メモ:自転車のイメージ
春、仕事場が都心にうつったので、自転車を買った。東京は自転車があれば電車を使わずとも結構いろいろ行けると聞く。買ったのは小径車で歩行の延長、というイメージ。ロードバイクは格好いいが、車やズームレンズや武器に近い「距離を制する本能」という感じもある。高田渡は「自転車にのって」で「ちょいとそこまで歩きたいから」と歌った。自転車だけど走ってない。
緒方壽人著「コンヴィヴィアル・テクノロジー」で、テクノロジーは人間の力を拡張するが、行き過ぎると逆に人間を損なうので適度なバランスを保つべきだとするイヴァン・イリイチの考えを紹介していたが、ちょうど良いテクノロジーの代表格として自転車が例にだされていた。
終了してしまったTBSラジオ「菊地成孔、粋な夜電波」2016年春の放送では、アルゼンチンのモダンフォルクローレバンドCribasの曲「Bicicleta(自転車)」をBGMとして、詩が朗読された。
http://kikuchigumi.blogspot.com/2016/04/255-20160416-denpa954.html
何も持たず身軽、どこにでもいける。どうにでも変わる。自転車のイメージ。そして春のイメージ。
デビッド・バーンの「アメリカン・ユートピア」公演をドキュメントしたスパイク・リー監督の映画では、公演終了後、メンバーが自転車でニューヨークの街へ戻っていくシーンで終わる。それも折りたたみの小径車だ。グループだが、それぞれ独立した個人であるというイメージ。劇場が生活とつながっていて、車のように空間を閉ざさず、旅した土地の誰とでも話す。共に生きているというイメージ。