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誰かの言葉はキッカケ 自分の言葉は実現
この世界には 思い想いがある。
それは 今日 話した誰かでもあるし スマホを開いて触れた文章かもしれない。
そして それらは 意図して目を通したモノもあれば 不意に掛けられた心に響く瞬間的なモノかもしれない。
不要不必要なんて関係なく。
そもそもの話。
不要不必要で考えるから 判断をしなければいけなくなるんじゃないか?
そんなことを考えている。
先日 東京からは少し時間のかかる場所で生活をしている 仲の良い女性とも話していた。
「要らないとか要るって 考えること自体が意外と無駄じゃないんだけど 薄い時間にならない?」
「どういうこと?」
雑談の中で あたすは突然こんなことを問い掛けた。
「いやさ…とりあえず聞いてみないと分からない事だらけなわけじゃない?」
「そうだね。」
「今は必要無くても 後になって思い出す誰かからの言葉ってない?」
「それは たくさんあるし 経験重ねると思い出す時あるかも。」
「わいも 同じような感覚を覚える頻度が多くなってきたんよ。」
「年齢重ねると 触れる物事がディープになったり 考えることも複雑になるもんね。」
「そうなんだよな…で その時に 昔はどうでもいいって思ってた言葉の意味というか真意に気づいたりしない?」
「そうだね…きっと その言葉を言ってくれた人達の経験や思考に届いた証明なのかもしれないよね。」
なんて会話をした。
子供の頃は おばあちゃんやお母さんが ただ怒っていて それを煩わしいなんて感じていたけど。
年齢や経験を重ねた今。
その1言1言の重さや深さを思い知って 心から感謝していて。
会社に就職して 上司や先輩が注意してくれていたことも同じ。
プライベートや飲み屋で出会った人達が立場や関係性を感じさせない距離感で 容赦無く発してくれた 素直な言葉も同じ。
『今は必要じゃなかったとしても 未来には必要かもしれない言葉』のオンパレードなんじゃないか?
今の答えは そんなところかな。
誰かの言葉に翻弄されるんじゃなくて。
キッカケにするくらいの距離感で受け止める。
そして 過去でも今でも未来でも。
受け入れた言葉達を深く自分なら どう思うのか 感じるのか 自分に質問してみる。
心を通せば応えが返ってきて 言葉として答えを発信することが出来ると 信じている。
意味が無いことなんて 1つとしてなくて 必要だから 世の中に存在している。
意味は探すんじゃなくて 発見するもの。
感覚に根拠が伴うのが 自信の正体。
突き離すのは 簡単だよね。
受け容れるのは 最初は意識的だけれど 日常的に近付けば近付くほどに 無意識的になっていくはず。
「はいはい わかったわかった。」
なんて姿勢で聴いてたら 何も感じないまま時間が消費される。
「そうなんですね…どうなったんですか?」
っていう姿勢で聴いてたら 多くの感覚や意見を感じる貴重で濃い時間になる。
きっと 消費しているとか 失っているという感覚は 少なくても感じないんじゃないかな。
「ふゆほたると居ると 時間経つの早い!」
「楽しくて深いの2倍速だから笑」
「なにそれ笑」
「秒針を2倍で進める能力でも持ってるんでしょ笑」
耳を傾けて ついでに心も傾けたら ポジティブも倍増してしまうのかもね。