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お母さん
2024年12月18日
お母さんが亡くなりました。
今の気持ちをここに記しておきたくて書くので
ぐちゃぐちゃな文章でごめんなさい。
自分のために、書きます。
小さい頃、夜急にお母さんがいなくなったら、死んじゃったら、どうしようと不安になることがあった。でも不安になっても、いつのまにかそんな気持ちは薄れて、お母さんに怒ったり、甘えたり、一緒に喜んだり、甘えたりしながら、自然に日常に戻ってた。
お母さんはいつだって変わらずそこにいて、
変わらずに笑って名前を呼んでくれたから。
そんな風に、私の人生にお母さんが存在することが当たり前に過ごしてきた。
美味しいものがあったら
嬉しいことがあったら
悲しいことがあったら
辛いことがあったら
迷うことがあったら
苦しいことがあったら
いつも一番に思い浮かぶのはお母さんだった。
お母さんだったらなんて言うかな
お母さんだったらどんな顔するかな
子どもの時からずっとずっと
私の世界の中心はお母さんだった。
自分が歳を重ねるにつれて、お母さんが亡くなることを考えたことはあっても、それはまだいつか先の話で、未来の話だった。
私は、お母さんとあとどのくらい
過ごせるつもりで生きていたんだろう。
お母さんが亡くなる現実が、こんなに早く来るなんて、ちゃんとお別れもできないなんて考えてもいなかった。
私は、お互い歳を重ねながら、年老いていくお母さんにいろいろと文句言いながら、最後の最後まで一緒に過ごして、しっかりとお母さん見送ることができる未来を勝手に信じてた。
夢だったらいいのにって何回も何回も思った。
過去に戻れる方法がないか何度も検索した。
生き返らせる方法があればなんだってする。
私の寿命をあげるからお母さんを返してって
何回も何回も神様にお願いしたのに。
お母さんなんにも悪いことしてないのに
世の中には悪い人沢山いるのに
なんでお母さんなの?絶対おかしいよ。
何かの間違えだよね?夢だよね?
今だって、これを書きながら泣いてる。
お母さんに会いたくて、でももう会えなくて。
私の人生に、この世界に、
もうお母さんがいないという現実を
受け止められなくて、泣いてる。
結局、私は自分のため泣いてる。
お母さんに会えない自分が悲しいから。
お母さんとちゃんと
お別れできなかったことが悲しいから。
お母さんを救えなかった、
助けてあげられなかったのが悔しいから。
後悔ばかりだから。
お母さん、ごめんなさい。
助けてあげられなくてごめんなさい。
どんなに痛かったんだろう。苦しかったんだろう。
助けたかった。どんな形でも生きててほしかった。
お母さんのいない人生なんて考えられない。
お母さんのいない人生なんて意味ない。
こんな娘でごめんなさい。
親孝行なんてなんにもできなくなくて
結婚だってして、
お母さんに結婚式で手紙読んだりして、
お母さんも私も泣いて、
お母さんに私の友だちみんな紹介して
いつも話してた〇〇ちゃんだよ、って
いつもお世話になってます〜、なんて
挨拶とかしちゃって、
もしかしたら、孫だって産まれたかもしれないよ。
私が出産して育児しながら、仕事して
お母さんがサポートに来てくれたりして
お母さんに甘えたり、言い合いしたり、
たまーに喧嘩したりして、
でもすぐ仲直りして
結局お母さんと私って本当仲良いよね
って2人で笑いあってさ、
実現しない未来を勝手に想像して
悲しくなって、何やってるんだろう。
私の一番大切な人だったのに、守れなかった。
ねぇ、お母さん。
私ね、お母さんの娘に産まれたことが
一番の誇りなんだよ。自慢なんだよ。
私を産んでくれてありがとう。
愛情いっぱいで育ててくれて、ありがとう。
いつも私の一番味方でいてくれて、ありがとう。
一番の理解者になろうとしてくれてありがとう。
鬱病で辛い時、いつも支えてくれたね。
