【子どもの手本になるとは】昔の高校野球指導者は今、何を思うのか
夏の高校野球が終わりました。
私も高校野球は大好きです。
子どもの頃は夢中でそれこそテレビにかじりついて生中継を見ていました。
少し年上のお兄さんなのに、とても大人に感じたのを覚えています。
イニングの合間のつなぎのショートアニメが楽しみだったり笑
そのころは何も考えずに楽しんでいたと思いますが、
保育士になり、子どもの利益を深く考えるようになり、高校野球はとても問題があると思うようになりました。
今でこそ、
投手の連投や球数を配慮する監督が出てきましたが、
昔はそれこそ全く配慮されず、苦笑
勝つためには投手を高校生で使いつぶすのが当たり前でした。
高校生も視野が狭く、今燃え尽きたらそれでいい!別にプロに行くわけでもないし!みたいなね。
でも、
それだと子どもを守れないのです。
例えば、
プロになりたいと思っていた子どもが実際に壊れてしまったり、
今はこれで最後で燃え尽きて構わない!と思っていても、将来気が変わらないとは限らないのです。
やっぱり頑張ってプロなり社会人なりを目指したかった!と思う可能性もあります。
また、今後草野球を趣味で楽しむ事も出来なくなる可能性もあります。
あと、あまりに野球に全てをかけ過ぎて、高校生でバーンアウトしてしまう子も居ます。
そうならないように、長い目で見て子どもの将来を考えるのが大人の役割です。
昔の高校野球は子どもの利益よりも、大人の利益の方が大きくなっていました。
大前提として、高校野球といえども部活です。
部活は子どもの心身の健全育成のためにあります。
今が良ければそれでいい!というものではありません。
大人になってからの方が人生は長いのです。
そういう、長い人生を生きていくための人格や精神力、体力を育てるのが部活のねらいです。
昔の高校野球はその範疇を越えています。
子どもに今が人生のピークのような錯覚を与えてしまっています。
高校生はまだまだ人生全体からすると、始まったばかりです。
それを周りの大人が持ち上げ、チヤホヤすることで当然純粋な子どもは勘違いをします。
そうやって子どもを持ち上げ、ヒーロー扱いすることで、大人はお金を稼ぐことが出来ます。
昔は新聞が売れましたし、視聴率が取れました。ネットもあり多様性が認められてきた、今はそんなに単純ではなくなりましたが。
それに、監督は自分の名前や学校の名前が売れることでの利益を得ることが出来ました。
多くの子ども達がそれらの大人の利益に犠牲になってきました。
高校野球の日程も大人の都合で決められます。
子どもの心身の健康を大切にするなら、
もっと余裕のある日程にするでしょうし、
夏の炎天下の時間にもしないでしょう。
最近はようやく球数制限や登板間隔をあけるようになってきました。
まだまだ高野連含めて、高校野球ファンのため、高校野球で稼ぐ大人のためという視点が強いです。
昔は子どもを投げさせ過ぎて潰しても、練習をさせ過ぎて疲労骨折させても問題になりませんでした。
そういう指導をしてきた指導者は、今何を思うのでしょうか。
それらの方々の反省のコメントを聞いたことがありません。
自分が間違いや失敗をした時には、謝るなり反省するなりの態度を子どもに示すことが、子どものお手本になるという事だと思います。
自分が間違いや失敗をしても、謝らない、反省しないという態度を子どもに見せるのは、子どももそうしなくてもいいということを伝えているようなものです。
身体が出来上がった、メジャーリーグやプロの選手でも、日本の高校生のような連投や球数は投げさせていないことを考えると、高校野球は子どもの健全育成という視点は持てていないように思えます。
子どもは自分で自分の身を守るのが難しい場合がありますので、壊れそうと感じたら今は保護者が守るしかないのかなと思います。
自分の利益に走ったり、子どもの心身を壊してしまう指導者は指導者とは言えません。
子どもを指導する立場の人間は、子どものお手本となれる人であってほしいと思います。
国試保育士遊asobu☆
新人保育士のための10の講座
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?