連鎖インフルエンサー (立川談志「文七元結」と中島岳志「思いがけず利他」)
タレントさんの自殺報道があったあくる日、朝から人身事故があり、帰りも別の人身事故で身動きがとれなかった。報道がトリガーになって連鎖してしまったように思えてしまう。
読みはじめた「思いがけず利他」という本には、落語「文七元結(ぶんしちもっとい)」が、利他を考えるきっかけとしてとりあげられている。川に身投げしようとする男を助ける噺は、電車を待つ今の状況とリンクするし、聞いたことがなかったのでスポティファイやyoutubeで聞いてみた。この話は利他行為が連鎖する。
落語にネタバレも何もないのであらすじを書きますと。
博打で貧乏長屋に朝帰りした長兵衛に、妻は一人娘が消えた、探しても見つからないと報告する。狼狽する長兵衛に使いの男が訪れ、店に娘が来ているという。実は娘は極度の貧乏を心配し、吉原の女郎屋をみずから訪れ自分を買ってくれと言ったのだ。(→1)
女郎屋に出向くと女主人は、この子は返さないし、買いもしないという。長兵衛にまじめに働くよう説諭し50両を貸す。娘の生活の世話はするが、この金を返せなければ娘は女郎屋に出すよと約束する。(→2)
長兵衛は大金を持った帰り道、橋から身投げしようとする若者と出会ってしまう。仕事で取引先から預かった50両をスられたという。長兵衛は迷った末に50両を、持っている事情を説明したうえで若者にあげてしまう。(→3)
助けられた若者が、働く店の主人に遅れた言い訳を取り繕いながら50両を渡すと、50両はもうあるといわれる。金はスられたのではなく、忘れてきていた。取引先が心配して既に届けてくれていたのだ。
主人は長兵衛を探し出し50両を返すとともに、その親切に感謝して酒を贈呈する。そして酒の肴だとして、女郎屋から身請けた娘をつれてくる。親子3人感動の再会、文七という若者は娘お久と結婚し元結の店をだす。めでたしめでたし。(→4)
この噺を濃やかに演じた立川談志は、終了後に自分のモヤモヤした心情を解説して、別の終わり方をやってみせたりしている。どうしてこの50両を上げてしまったのか、いまいち納得がいってない。落語内では「江戸っ子だからよ」とすませるが、解説後はは後日談として「最後の博打だったんだ」と言わせてみたり「もし50両戻ってこなかったらどうする気だったの?」と妻に言わせたりしている。
「思いがけず利他」はこの部分について考えている。談志はこの噺を美談、人情噺とすることに迷い続け、結論をださなかった。この本では談志落語論の「落語=業の肯定」を親鸞とひもづけながら、お金をわたしてしまう心情を、「他力」「仏の業」という言葉で説明している。自分の意志と関係なくどうしようもなく行ってしまう業のうちには、悪いことだけではなく、「つい」助けてしまう行為も含まれる、というような論。
自分としては、かっこ内の(1)から(3)のように落語内で無償の利他が連鎖した、と思った。人は他人の強い思いを受けると影響される。娘の行為が女主人の心意気にふれた。女主人は世話する得もないのに金を貸した。長兵衛の行為はその2人の影響が、つい働いたということもあるだろう。(ちなみに(4)は無償ではなく、親切へのお礼)
誰が演じても落語の中の娘、お久は弱々しく描かれ、その決意のほどは語られないし、本でも言及されないが、実は強い意志で最初の行動を起こしたこの人が一番のインフルエンサーかもしれない。そして冒頭の亡くなったあの人も、その意志を持った行動によって、世に良い影響の連鎖をも残した。
終
談志版。長い。
馬生版。声がやさしくて聞きやすい。
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