大丈夫だよ、私がいるからってどんな時も
笑って見守ってくれて、
お母さんがいるから大丈夫だって
いつも思えたんだよ。
躁鬱がひどくて、友人に連絡を返せなくて落ち込んで時にも、「お母さんがいるじゃん!」と笑いながら言ってくれたね。その言葉にいつも救われてたよ。
この前イオンに買い物行った時にさ、
「なにか欲しいものある?なんでも一つ買ってあげるよ」って言ってくれたよね。
「あの瞬間、私絶対一生忘れないと思う」
ってお母さんに話したら、笑ってたね。
だって私もう33歳だよ。
ちゃんと働いてお金も貰ってるのにさ、
お母さんからみたら、
私はずっと、一生子どもなんだな
って思ったら照れ臭くて嬉しくなったんだよ。
おばあちゃんが亡くなった時も、
「2525がいてくれて本当によかったよ。
だからなんとかやってこれたよ。本当にありがとう」
って言ってくれてたね。
お母さんの支えになれたことがね、
私とっっても嬉しかったんだよ。
一人暮らしを始める時と寂しそうな顔しながら
「いつでも帰っておいで」って言ってくれたね。
結局毎週のように帰ってさ、
たまーに、予定があって今週は帰れない
っていうと、少し寂しそうにしてたね。ごめんね。
一週間会わないだけでも山のように話すことがあってさ、美味しいもの見つけたり、可愛いもの見つけると、いつも2人でプレゼントしあったよね。
いつも2人で沢山笑って話したよね。
私をいつも励ましてくれて
私のことを誰よりも心配してくれて
誰よりも大切にしてくれて
本当に本当にありがとう。
鬱で不安定な中で、
お父さんにひどいこと言われて泣いてる時に
「2525が死ぬようなことになったら、私があんたを殺す」って言ってくれてありがとう。
お母さんは、私の一生味方でいてくれるって
改めて実感したんだよ。
三人の子どもの子育て大変だったよね。
フルタイムで仕事して、子育てして、
そんな中でも、いつだって愛情深く見守って
私たちの願いを叶えてくれたね。
お母さん、ありがとう。ありがとう。
何回言っても足りないよ。
大好きだよ。世界で一番大好きだよ。
お母さんは、友人も多くて明るくて
思いやりがあって、優しくて
ちょっと見栄っ張りで、ほわんとしてるけど
気が強くて、馬鹿にされるのが嫌いで、
努力家で、仕事でも責任感が強くて頼られてたね
料理も美味しくて、お父さんと仲良しで
いつだってポジティブで、お茶目で
可愛くて、美人で、いつも笑顔で
本当に自慢のお母さんで、
私もお母さんみたいになりたかった
お母さんに似てるねって言われるの
嬉しかったし、誇らしく思ってたよ。
お母さん、
もう呼んでも返事返って来ないんだね
お母さんの美味しい料理も食べられないんだ
お母さんにお帰りっていってもらえないんだ
いってらっしゃいって送ってもらえないんだ
名前呼んでもらえないんだね
当たり前だったあの時間は、
もう戻って来ないんだね。
お母さんがいないこの世界で
生きていけるかな。
お母さんがどんどん知らない
世界になっていくのが嫌なんだ。
お母さんがいなくなっても普通に日々が流れていくのが嫌なんだよ。無理だって分かってるのに。
私は一生お母さんのいる世界で生きていたかったの。
タイプロだってまだ誰がメンバーになるか
楽しみにしてたね
毎週一緒に楽しみにしながら、見てたよね
SnowManも、国立でライブやるんだよ
この前北海道一緒に行けて嬉しかったしのに
また来年行こうねって約束したのにね
お母さんに会いたいよ
もうこの先なにも楽しいこと
なんてなにもなくていいからさ、
辛いことばっかりでもいい
なんでもやるから。どんなことも
受け入れるから。
お母さん戻ってきてよ
私を置いていかないで
1人しないでよ
お母さん、
私、また生まれ変わっても
絶対お母さんの子どもがいい。
どんな形でもいいからまたお母さんに会いたいよ。
だからこれからも見守っててね。
大好きだよ。
世界で一番、大好きなお母さん。
今まで本当にありがとう。