六太と日々人と「夢」の話ー『宇宙兄弟』40巻を読んでー
ドクッ ドクッ ドクッ ドクッ ……
いつもより深くて太い自分の鼓動が、リズムよく響いている。
人間の身体というのは、緊張している時も興奮している時も、同じような反応をするものだ。
今の私は、どちらも当てはまるかもしれない。
緊張40%、興奮60%というところだろうか。
目の前にあるお気に入りのマグカップを手に取る。温くなったミルクを少しだけ口にふくみ、ふう、とひとつ息を吐いた。
さて、どうしたものか。
次のシーンを、早く見たい。
けれど、まだもう少し、見たくない気もする。
私は、この数年間、ずっと、ずうっと、待っていた。この瞬間を。この時が来るのを。
ページをめくる手が、小刻みに震えているのがわかった。
・・・
同じコマを見ながら、しばらくの間、私は呆然としていた。ソファに座っていたはずなのに、なぜかその場に立ち尽くしている。いつ立ち上がったのかも、記憶にない。
数分後、段々と鼓動が穏やかになってくるのがわかる。それなのに、顔から上はドクドクと血が巡るのを感じるほどに熱い。
間違いなく、私は100%興奮している。
少し頭を冷やした方がいい。話はそれからだ。
そう思いながら、気づかぬ間に半分に減ったミルクのマグを持ち、ベランダに出る。
空を見上げると、月がのぼっていた。
そういえば、昨日は満月だと情報番組のキャスターが言っていた。
あそこに、地球から約38万キロ離れたあの月に、六太と日々人がいるーー
そう思うだけで、涙があふれそうになった。
「宇宙」への始まり、それは、ある夏の日。
2006年7月9日。
裏山を散策中に2人が偶然目にしたUFO。
宇宙を夢見た兄弟が、ついに月に立った。
どんな風に、どんな表情で、どんな言葉をかけあってその瞬間を迎えるのだろう。「宇宙兄弟」という漫画を読み始めてから、2人が同時に月に立つシーンを、何度も、何度も想像した。あまりにシュミレーションするものだから、てっきりもう宇宙で再会したっけ、と勘違いすることもあるほどに。
いざそのシーンを目にしたら、想像の何十倍もの感動が押し寄せてきた。
これは、漫画だ。わかっている。それなのに。
まるで、今見上げているあの月に、本当に六太と日々人が立っているとわかったかのような。
それだけで、底知れない勇気を手に入れた気分だった。
「宇宙兄弟」を読んでいると『夢』について考えさせられることがよくある。
『夢』
少しくすぐったいこの響きに、幼い頃の私はどんな姿を重ねていたのだろう。何を目指して、どんなことを想像していただろう。思い出そうとしても、2人のように「宇宙へ行きたい」なんて大きな想いを抱いた記憶は出てこない。そう思うと、少し寂しい気持ちにもなる。
それと同時に、私はある1日のことを思い出した。
あれはまだ私が高校生だった頃、とある先生に教えられた”夢"についての話だ。
・・・
教室の真ん中にある古びた木製の教壇の前で、先生は私たちをぐるりと見渡しながら、唐突に質問を投げかけた。
「皆さん。突然ですが、自分の将来の夢を思い浮かべてみてください」
「はい。今皆さんが想像した夢ですが……残念ながら、この中でその夢を叶えられる人は、ほとんど、いや、もしかすると1人もいないかもしれません」
唖然とした。
まさか、夢が叶わないことを教えられるとは思っていなかったからだ。
教室が、少しザワザワし始めた。
「このクラスだけに限りません。夢を叶えられるのは、ほんの一握りの人だけです。それに、強い気持ちや、運、継続的な努力も必要です。今、具体的な夢が思い浮かばないという人もいるでしょう。夢がある人も、これから同じ夢をずっと持ち続けらるとも限りません。新しい夢が出てくるかもしれません。だからこそ、あなたたちには、勉強してほしいのです。将来の可能性を少しでも拡げられるように、いざその時が来たときに選択肢をたくさん持てるように、自分が自分のことを助けられるように、今、勉強しておいてほしいのです」
公立とはいえ県内の進学校に通っていたこともあり、これは私たちにやる気を出させるための罠だろうか、とも勘ぐった。ただ、当時の私は、なんとなくこの言葉が腑に落ちてしまった。勉強の仕方を教えてもらったことはあるけれど、理由を教わったことは、これまでなかったからかもしれない。
進路や次年度からの授業を選択するために、文系か理系かを決めるタイミングでもあった。「私は絶対文系しか考えられない」「将来の夢は医者だから理系」と、周りの友人たちは案外すんなりと文理を選択しているようだったが、私は迷っていた。夢の話と相まって心に何かが引っかかっていた私は、意を決して、放課後職員室を訪ねた際に、先生に声をかけた。
「進路についてなんですが、好きなことと得意なこと、どちらを選択すれば良いか迷っています」
得意科目は、数学だった。どちらかというと世界史が苦手。でも、学んでみたいのは言葉や文学……文系分野だった。
