いやはや、すっかりあつ森の世界に入り込んでしまっていて、日々いろいろ考えることはあれど、「よし!note書くぞ!」という時間を作ることが出来なかった。 何を隠そう、わたしは完全にマルチタスク人間なのだが、noteはマルチタスクが出来ない。 初めの頃は音楽聴きながらnote書いてたんだけど、効率悪いことに気付いてから、note書くときはそれ以外のことはやらない!と決めた。 効率重視人間すぎて、日々謎に時間に追われまくっていて、本当の意味での「ゆとりある生活」というものからは掛け
最近わたしがハマっていること。 Nintendo Switchのリングフィットアドベンチャーとあつまれどうぶつの森。 そう。つい数週間前、我が家にNintendo Switchがやってきた! テレビゲームはわたしの視力低下の引き金となり、小学生の時点でメガネっ子にならざるを得ない状況に陥らせた諸悪の根源なのだが、まんまとまたその類の沼にハマりかけている。というかすっかりハマってしまっている。 しかし今でこそこうして毎日楽しんでいるものの、実はここに至るまでに大事件が起こった。
今からちょうど6年前くらい。 父方の祖父が亡くなった。 当時資格勉強のために定職に就いておらず、家で漠然とした焦燥感に襲われながらも思うように体が動かない自分にモヤモヤする毎日を送っていた矢先、突然その連絡があった。 同じ市内に住んではいたものの、夏休み、冬休み、年末年始くらいしか会う機会はなかった。 おじいちゃんは、とにかく厳しかった。 大晦日に親戚一同集まって過ごす時、大人チームがお酒をがぶがぶ飲みでろんでろん(文字の如く本当にみんなでろんでろんだった。でもあの量飲んだ
子どもを家族に迎え入れる選択をしたのはもちろん自分だし、保育園で数年ではあるけど働いていた中でいろんな性格の子たちをたくさん見たり関わったりしてきたから、多少のことはきっとなんとかなるし、なんとかしないといけないとずっと思っている。 思っている、、けど、どうしてもやっぱり育児に関する悩みは尽きないもので、毎日悶々としている。 今一番困っているのは、わたしがキッチンに行くと娘が大泣きすることだ。 今までも半径数メートル以内にママがいないと遊べない、安心しない、というような様子
「好きこそ物の上手なれ」 =どんなことであっても、人は好きなものに対しては熱心に努力するので、上達が早いということ ここ数日、自我の芽生えの目覚ましい娘の自己主張や後追いに日頃の疲れも相まって「もう無理ー!」と心と身体が悲鳴を上げている。 わたしって子ども好きだったはずだよな。だから子どもと関わる仕事がしたいってずっと思ってたんだよな。それなのにどうして他の誰にも代えられない我が子に対してこんなにイライラしてしまうんだろう。情けない。そんな感情に苛まれ、それが自己嫌悪へと繋
「名もなき家事」 この言葉を最近よく目にする。 もしかしたらこの言葉は最近流行ってるのか?日頃終わらせても終わらせてもゼロになることのない家事に疲れた人たちがSNSでこの言葉を見つけて「わたしがずっと悶々としていたのはこれだ!」とピンと来てここぞとばかりにその流行りに乗って言っているのか?なんなら名前の無い家事って何のことを差すの?とすら思っていた。最近までは。 たぶんそれは、自分が今まで「家事」というものをそこまで頑張っていなかったからだろう。 仕事をしていた時は外に出る時
“愛”か“お金”か。 よく結婚を考える時に誰しもが少なくとも一度は天秤にかけるであろうこのふたつ。 結論から言います。 わたしは「愛よりお金」だと思います。 愛<金。 お金があると生活にゆとりが出来、そしてそれは心に余裕が出来ることと同義だ!とわたしは思います。 しかしわたし、現実には”愛“を選んで結婚しました。 もちろん賃貸とは言えど雨風凌げる屋根のある家に住めているし、今月はもうお金が厳しいから今日の夕飯は抜きね...というようなことがあるわけではない。 しかし、やはり
主にヴィジュアル系バンド(以下V系)に通う女の子。通称バンギャ。ちなみにその男の子verはギャ男(読み方は「ぎゃお」)と呼ばれる。 かつてはわたしもバンギャだった。というか現かな。 今年に入ってこんな事態に陥ってるから行きたくても行けないだけで(というかわたしが行きたいライブは延期、中止になっているものがほとんどだけれど...)元々は子どもが生まれてからも旦那にお休みを取ってもらったり、必要に応じて青森から母親という助っ人を召喚したりしてライブには行くつもりでいたし。 何よ
