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2024/8/12(月)の宿題:大切な本

 『今日の宿題』(Rethink Books編、NUMABOOKS)に毎日取り組んでみる23日目。本日は小竹由美子さんからの出題で、「思春期の自分に読ませたかった本」について書く。

ややこしくて危うかった頃の自分

 いい子で生きることが第一優先だったからなのか精神的な成熟が早く、体感として15歳くらいから精神年齢が全く成長していない気がする。20歳くらいまではそれでよかったものの、それ以降、今の自分の年齢に求められるような成熟はできていない気がして居心地が悪い。おまけに心を病んでからの私は、思春期の危うさよりもたちの悪い危うさがある気がする。
 だから今の私から思春期の私に読ませたい本というのもなんだかおこがましい。しかしそのうえで、思春期の15歳の私に読んでほしかった本がある。

 まず15歳の私はどんなだったか?
「いい子」として振る舞うことのみが正解だと思い込んでいた。制服のネクタイを少し崩すこともできないほどだった。私から見て不真面目な振る舞いの人がうまくやっているのを見るといつも苦しくて、強烈な「割に合わなさ」を感じていた。行き過ぎた正義感を他人に押し付けてしまうようなこともあったかもしれない。
 そして、中学受験して進学していたから、同級生は均質な学力を持ち、たいてい父母が揃っている家庭環境で、お金に苦労するようなことがない人ばかりだ。皆同じ価値観。だから世界に対する視野がとても狭かった。

 そんな15歳の私に読んでもらいたい本は次の3つだ。
『いい子のあくび』高瀬隼子
『人間の羊』大江健三郎
『小山さんノート』小山さんノートワークショップ 編

『いい子のあくび』高瀬隼子

公私共にわたしは「いい子」。人よりもすこし先に気づくタイプ。わざとやってるんじゃなくて、いいことも、にこにこしちゃうのも、しちゃうから、しちゃうだけ。でも、歩きスマホをしてぶつかってくる人を除けてあげ続けるのは、なぜいつもわたしだけ?「割りに合わなさ」を訴える女性を描いた表題作(「いい子のあくび」)。

集英社 文芸ステーション https://www.bungei.shueisha.co.jp/shinkan/iikonoakubi/

 人に好かれることとか、愛嬌が大事と言われることとか、いい子として振る舞うことの全てを正しいと思っていたあの頃の自分に読ませてあげたい。それは違うよ、おかしいよって教えてあげたい。それはただ口で言われても聞く耳を持たないだろうから、本を読んで気づいてほしい。
 高瀬さんは2019年に『犬のかたちをしているもの』で第43回すばる文学賞を受賞されている。私が初めて読んだのは2作目の『水たまりで息をする』だが、こんなに率直な気持ちを小説に書いてよいのかとびっくりした。それまで読んでいた小説はだいたい率直な感情を言葉にしなくて、全ては遠回しに、あるいはメタファーとして現れるようなものばかりだった。だから高瀬さんの作品を読んで、「どうしてこんなに私の気持ちがそのまま書いてあるんだろう」と思ったし、それが書かれていることにスカッとした。
 それからは単行本化している『犬のかたちをしているもの』、芥川賞を受賞した『おいしいごはんが食べられますように』、『いい子のあくび』、『うるさいこの音の全部』、『め生える』全てを読んでいる。『いい子のあくび』に至ってはサイン会にまで行った(緊張してしまってうまくお話しできなかったが)。雑誌に掲載された短編や対談もできるだけ購入している。
 高瀬さんの本は全てざらっとする怖さがある。リアルで身に覚えのある怖さ。どんな人にでも読んでほしいなと思う。きっと何となく身に覚えがあることばかり書かれていて、いろいろ考え始めてしまうと思うから。

 なお、こちら↓の感想に引かれている本文は、本当に心に刺さるものばかりだ。




『人間の羊』大江健三郎

傍観者への嫌悪と侮蔑をこめた「人間の羊」

新潮社 https://www.shinchosha.co.jp/book/112601/

 詳細なあらすじ(ネタバレも含む)はこちら↓もとても参考になる。

 ここに描かれていることは現代に通じる問題だと感じた。どうしてそんなものが書けるのだろう。大江健三郎はきっといつ読んでも新鮮で、どれを読んでもその中に自分を見つけられる。
 この短編は、被害を受けた者に対し「声を挙げて被害を訴えるべきだ! 黙っていることは被害を容認したことである!」というようなことを責め立てる傍観者へ、主人公が嫌悪を感じている。
 行き過ぎた正義感が自分を飛び越えて他人に向かうとき、それは他人を辱め、傷つける。それを、もっと若い時から知っていてほしかった。そうすれば傷つけずに済んだ人がいるかもしれないから。



『小山さんノート』小山さんノートワークショップ 編

「小山さん」と呼ばれた、ホームレスの女性が遺したノート。
時間の許される限り、私は私自身でありたい――2013年に亡くなるまで、公園で暮らしながら、膨大な文章を書きつづっていた小山さん。町を歩いて出会う物たち、喫茶でノートを広げ書く時間、そして、頭のなかの思考や空想。満足していたわけではなくても、小山さんは生きるためにここにいた。
80冊を超えるノートからの抜粋とともに、手書きのノートを8年かけて「文字起こし」したワークショップメンバーによるそれぞれのエッセイも収録。

etc.books https://etcbooks.co.jp/book/koyamasannote/

 文章からにじみ出る日々の生活の苦しさ、その中でも自分の心を守るための営み。読み進めるほどに苦しく、小山さんの心と体がどうか健やかであってほしいと願った。文章からは繊細さや想像力、小山さんなりの豊かさが滲んで、とても無関係の人とは思えない。むしろ読み進めるほどに小山さんは私かもしれない、と思った。
 今はこんなふうに思うことができる。しかし15歳の頃の温室みたいな場所で過ごしていた頃の私には思い至ることもない世界だ。だからこそ読んでみてほしい。他の人がどんなふうに一日を生きて、文章を書いて、それを書き起こして本にした人がいることを感じてほしい。


 以上が思春期の私に読んでほしい本だ。そして20代の大人になった私にとっても、とても大切な本だ。
 本の良さを薦めるのはとても苦手だ。私の陳腐な言葉で本のすばらしさに水を差している気がする。しかし、もし少しでも気になったらぜひ読んでほしい。それぞれ、面白いだけではなくて、心に重い一撃をくれる本だから。

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