「りりあさんは、数学と理科が得意だからね。悩むだろうけど、先生は、好きなことをすすめたい。好きっていう気持ちは、何より勝るものだから」
「そういうものでしょうか。あと、さっきの話なんですが……私には、まだ夢みたいなハッキリしたものがないんです。例え得意でなくても、それはこれから、夢にして良いものでしょうか」
「もちろん。得意なことが夢になるとは限らないよ。さっきは少し偉そうに言ってしまったけれど……そんなに大きなものじゃなくてもいいんだよ。小さな想いが積み重なって、夢になることだってある」
将来に対して漠然とした不安を抱えていた当時の私は、少しだけ救われた気持ちになった。
進路についてはもう少し考えてみます、とだけ伝えて一礼した時だった。
「あと一つアドバイスできるとしたら……本気で取り組んでいるとね、不思議と良い出会いや、良い運が回ってくるものだよ。先生はそう信じてる。でも、それは真剣で前向きであることが前提だよ。それから、挫折や悔しい経験は、最後に自分の背中を押してくれる。味方になってくれる。君たちはまだまだ若いから、臆せず色々な経験を積みなさい。でも、どんなときも、自分の心には素直でね」
進路希望表の"文系"に丸をつけて提出したのは、その数ヶ月後のことだった。
・・・
私が六太だったら、どうだろう。
気がつけば自分よりもぐんぐん実力を伸ばし、真っ直ぐに夢を叶えていく弟。一方で、何だかいまひとつ冴えず、会社もクビになってしまった自分。夢は無理なものだと思いこみ、いつのまにか、自分の夢でなかったかのように心の奥底にしまっている。
それでも、心を奮い立たせ、宇宙飛行士という自分の夢を、もう一度目指すことができただろうか。弟の後を追うように見られたとしても、正しいと思うことを信じ、周りを巻き込みながら、ここまでやり抜くことができただろうか。
きっと、私なら途中で、いや、最初の段階でとうに諦めてしまうかもしれない。
私が日々人だったら、どうだろう。
努力して、一度は宇宙飛行士という夢を叶えることができた。けれど、初めて行った宇宙には、これ以上ないくらいの怖い体験も待っていた。地球に戻ってから上手く自分をコントロールできず、周りの視線は段々と冷たくなっていく。今まで当たり前にできていたことができず、大きな試練にぶち当たったとき。今の地位を捨ててでも、やり直す決意ができただろうか。ロシアで一から訓練をして、再び宇宙へ行く。こんなに前向きなチャレンジの方法を、思いついただろうか。
私なら、モヤモヤを抱えたままそれでもNASAを辞められず、何年もその場で足踏みしていたに違いない。
でも、自分が六太で、もし日々人という弟がいたら。自分が日々人で、六太という兄がいたら、どうだろうかーー
月面で酸素の供給が止まりそうになったとき、日々人が語りかけた心の言葉を思い出す。
ああ、そうか。
2人にとっての夢は「宇宙飛行士になること」ではなかった。
「2人で宇宙飛行士になること」だったんだ。
会社員からもう一度宇宙を目指す六太も。
ロシアでコスモノートとして再起する日々人も。
それが自分のためだけじゃなく、かけがえのない兄の、自慢の弟の大事な夢であることを知っているからこそ。
それを叶えるためなら、悔しい思いや、大きな壁、辛い試練だって何度だって乗り越えて来られた。
そのことに改めて気づいたとき、私は40巻を抱きしめたくなった。
こうやって、六太の本心を引き出して宇宙へ導こうとする日々人も。
ピンチの時こそ日々人を守ろうとする六太も。
きっと誰より、もしかすると自分自身よりも、兄が、弟が、夢を叶えることを信じて疑わないでいてくれたから。
「宇宙」への始まりーーあの夏の日の『約束』を、叶えられた。
宇宙へ飛び立つ前、六太が「俺が宇宙飛行士になれたのも 月へ行けることになったのも シャロンのおかげだよ」と伝えたときのこと。
六太や日々人の周りに素晴らしい人が多いのは、きっと彼らが彼らだったからだ。
2人の約束は、いつしか誰かにとっての希望になり、大きな大きな夢になった。
南波家族やシャロン、仲間たちだけじゃない。私たち読者にとっても。
40巻は、私たちみんなの夢が叶った瞬間でもあった。
・・・
幼い頃の夢。
実は、覚えていないのではない。きちんと覚えている。
でも、どうせ無理だろうと思って、心の奥の奥のさらに深いところにしまってきた。
見て見ぬふりをしていた、あの頃の六太みたいに。
もう大人だし忘れようと思っていたけれど、40巻を読んでから、何かが変わった。私の中にあった消えかけの火種は、思いがけないタイミングでもう一度灯されてしまった。
そういえば、六太が宇宙飛行士になったのは、私の年齢よりも上だったはずだ。
高校の先生の言葉も、当時の私は理解できずにいたけれど、今なら少しだけ、わかる気がする。
この言葉を胸に、私はもう一度「夢」と向き合ってみようと思う。
今この胸に眠っているちっぽけな夢が、六太と日々人みたいに、周りをぐんぐん巻き込んで、いつしか誰かにとっての希望や、大きな夢になることを想像しながら。