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第1回 「また戻って、私は見たい」

〜企画の始まりについて〜

初めにこのコーナーでは、東京藝大に通う、小前光が美術をしている、あるいは既に作家として活躍している友達、そのまた友達をリレー形式で紹介するという企画です!
 
今、上野にある東京藝術大学の、油画科に通っています。よく上野の街にも顔を出します。そういう訳でご縁があり、東東京のお店の方達や、住んでいる方達と知り合う機会をいただけました。

そんな折、レモンサワーの美味しい眼鏡屋さん、"眼鏡とクラフトatRUTTEN_"の荒岡さんから、”24M”と言うwebメディアを作る話を聞きました。
「小前君も何かコーナーを持ってみないかい」と、嬉しいお誘いをいただいたのが始まりです。

"24M"の皆さん、そして荒岡さんには、このようなコーナーをもたせていただいたことに感謝いたします。

また、このコーナーが長く続くことで、これから活躍する方達の、学生時代の考えや活動、痕跡を振り返ることを可能とするようなメディアになることを願います。

     僕の今借りているアトリエ。画面中央にあるのは一番新しい絵。
 

さて、本当は誰から誰かへの紹介をしたい企画ではあるのですが、初回と言うことで、今回は僕が自己紹介という形でしようと思います。話しやすくするためにここからは僕口調で喋ります。

僕は兵庫県明石市の出身です。実はソロモン諸島というところで幼少期を過ごしました。 高校は美術科のある学校へ通い、そこで油絵具の魅力にはまって東京藝大の油画科を目指しました。一年の浪人の末に合格。

最近はアクリル絵の具なんかも使いながら、作品を作っています。2歳の頃に初めて描いた水彩画が去年出てきて、自分はずっと絵が好きなんだなと気づきました。
  
~作家は昔も今も色々~
 
まず最初にこの画像は、僕の最近のアトリエの様子です。ちょっと前に友達が遊びに来たので、作品をいくつか、壁にかけてみました。写真では見切れていますが、手前にもいくつか作品がかけられています。

僕の場合は絵画作品と呼ばれる、いわゆる絵が多いですが、人によっては立体作品や、空間全体を演出するようなインスタレーションと呼ばれるものを作る方もいます。
大学では専攻や学科によっても学ぶジャンルは違いますが、現代作家の方達はさまざまな媒体を使い、作品を作っている方が最近は多いように感じます。

作品が出来上がっていく早さも、人によって違いますが、何ヶ月もかけてつくる方もいれば、数日で作り上げる人もいます。

僕は、それで言うと、それこそ良い時は息をするように作品が完成していきます。
 
作家で食べていっている方達を見ていると、作品の納期や〆切がある分、作品をスピーディーに仕上げられる方が多いようには感じています。

それは例えば、中世ヨーロッパの時代において、王様や貴族に使える画家たちもおそらく納期があって、それに間に合わせる形で絵を描いていたのではないでしょうか。

しかも、肖像画なんかは、少し実物よりも美しく描かれている、なんてことも。

逆にフェルメールと呼ばれる、有名な真珠の耳飾りを付けた少女の絵を描いた画家なんかは、作品が完成するまでの速度がとても遅くて、奥さんにもっと早く描いてよと怒られた、というエピソードもあったりします。

フェルメール「真珠の耳飾りの少女」

~それでは作品紹介へ~

さて、余談はその辺にしておいて、僕の作品作りについて紹介していこうと思います。
まず、全てについて語るのは難しいことですので、一番新しい作品から、説明しようと思います。

大体展覧会なんかに行けばステートメントと呼ばれる、作家やその展覧会を企画したキュレーターの言葉が、会場にあったりします。

これは、作品を読み解くヒントのようなものでおそらくこの文章を読んでいる方も、もしかしたら展示等へ行ったことがある人なら、見たことがあるのではないでしょうか。

ステートメント。直訳すると声明という言葉になります

僕は意思表明や、そういったものよりも、もっと観客に、見にきた人たちに、作品をより伝えるための存在だと思っています。

もし展示へいく機会があれば、是非目を通して見てください。 その展示の見え方が変わるかもしれません。

いまいちなステートメントもあったりしますが、良いステートメントはとても分かりやすいです。 

 小前さんの作品
「確かに、私は光を受けて立っている。」

僕が新しく描いたこの絵は、女性を描いた絵です。 では、みなさんはこの女性は一体どこにいると思いますか?

