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とは言え私最高伝説

人生が動くのを感じた。動かしたのは他でもなく私。伏線は最初から伏線なわけじゃない。点と点繋げたのは私。意地と生きている。いつも過去を積み重ねた上に立っていたい。何の意味もなかったと泣きたくない。意味とか目的とか目標とか背負うほど自分の首を絞める。手放すことも覚えて、その方が何万倍も楽だと分かっても、またここへ戻ってくる。生活を心底愛しているのに、生活だけでは私は腐ってしまう。苦悩する。言葉にする。答えが出るまで繰り返す。出た答えを実行する。行動で態度で示す。思いは通じる。事は動く。動かしたのは私だ。

私が私の母にならなくちゃと必死だった。相変わらず下手くそだけど随分とやれるようになった。それでも今回は本当に苦しかった。底の底まで落っこちてるのに、さらに深いところへ蹴落とされる。真っ暗な水底で、渾身の勢いで蹴っ飛ばしてくるのは私。ようやく、本当にようやく分かったのだけど、私は全然人に頼れていなかった。もっと人に頼ってよかったんだ。どこも「甘えすぎ」じゃない。「仕事じゃないから、整理してから話そうとしなくていいんだよ」。「私、〇〇から何か相談された時に、"それは自分で考えなよ"って思ったこと一度もないし、思わないと思うよ」。そう言われて考えてみたら、私も一度もなかったし、思わないと思った。「彼だってきっと一緒だよ」。そうだね。本当にそうだね。彼や彼女は自分で選んだ家族だね。

当面の目標は、少しでも翳る兆しがあればすぐに人に話すこと。まわりに頼り、助けを求めること。二度と忘れないように常に目に入るところにメモした。また少し視界が明るくなった。度数の合わないレンズでずっと世界を見ていた気がする。少しずつ少しずつ見えるようになっていく。

生きることが苦しいのは自分が自分をちっとも愛せていないからだと気がつき、自分が自分を一番に抱きしめてあげられるよう鍛錬を重ねた。長い時間をかけてそれは習慣となり、自分をそこそこ愛せるようになると、他者から貰い受ける愛にも気がつけるようになった。真に愛してくれている人とそうでない人の区別がつくようになった。愛って努力の大きさに応じて与えられるものだと思っていた。いつも飢えていて、無理してた。耐え抜いた先でもらえるのはいつも愛じゃなかった。本当は見えていなかっただけで前からそこらじゅうにあった。愛って生活だった。評価じゃない。もう見誤ることはないんだろう。大人の私が5歳の私を大事にしてあげられていない時、そばにいる人がかわりに5歳の声を拾ってくれる。時々やはり自分を愛せなくて、死んでしまいたくなるくらい鬱屈として、自己嫌悪で雁字搦めになっている時も、ひと握りの大切な人と話をすれば容易に浮上できるって何度も学ぶ。助けてって言っていいんだよ。ピンチの時に顔が浮かぶ人は、手を差し伸べてくれる人だよ。もう忘れないね。愛し愛されて生きていること、忘れないね。

今、私は私のヒーロー!思いを行動に換えるとき、私自身を助けに向かっている感覚がある。待ってろよ、今助けてやるからな、って思う。きっとこの昂りを勇気と言う。5歳は泣くしかできないから分からなかった。抱きしめてあげるだけじゃ足りなかったんだ。今灯しに来たよ。今までの日々は君だけのもの、これからの日々も君のもの、僕が一緒に見つめていくから、君はいた方がいいよ、君はいた方がいいよ、君はいた方がいいよ、君はいた方がいいよ、君はいた方がいいよ、君はいた方がいいよ、未来は君のためにあるの、フューーーチャーー、イズ、ユーーーアーーーーズ!!!!!!!!

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