当たり前だけど大切なもの~次男①~
私には、息子が3人いる。高校1年生、中学2年生、小学5年生。それぞれに違った個性を持っている。そして、中学2年生の次男はとりわけ優しい子。小さなころから、そして今でも彼の行動は「優しさ」とは何かを教えてくれる。そんな彼の素敵なエピソードをつづりたい。
弱さは優しさ
次男は、とっても気が弱い。自分を守るために、嘘をついてしまうこともある。泣き虫で、いじけん坊で、ちょっと面倒なところもある。でも、自分が弱い分、人の弱さも理解できる。とっても優しい子でもある。そして、私の自慢の子。
「どうしてそんなに優しいの?」と聞いたことがある。次男が3歳くらいの頃のことだ。次男と長男がブロックで遊んでいるとき、長男が次男の持っているブロックを欲しいと言えばすぐに貸してしまう。そんな次男が気の毒で、とうとう本人に聞いたのだ。
「だって、K(長男の名前)の方が大きいくて偉いから。」
失敗したと思った。ちょっとだけ夫を恨んだ。なぜなら、夫のコンプレックスを解消するかの如く、我が家のルールが決まっていったからだ。
教育(しつけ)の正解とは何か
夫は3人兄弟の長男。いつも「あなたはお兄ちゃんなんだから」「あなたが一番大きいのだから」と何かにつけて我慢を強いられてきたらしい。それがとにかく嫌だった夫は、自分に子どもができた時は「長男を優先する」と決めていたそうだ。そして、我が家のルールが決まったわけである。
まだ次男が物心もついていない頃から、その教育(しつけ)は始まった。長男が使っているものに手を伸ばす次男に対し、告げられる言葉はただひとつ。
「まだKくんが使っているから待ちましょう。」
そして、小さいながらもその言葉を理解し、次男は健気に待つのだった。きっと、こういった経験の積み重ねが、兄は大きくて強い(偉い)、自分は小さくて弱いという解釈に繋がっていったのではないかと思う。
「はい、どうぞ」
それから数日後のことだったと思う。三男をおんぶして、長男と次男と一緒に買い物へ出かけた。
当時住んでいたところは岩手県盛岡市。雪が多い地域の北海道や東北では「あるある」なのだが、小さなスーパーでも、扉がほぼ二重構造になっていた。中へ入る時を想像してほしい。まず、手動ではない扉があり、そこを通ると自動の扉があるという構造。ベビーカーを押しているときはちょっと面倒だった。
私は両手いっぱいに買い物袋を持って、店を出ようとした。長男は私のそばにいたが、次男が見当たらない。どこへ行ったのかときょろきょろしていると、先回りをしてドアの方へ走っていった。
おぉ、私のためにドアを開けてくれるのね。
そう思って近づく私。あれ?次男は私を見ていない。次男の目線の先にあったもの、それは70歳くらいの白髪のおばあさんの姿だった。
おばあさんは、たくさんの買い物袋を手にぶら下げていた。そして、袋が重くて手を持ち上げることができずにいた。ドアを開けようにも開けられず困っていたのである。次男はその姿にいち早く気が付き、助けに行ったのだった。
「ぼく、優しいねぇ。ありがとうねぇ。」
おばあさんは、笑顔でそう言った。次男には聞こえていたのかいなかったのか、真剣な表情で、重い扉をただ懸命に支えていた。
喜ばせたい=優しさ
「さっきは偉かったね。Y(次男の名前)がドアを開けてくれたから、おばあさんも喜んでいたよ。」
早速、私は車内で次男を褒めた。とても嬉しそうに、頭をかきながら照れる次男。私は次男を誇らしく思った。
「うんとね、優しくするとね、みんな喜ぶんだよ。お母さん。」
そうか、そういう解釈へと変わっていったんだね。
今では、年上にも年下にも優しい次男。もしかしたら、長男と三男に挟まれたからなのかも。でも、きっと次男の中では、いろいろな葛藤があって今の優しい次男にたどり着いたのだと思う。
自分より大きい人を優先する→大きい人が喜ぶ→喜ばれると嬉しい→みんなを喜ばせたい→優しくする→みんなが喜ぶ→とっても嬉しい・・・こんな感じかな?
何はともあれ、次男は今日も人に優しい。そして、私はそれが素直に嬉しい。
◎あとがき◎
ある日、次男がこう言った。
「オレにも反抗期は来るからね、お母さん。」
「え?いつ?」
驚く私。そんな私を落ち着かせるかのように、次男はこう続けた。
「反抗期に入るときはさ、『今から反抗期に入ります』って言うから、安心して。」
「・・・・・・。」
そうか、【宣告する】というのも、一種の優しさよね(笑)。
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