、一日も早くみんなが本来の明るい笑顔を取り戻せますように!
先日の記事でも書いたように、4月13〜15日はソンクラーン(タイ伝統正月)に当たる。 しかし、タイ人の間では実質的に週末の今日からソンクラーンモードに入り、例年ならば全国的な帰省ラッシュが始まるところだ。 むろん、タイ政府はすでにコロナ感染拡大防止策の一環として期限未定のままに延期を決定している。 そして、文化省は以下のようなガイドラインを4月初めに発表した(日本語訳はタイ日本人会イベント情報サイトより転載加筆)。 * 【タイ王国2020年ソン
タイの伝統正月で「水掛け祭り」として観光の目玉にもなっているソンクラーンが、ついに一週間後に迫って来た。 むろんタイ政府はすでに、人が密集乱舞するこの行事を期間未定のまま延期することを決めている。 しかし、それは仏像への水掛けパレードなど各種公式行事や無礼講の水掛け合戦などの抑制にはつながるのだろうが、本来の意味合いが持つ静かなる「正月行事」は抑えようがないのではあるまいか。 とりわけ、各家庭で行われるダムフア(親をメインとする年長者への表敬・相手の手を聖水で浄
〈その① 遺された者こそ喰らえ!〉 「え、オムコイ? “何がなんでも婿に来いっ!”みたいな凄い迫力の地名ですね、うふ」 かつて、チェンマイで見知った女子大生は無邪気にそう微笑んだものだが、実際にオムコイで「お婿入り」した私のガラス細工のようなハートには、無数のひび割れがピキピキと音を立てて広がったものだ。 (タイ文字表記によると「オムコーイ」となるが、当地での発音がすっかり耳に馴染んだ私は長年こう表記している。悪しからず) チェンマイ市街から南西方面に進むこと約18
★雑貨屋の店先に手洗い場ができた 毎朝、ウオーキングの戻りに立ち寄ってジュースを立ち飲みする店は、子供のいない40代の仲良し夫婦がやっている本当に小さな雑貨屋だ。 それでもコロナ防疫への意識は高く、2ヶ月ほど前から紙幣や硬貨を指先でつまむようになり、勘定のあとにはすぐさま手指を消毒するようになった。 そして、いつの間に水道工事を行ったのか、数日前からは店先に手洗い場を作り、手作りの看板で客に手洗いを促すようになった。 店前にバリアを張るように置かれたテーブルの上に