【カレンの村を去って1年が過ぎた】
ちょうど1年前の今日。僕は山奥の村を離れて、チェンマイ郊外の田舎町に移り住んだ。
ほぼ11年間共に暮らしたカレン族の妻と別れのハグを交わし。着替えを詰めた小さなデイバッグとパソコンバッグだけを手にバイクにまたがったあの朝のことを思い出すと、すべてが淡々としていたことに逆に驚いてしまう。
妻の名誉のために書くことはできない前夜の出来事が直接的なきっかけになったとはいえ、おそらく僕はずっと以前から、いつかその日が来ることを予期していたような気がする。
ジャイローン・マーク(タイ語で気性が激しくせっかち)な妻も、僕がついに我慢の限界点を超えたことを悟ったように静かだった。
そうして、僕は心優しき釣り人が川に戻してくれた魚のように、一瞬だけ軽いめまいと戸惑いを感じただけで、自然な時の流れに乗ってチェンマイでの暮らしに溶け込んでいった。
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極度の不眠症があった。
突然の視力減退に見舞われた。
原因不明の座骨神経痛と両足の浮腫に苦しんだ。
それらと格闘しながら、僕はチェンマイで発行されている情報紙『CHAO(ちゃ〜お)』の特集記事をほぼ毎月のように書き、憑かれたように4冊の電子書籍を出版し、タイの車とバイクの運転免許証を取り、中古のスクーターを買って行動半径を広げていった。
山奥に住んでいたときには成し得なかった映画上映会などの活動にも取り組み、その過程で人とのつながりを深め、かつ広げていった。
そして今は、1年前には考えもしなかったタイ語のおさらいに熱中し、新しいメディアへの執筆にも挑んでいる。
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いま、妻を亡くしたあとの「生き直し」を賭けた山奥での11年間を振り返ることは、まったくない。
考えているのは、今日と明日のことだけだ。
少し疲れたら、バイクを飛ばして近郊の温泉に浸かりにゆく。
郊外の山には、自然のままに暮らす仔象ラッキーや新しく友達になった野生の仔猿もいる。
たまには、妙齢の美女とも触れ合わねばなるまい。
そうして、さほど遠くない日にタイランドの空と土に戻ってゆく。
わずかな心残りといえば、山奥の村のあの雑木林の焼き場から抜けるような青空に向けて昇ることができなくなったこと、だけである。
(2019年11月1日記)