最近、自分の中で子育てに関する考え方において少し変化があった。 ちなみにタイトルの通り、“掃除機”と“鬼”に纏わる話です。 あと3ヶ月程で早いもので2歳の誕生日を迎える予定の娘。誰に似たんだか驚くほど甘えん坊のくっつき虫で、すっかり第一次反抗期と呼ばれるイヤイヤ期真っ盛り。 そして同時に、今までは全く興味を示さなかったものにも心と体が疼くようになったようで、最近急にわたしが掃除機をかけていると一緒に持ちたがるようになった。 もちろん効率は悪くなるけれど、「お手伝い」という点
わたしの名前は「智子」と書いて「ともこ」。 正直、昔はあまり自分の名前が好きではなかった。 というのも、最近ではリバイバル的な感じで「子」の付く名前が古風で可愛い!と流行ってきているようだが、わたしの世代では「子」が名前に付く人は少なくて、“時代遅れ”なイメージが強いように思う。現に名前に「子」の付く同世代の友人がわたしには少ないし、単純に自分の名前がダサいとずっと思っていた。 そんな中、「名前の由来」をテーマとした授業が小学生の時にあって、自分の名前と向き合う機会が突如訪
わたしはお化粧が好きです。 アイシャドウやリップ等のコスメ用品も好きです。 はじめて化粧品に手を出したのは小学校高学年の頃かな?同じクラスの女の子がなぜか学校にビューラーを持ってきててそれを貸してもらった。 と言っても使い方もよく分からないし、何より目にこれを?!え?!怖い!!って感じだった。 その後は、わたしはどちらかというと「優等生」の部類だったので(自分で言っていくスタイル)自然と周りにいた人たちも似たような感じで、化粧に興味を持つことは特になかったし、日焼け止めです
わたしの両親はプロ野球がとても好きだ。(母は高校野球も大好きだ。毎年甲子園も大盛り上がりだから、今年の夏はさぞ寒しい思いをしていることであろう...) 中でも応援しているのが読売ジャイアンツだ。 どちらも東北生まれ東北育ちなのに、なぜ?そこは楽天じゃないの? そんな疑問を数年前に思い切って両親にぶつけてみた。 すると、面白いことに両者とも同じ返答をした。 「小さい頃から父親がテレビ越しに観ていた野球は、大抵いつも巨人戦だった。田舎じゃ観られるチャンネル数も少なかったし、他の球
わたしって人より思い出というものを忘れてしまいやすい頭の構造をしているらしく、よく友だちと昔話をしていても「え、そんなことあったっけ?」「その場にわたし、いた?」っていうことが冗談抜きにしょっちゅうあるのです。 もしやわたしのドッペルベンガー?はたまたわたしには実は二面性があって、その時に応じて別の人格が現れてるから記憶が散らばってるの?と本気で心配になってしまうレベル。 それでも「嫌な思いをした記憶」っていうものはどうしても心の奥底に残ってしまうようで、いくら頭が忘れてても
お酒とおタバコは悪か、否か。 今ではお酒大好きなわたしも、むかーしむかしは大嫌いだった。お酒が飲める歳になってもわたしは絶対に飲まない。そう決めてた。 理由はただ一つ。お酒を飲むことで周りに迷惑をかけたり不快な思いをさせる人たちを身近で見てたから。そして、あの頃そんな思いをしてたのは紛れもなくわたし。 年末年始や夏休みになるとよくあるのがおじいちゃん、おばあちゃんのおうちで親戚一同集まってワイワイするやつ。父方も母方もとにかくお酒が大好きな人ばかりで、その中でいとこと遊んで
最近思うこと。 歳を重ねるごとに「友達」になるキッカケって変わるよね。 当たり前だけど、学生の頃まではクラスや部活が同じ〜、社会人になったら職場の人や趣味が同じ人〜etc... いまのわたしには上記に加えて新たに「ママ友」という枠が加わった。 「ママ」になったことで出会って友達になった人ももちろんいるけど、いままで「普通の友達」だった人が「ママ友」になったパターンもある。 そしてその過程で、「あぁ、この人ってこういう一面も持ち合わせてたんだなあ」と新たな気付きが生まれたことが
・平成2年8月生まれ、AB型、おとめ座。 ・岩手県生まれ青森県育ち。(所謂方言はあまり喋らないし理解も乏しい。イントネーション的には南部弁だけど、かれこれ千葉県に住んでもう今年で12年目?とかだから訛りも減ったかも) ・某外国語大学卒業。通訳翻訳に興味を持つも、幼児英語教育に惹かれて3年生からシフトチェンジ。 ・大学卒業後は子ども英会話教室やインターナショナルスクールで働きたいと思いいくつか面接を受けるものの、とあるインターナショナルスクールで面接官に「保育の経験があったら採