何やら、ピンクの床に1人で立っていて、ん?鏡なのかな、、女性のドレスが映っているように見えます。

そして周りは星なのか、何か暗闇に包まれています。

 実はこれ、僕の中では女性は何かしらの役者で、舞台の上に立っているのです。そしてスポットライトを浴びて堂々としている。そんな感じです。 となると、周りにキラキラと輝いているのは、見に来た観客でしょうか。
 この人が一体何をしている人なのか、僕にはわかりません。 けれども、1人で舞台に立ち、腕こそ組んではいるものの、決して弱い印象は受けません。 むしろ余裕のあるような感じです。

この女性にモデルはいません。 しかし、描きながら僕は、この人がもしかしたらいるかもしれないと思いました。

決して存在はしません。

触れることもできません。僕は側から眺めることしかできません。
彼女が何を思ってそこに立っているのか分からない。 でもイメージが浮かんだからには出してあげないといけない。

この絵の人物は想像の人ですが、自分が出会ってきた女性のイメージが、絶対に入っているように思います。
だからこそ、出来上がったこの人を前に僕は、じっと眺めることができたのです。

例えば映画を見ていても思うことですが、想像のファンタジーの世界であったとしても、その監督にとっての現実が差し込まれていると、とてもリアルに感じます。

これが重要なように思います。

人間は体験したことしか共感はできないので、やはり突飛すぎるものは受け付けられないのです。

どこかでその作品と繋がる部分があって欲しいのです。

僕は、作る作品が全て、自画像ではないのに、自分を反映しているように感じています。そういう意味で、自分の顔は描きたくありません。

自分が経験したことや、自分にとってのリアルなことを描きたいです。

決してもう二度と巻き戻ることはない時間の中に、閉じ込められていて、この女性も緩やかに動いてるように僕には見えるのですが、しかし時間は止まっているのです。

女性を描くときは綺麗な女性を描きたいです。みなさんがこの絵を見て、この人を綺麗だと思うかはわかりません。

でも、僕は普段から観察しています。美しい人はなんで美しいんだろうと。単純な形や見た目では無いように思います。

ルネサンス期の三代巨匠の1人ラファエロも、綺麗な女性を描くには普段から、たくさんの綺麗な女性を見ないといけない、なんてラファエロらしいことを言っていますが。

現代でいうと少しプレイボーイのような、、、。

でも、やっぱりそれはそうだと思っていて、観察しないと分からないことだらけの世界なので、僕も女性を描くときは、美しいポイントを探しながら、或いは思い出しながら描きます。

~解体絵画!~

 「~解体絵画~Kaiga to Pants」

次にこの作品、~解体絵画~Kaiga to Pants について、この作品を留学生の方たちに紹介する機会がありました。

その時は作品はすごい面白いけど、名前がちょっとステューピッドだねと言われました。 ちょっとばかばかしいみたいな感じです。

いい意味でギャップがあったみたいです。

Kaiga to Pants は絵画とパンツとも読めますが、絵画からパンツとも読めます。
これはその名の通り、普通のキャンバスに描いた絵では無いのです。

そうこれは、パンツ(すぼん)の上に描いた絵です。

僕が昨年8月初めて、人と共同で作った作品です。実はこの作品は、先ほどの写真から以下の状態へと変貌します。

13本のパンツが円形に並べられ、その上から絵の具で描かれた作品だったのです。

この13本のパンツの上に絵が乗り、そして最後は解体され、履くことができる。

しかもまた一つに戻り絵になる。

みたいな、、物凄く強いコンセプトを建築家の方が考えました。

この発想は僕にはありませんでした。 これは建築的な発想で当たり前にあるみたいです。

この作品は僕は、建築家の宮本さんと、このパンツの企画を提案していただいたD.C Withe というブランドの石原さんと共に、作品を作り上げました。

このような機会をいただけて本当に感謝申し上げます。
 
パンツは元来履くもので、それが絵になることで、絵の一部を纏える。

この発想は本当に素晴らしいものだと思います。

なぜなら、例えば僕が順当に成長していき、美術館なんかで展示を行える機会がやってきたからには、この13本のパンツを販売したとして、

それを持っている方達は自分のパンツを美術館に貸し出すことにより、作品としてまた生まれ変わることができる。

結構ロマンのあることだと思いませんか?

