ともだち。
最近思うこと。
歳を重ねるごとに「友達」になるキッカケって変わるよね。
当たり前だけど、学生の頃まではクラスや部活が同じ〜、社会人になったら職場の人や趣味が同じ人〜etc...
いまのわたしには上記に加えて新たに「ママ友」という枠が加わった。
「ママ」になったことで出会って友達になった人ももちろんいるけど、いままで「普通の友達」だった人が「ママ友」になったパターンもある。
そしてその過程で、「あぁ、この人ってこういう一面も持ち合わせてたんだなあ」と新たな気付きが生まれたことが最近あって。
小さいことなのかもしれないけど、そのたびにちょっと悲しくなったり勝手に傷ついて卑屈になったりすることもあって。
でもたぶん同時にわたしも無意識のうちに「ママ」としての一面を見せることで、今まで「普通の友達」だった相手を不快な気持ちにさせてしまうことだってきっとこれまであっただろうし、これからも起こるんだろうなあと思った。
自ら何かしらの目的があって自分を変える時もあるけど、環境の変化等で変わらざるを得ない時もある。
たぶんそういうのがわたしだけじゃなくて、他の人にも起こってて、だから今回ふと「友達」って移り変わっていくんだなとしばらく悲しい気持ちを引きずってたんだけど、まぁ仕方ないのかとちょっと割り切れた。
一緒にいて楽しい、趣味が同じ
という理由で仲良くなった友達とは、これから身の回りでいろんな変化があっても、変わらずずっと「友達」でいたいなぁと思うし、仮に一方的になってしまったとしてもわたしは変わらず大切にしたいなぁ。
いまの若者って中高生の頃からスマホ持ってSNSで繋がってるから、その後大学に進学したり社会人になったりしても、削除しない限りはいつでも連絡できるんだよねぇ。
それが煩わしい場合ももちろんあるだろうけど、わたしは結構それが羨ましい。
時々思い出す高校の時の友達がいるんだけど。大学進学を機になかなか会えなくなって、気付けばもう10年は会ってないし、途中スマホへの切り替えのタイミングで連絡先全部消えちゃったのもあって、連絡取る術がなく。共通の友達からせめて近況でも教えてもらえたら嬉しいんだけど、それもなく(笑)
いまはどこに住んでるのかな?結婚したのかな?仕事頑張ってるのかな?とかいろんな想像してみたりして。でもそう考えると、頻繁に連絡取る人だけが「友達」ってわけじゃないよね。こうやってもう10年も会ってないのに元気かなぁって時々思い出すだけでそれはもう紛れもなく「友達」と言えると思うし。…あの人もわたしのこと時々思い出してくれてるといいなぁ(笑)
「友達」という存在は基本的には自分の心を温かくしてくれる存在なんだけど、時には比較対象となってそれ故苦しくなることもある。
今回ふとこうやって「友達」について考えたのも苦しくなったからで。
でも結局その「友達」もわたしと同じように誰かと比較してあの子のことが羨ましい!って思うこと、あるんだろうなぁ。
「隣の芝生は青く見える」っていう言葉も然り、
RADWIMPSの「夢番地」の歌詞にある
「僕が立っているここがきっと今誰かの願ってる場所で
誰かが立っている場所がきっと僕が望む場所で」っていう言葉も然り、、、
結局自分がここ最近もやもやして苦しくなってたことはぜーんぶ考えるだけ無駄無駄!なことだということに気付いたって話です。生きるとは、時間が経つとは、こういうことだ。
これからもきっといろんなキッカケで「友達」が増えるんだろうなぁ〜。まだ会ったことのない未来の友達、やっほー!