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略称・地名を批評する?(リャクリ!):学園探求ものろーぐ(#5)

前回の記事で詳述した通り、僕は今年の9月に同人誌「ガクリ」を頒布したのだが、今回は文学フリマ出展の経緯から離れて「ガクリ」というタイトルについて語りたい。

ガクリとは「ガクエン・クリティーク」の略称である。
ガクエン・クリティークとは広義のキャンパス、あるいは学校(学園)について批評・評論するための実践のことである。評論・批評そのものではなく、それが出来ると信じて、あるいはそれがいずれ世に益するものとするための実践こそがガクエン・クリティークなのだ。

ガクリ祭刊号所収「そもそも「ガクリ」ってなんなんですか?」(山直朝史)

この説明に偽りはない。「ガクリ」のWikipedia記事があるなら冒頭にこの文が引用されてもおしくはない。
世の中にはアニメクリティーク刊行会による「アニクリ」なんて同人誌シリーズもあるのだから、僕がそれに影響されたと見做すのも容易だろう。もちろん僕がアニクリを2024年9月22日時点では購入していなかったことをもってそれを否定することだって出来る。

ただし、この説明には"漏れ"がある。ガクリがガクエン・クリティークの略称なのはいいとして、「何故ガクエン・クリティークをガクリなどと略そうと思ったのか?(ガクリティークやエンクリなどの案もあったはずだ)」だとか「そもそもガクリという略称ありきでガクエン・クリティークを後付けしたのではないか?」など疑問が浮かぶはずで、そういう疑問のない人間はクリティーク(批評)には向いていないのかもしれない。
(現代では向いていない方がやりやすい場面も過去に比べれば多いのだろうが)

実態は後者に近く、クリティークという言葉を同人誌(これを思いついた2023年11月頃にはもう同人誌を書くと決めていた)のタイトルに差し込みたいと思い、かつ「ガクリ」とくる落胆感で〈学園〉を脳天気に、もしくはシニカルに持ち上げる言説ではないことを表現しようとしたため、というのがガクリに決めた理由である。

最初の頃は北海学園大学にあるG'caféだのG'staffだのG'panだのに合わせてG'a-criあたりを正式な表記にしようかと考えていたが、それじゃaがどこから来たかよーわからんので、無難にカタカナ表記とした。

ところで、略称というのはそれ自体が批評的というか、例えばnazisとNSDAPの差異のように、時には政治的な問題すら孕んでいるような側面がある。

そのことを忘れてしまうとどこか物足りない略称(的なもの)の解説となってしまう。

札幌市白石区に菊水という地名があるのだが、その由来は白石区公式HPによれば「この名の由来は、明治のはじめに上白石村(今の菊水元町)に家を建てて農園を開いた菊亭侯爵の「菊」の一字に豊平川の「水」を加えてつくられたものです。」ということになっているが、どう考えてもこれは「菊水」という結論ありきの"由来"だろう。もはやこじつけの域に達している。
菊水と同じ札幌市の南区の藻岩山麓に川沿という地名があるが、ここも豊平川沿いだからって「水藻」と名付けたりはしないだろう。

昭和30年頃の札幌は「昭和の大合併」によって市域を大幅に拡大したが、その時期に烈々布(旧札幌村)が栄町に改称されるなど、昭和10年代に戻ったかのように"日本語っぽい"漢字2文字の地名に改称する流れがあったようで、この流れと「菊水」改称を結びつけることなど(ひろ〜い意味での批評)が大切なはずだ。
(フツーに関係ない可能性もあるんだけど)

区の公式HPにこういう憶測のようなことを書けないのは仕方ないとして、郷土史好きを自認するような人が「菊水ってのは菊亭サンが豊平川の近くに居を構えたのが由来なんだよな〜」など素朴に信じていそうなのにはちょっと呆れてしまう。

郷土史好きは特にこういう地名本質論者などの(無自覚な)本質主義者が多く、この手の手合いは「平成の大合併」を無闇に非難しがちだ。
そこにあるのは地名という"本質の現れ"への没入であり、その"批評性"の欠如によって、僕たちへ連なる歴史の中で地名(や略称)を変えたり変えなかったりすることの選択性・思想性が忘却されてしまうことが僕には耐え難い。

「ガクリ」とは単なる〈学園〉への批評ではなく、現代社会にはびこる本質主義者"たちへの抵抗でもある。

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