【24卒しくじり就活生の末路】#4就活体験記-最終戦-
こんにちは。むとうさくらです。
前回の記事では就活体験記の後半戦について紹介しました。
前後半では全て書ききれなかったため今回はその続き、最終戦です。
前半戦から読みたい方はこちら
後半戦はこちら
では早速本題に入りましょう。
この記事で分かること
時期別の就活状況
OBの言葉や衝撃的な選考結果の影響で広告代理店を断念する
こんなに努力しても、3月末まで内定0
【時期別】就活の状況
大学3年冬(年明け)
前回の記事にも大学3年冬の項目を作りましたが、その秋の話の続きです。
近年は就活の早期化が進んでおり、3年の秋から選考を開始する企業も珍しくなくなってきました。
年明けに募集を開始する企業も多かったように思います。
年明けに行ったことは主に以下の通りです。
OB訪問
→3月から忙しくなりそうな予感がしていたので、やるなら今のうちだと思いました。やはり3月以降は忙しくなり、ほぼできませんでした。面接の想定問題集作り
一部のメーカーや広告代理店への本選考エントリー・1次面接
練習用企業へのエントリー・面接練習
→先輩やOBに面接練習をお願いし日程調整するのは疲れたので、実際の企業の面接を練習にする方が効率的であると考え、面接に参加していました。出版社のES提出
メーカーの業界研究とインターンへの参加
1~2月には既に一部のメーカーや広告代理店のエントリーは始まっており、ちょこちょこエントリーを始めました。
この頃は電通や博報堂の子会社ばかりを受けており、ESが通過し、1次面接も通過するのに2次面接で落ちる・・・のムーブを繰り返していました。
また大手出版社の選考も始まりました。
これは出版あるあるなのですが、出版業界はESを書くのがとにかく大変です。
個人的には全業界の中で最もエントリーに労力を要する業界であると思います。大変ポイントを挙げるなら
ESの他別途自己PRシートのようなものを作成する必要があり、それが手書き必須であったりする
↑それをスキャンし、PDFとして提出する必要がある
作文を提出する必要がある企業もある
ESの設問数がとにかく多い
日頃からその出版社の作品を読む・見る必要がある
といったところでしょうか。
人気が高い業界の1つでもあるため、あえてこのように大変にすることで、軽い気持ちでエントリーする就活生をブロックしようとする意図もあると考えられます。
結局2月のほとんどは出版社のエントリーしか思い出が無いくらい、それに膨大な時間と労力を割きました。
メーカーのインターンも2社ほどしか参加できませんでした。
とあるメーカー(製薬)の対面のインターンに参加した際、同じ班の薬学部の人たちがとても存在感を放っており、肩身狭く感じたことがありました。
そのため、帰り道に自分にこの業界は向いていないのではないかと落ち込みました。
それでも人事が「文系出身で活躍している人も沢山いる」と言っていたのを鵜呑みにし、半信半疑ながらメーカー就活は続けようと思いました。
年内内定はできなかったので、年度内内定1社(子会社か面接練習用のベンチャー企業)を目標に定めました。
大学3年春
経団連の決まりでは、3月に就活の情報が解禁されます。
とはいえコンサルやITなどの業界やベンチャー企業はほとんどそれ以前に選考が始まっているため、全業界全企業がここで解禁する訳ではありません。
一方で歴史のある大手企業は3/1からESの内容を確認できるようになったり、提出できるようになったりするところも多いです。
メーカー・商社・銀行などの金融・不動産デベロッパーなんかはそういうイメージです。
3月にやったことは主に以下の通りです。
大手企業(広告代理店・メーカー・新聞社・その他人材など)へ大量のES提出ラッシュ
選考が続いている企業(主に大手子会社の広告代理店)への1次面接・2次面接
テストセンター巡り
上記のこれらは正直みんなやっていると思います。他の人と比べて変わり映えしないと思います。
なので私は3月に印象的だった2つの転機を紹介します。
3年春の転機1:OB訪問で・・・
まずは1つ目。確か3月の上旬だったと思います。
法政大学のリクルートの内定者の男性にOB訪問をしました。別にリクルートに入社したい気持ちはなかったのですが、なぜかOB訪問が決まりました。
その先輩に自分の就活の状況を説明し、
”大手企業のインターンには散々落ちて大手志望は無理だと思ったこと”
”自分のようなレベルには大手広告代理店の子会社が妥当だと思っているためそれを第一志望群にしていること”
を伝えました。
すると、
「本当にそれでいいの?」
という衝撃の一言が返ってきました。
いや、読んでいる皆さんにとっては別に衝撃ではないかもしれません。しかし私にとっては大きな衝撃でした。
思い返せば、私は別にはなから子会社志望なんかじゃありませんでした。
もともとはキー局がよかったし、でもそれが無理で、大手広告代理店も無理そうだから、という理由で身の丈に合っていそうな子会社を目指したのです。
中学時代は、偏差値の高い高校に行きたいと考えていて、実際進学しました。
高校時代は、東京の有名な大学に行きたいと考えていて、実際MARCHに進学しました。
自分は当然有名な企業・大手企業に就職するものだと思っていました。
ただリアリストがゆえ、就活のリアルを知ってしまったがゆえ、その気持ちをどこかに置き去りにしていました。
私はハッとしました。先輩の言葉でそれを思い出しました。
リクルートはレベルの高い社員が多く、人気も高く、新卒での入社は難しい部類に入ると思います。
でもその先輩も自分と同じMARCHという学歴でそのような企業に内定できたのです。
先輩の言葉で私は忘れていたものを思い出し、「もう一度大手企業を目指そう」という志が生まれました。
3年春の転機2:まさかの大号泣
一般的に、ESや面接結果のメールが早く来る人は通過している可能性が高く、なかなか来ない人は落ちている可能性が高いと言われています。
早い人だと面接終了後その場で通過を告げられたり、数時間後~当日中にメールや電話が来る場合もあります。
3月中旬、とある大手の子会社の広告代理店の2次面接を受け、その2時間後くらいにメールが届きました。
これくらいメールが早いと、期待してもいいと思います。
結果は「採用見送り」でした。
びっくりというか、ショックというか、驚きというか、とにかく混乱しました。不採用なのにそんなスピードでメールが来ることある?と思いました。そのびっくりで今まで我慢していた全てが溢れ出し、私は家でこれでもかというくらい泣きました。
就活のことを思って泣いたことは今までほとんどありませんでした。
どの季節もインターンや本選考のエントリーに追われ、泣く暇も無かったからです。
これまで私は就活のために多くの時間や楽しいことを犠牲にしてきました。エントリーしては落ち、結果が出せない・・・の繰り返しは、もう疲れました。
現実を突き付けられ、今までの努力は全て無駄だったような気がしました。
また、負け惜しみではなく、本当にこの企業は別に大して志望度が高いわけではありませんでした。業界内での順位もトップレベルとは言えません。
ただ、精神的にとりあえず内定しておきたかったのです。
ほとんどの大手子会社の広告代理店は受け終わり、受ける企業も無くなってきたため、「もう広告業界はやめよう」と思いました。
おわりに
結局3月末までこんなに努力し、様々な企業を受けても、内定は0でした。
次回の記事ではこの続きと、就活の最終的な結果について紹介します。
気づけば3000字を超える超大作になってしまいました・・・
次回からはもう少し簡潔に書けるように心がけます。