~僕にできることは~

さてそのようなコンセプトがあったとしても作品が完成しなければ意味が無いので、僕にできることはいい絵を描くことなので、考えました。

13本のパンツをキャンバスに貼り付けるのではなく、フックにかけるというやり方でキャンバスを作ったので、円系のキャンバスが出来上がりました。

真ん中にくり抜かれたところからパンツは放射状にかけられた訳です。普通のキャンバスとは違い、かなり画面からの圧力があります。なぜかというとパンツにはシワができるからです。

さあこの2mx2mの大きな円に何を描こうか。

D.C.Witheというのは、かっこいいを求めているブランドです。 とてもクールな服を販売しています。

このパンツに描くなら、このブランドの服だろうと思いました。

しかも顔はいらないんじゃないか。

なぜなら、人物に顔が描かれた時点で主従関係は人物が勝ってしまうので、かっこいい服の絵ではなく、人の絵になるのです。

だから僕は、もう今までそんなことはしたことがなかったのですが、思い切って顔は描かないという選択を取りました。

かっこよく服がポーズをとっているように絵を描きました。

それから、この絵は円になっています。円というものの特徴を考えました。
四角い画面を普通としたときに、奥に一本の水平線を引いた瞬間、白いキャンバスには奥が現れます。

その水平線が、円だとするのならば、おそらくそれは一本の繋がったものになるのでは無いかと考えたのです。

そのためこの絵に天地はありません。 どこからでも見ることができる絵なのです

~アイデアを得るために、そして絵の中の世界~

小前さんの作品
「窓から手を差し伸べて」

作品のアイデアはいついかなる時も、浮かぶかもしれません。 だから油断はできません。日頃から、思いを巡らせています。

そのため、いろんな人に会いに行くことを心がけています。

絵や、彫刻や、空間や、映画や、本や、なんでもいいですが人は常に何かしらの表現者であると思っているので、その表現を受けにいきたいのです。

そして受けたらならばその人の考えを少しでも理解したいのです。 だから僕は頻繁に外に出ているのです。

そして日常の何気ない生活からヒントを得て、作品を作っています。小さい時から作り続けてきました。

この最後に紹介する作品は僕の中では小さい作品です。

ですが、この窓の奥には広い海が広がっているように思います。スーパーマンのような彼は、僕の方へと手を差し伸べてくれたのです。

物語にするのならば、こんなところでしょうか。

人物が浮いているか浮いていないかを描き分けるコツは、その人が地面に立っているか立っていないかを表すことです。

みなさんももうお気づきかもしれませんが、影を描くか、描かないかです。
もっというと、浮いていても影は見えるのですが、距離とか、高さによってその見え方は変わります。

~抽象具象を行き来して~

 今回紹介した作品は全て、何が描かれているか分かる作品を持ってきました。

しかし僕は抽象的な作品もよく作ります。

その時は、例えば、画面に乗る絵の具の重なりや色の関係をよく考えますが、それでもやはり、自分が見たものしか描けないと思っています。

僕にとっては、作品が抽象的であれ、具象的であれ、同じに思えます。 それはどんなものにも具体的なものに見える時はあるし、抽象的な部分もあるからです。

だからこそ、その境界を意図的にコントロールして、動きながら作品を作っています。

一つ、抽象画と具象画の違いを説明すると、具象画は目の前にものを置いて描いているものです。

つまり見て描いているものです。ピカソは必ずものを見ていました。

彼の作品は抽象画ではありません。
むしろキュビズムという色んな角度から見たものを一つの画面に集約させるみたいな、めっちゃ見る人なんで全然違います。

逆にジャクソンポロックというアメリカの作家はものを置かずに、絵の具の物質性にひたすら迫っていきました。彼の作品は抽象画だと思いますが、しかしそれにも、あるイメージが入り込んでいたのです。

抽象的な作品というのは難しいもので、目の前に作品がある方が、よほど作りやすいと思います。

何かを描くということは、何かを見るということなので、その見る対象が無いということは、かなり複雑な問題だと思います。

長生きの作家は、見て描く、あるいは何かしらのイメージを描いている人が多いように思います。

〜まとめ〜

今回、かなり意図的に僕は歴史上の作家の名前を出しました。 これは美術が難しいと呼ばれる一つの理由だと思います。

実際、良いものを良いものだと分かるために自分が上がって行かないといけない

みたいな部分は少なからず美術にはあるように思います。

本当はもっと楽に見て良いはずです。 素直に直感的に感じたものでいいと思います。 自分が見て良いなと思えれば、それが全てだと思います。

美術に興味を、関心を抱いてくれる方が少しでも増えることを僕は願っています。

(文 : 小前光) 

小前光 公式インスタグラム


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