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あなたは「うりずんの詩」というドラマを知っていますか?

1.はじめに
2.ドラマの内容
3.八重山に関して
4.うりずんの意味
5.まとめ
6.補足〜原作・脚本の茂木草介氏に関して

1.はじめに

1972年5月15日沖縄が返還されてから、今年で50周年。
朝ドラでは「ちむどんどん」が4月から放送され、この連休には20年前に放送された「ちゅらさん」も再放送され、NHKでは他の番組を含めて沖縄特集をしていますが、みなさんは「うりずんの詩」というドラマを知っているでしょうか。
注)写真は返還直後の沖縄の道路、車は右側通行であることが分かります。

沖縄50周年


「うりずんの詩」というドラマは、1972年沖縄返還後、初めて沖縄を題材とした連続ドラマです。
実は私もこのドラマのタイトルも忘れており、詳細も知りませんでした。
撮影は返還された1972年の夏に行われていて、ちょうどのその年の夏休みに旅行して宿泊した那覇のホテルで藤岡琢也さんを見かけたことが50年経っても鮮明に覚えています。
当時私は東京近郊に住んでいましましたが、芸能人などは見かけたことがなかったので非常にめずらい体験でした。
この事が50年経っても、このドラマにことが気になっていたので今回私なりにこのドラマの事を調べてみました。

「沖縄本土復帰記念番組」。返還後の沖縄で、戦争の傷跡を秘める女と沖縄守備隊の将校だった男との間に芽生える愛。【放送日時補足】データ欄記載の放送日時は沖縄地方でのもの。全国放送は「銀河テレビ小説」枠(月~金22:00~22:15)にて1972/12/04~1972/12/29に初放送。【参考文献:webサイト「脚本データベース」(2020/08/06参照、http://db.nkac.or.jp/top.htm)】
NHK沖縄局のみ  放送曜日 月~金 放送期間 1972/09/25~1972/10/20
放送時間 13:20-13:35 放送回数 20 回 連続/単発 連続
番組名 銀河テレビ小説
主な出演 :大空真弓、藤岡琢也、木村功、うつみ宮土理、
主な脚本 茂木草介(1)-(20)
主な演出 都成潔

この「うりずんの詩」というドラマ、映像はどの動画サイトにもないようですし、多分この時代の映像はNHKアーカイブにも全ては保存されていないでしょう。
話は脱線しますが、このドラマより数年前に放送されたNHK大河ドラマ「天と地と」はNHKで保管されていたのは初回と最終回のみでしたが、現在のNHKアーカブスには全回保存されているいるようです。
このドラマの主演されていた石坂浩二さんが全放送回分個人で録画されていたそうで、これをNHKに提供されたと予測されます。

2.ドラマの内容

唯一の手がかりの原作本はNHK出版から出版されており、今は新刊本は購入することはできませんが、古本屋やフリマで出店があれば購入できますが稀なケースです。
私は図書館で借りて読みました。

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脚本は国会図書館で保存されているようですが、さすがの素人の私まではそこまでは致しません。
原作・脚本の茂木草介氏に関しては、6.補足で解説します。

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本土出身の沖縄守備隊の将校:村中正治(木村功)と戦争で父母を失い秘密を秘めたスナックのママ:ヨシノ(大空真弓)との恋の行方を描いた物語でした。
しかしただの恋物語でなく、お互い沖縄戦争を体験した「うちなんちゅ」の女性と「やまとんちゅ」の男性の心の揺れを描いた物語です。
スナックに働くヨシノの妹分のリョウ子(うつみ美土里)、村中の勤務する商社の部下宮原七郎(藤岡拓也)が登場します。

うりずん俳優


物語は原作を読むと1972年の返還の年が舞台となっており、ほぼリアルタイムで物語が進行する形になっています。
もちろん1945年の沖縄戦の状況は描かれていますが、あくまで回想という形を取っています。
回想とはいえ、沖縄戦で那覇の住人は南へ南へと逃げ防空壕の中での悲惨な状況は痛ましく、そして今ウクライナで同じようなことが行なわれていることを思うと、人間は70年以上経っても愚かな生き物だと感じざるを得ません。

このドラマ、とにかく資料が本当に少ないんですね。
グラフNHKという隔週(月2回?)の雑誌があったようで、多分現在のNHKステラと同じようなテレビ雑誌だと思います。
この雑誌の中の情報が唯一の手がかりです。
ただ「うりずんの詩」を紹介したこ1972年12月1日号表紙は1972年後期の朝ドラ「あおによし」でした。
表紙はこのドラマのヒロイン:音無美紀子さんです。
この表紙と「うりずんの詩」を特集したページはフリマのHPから引用したものです。

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ロケの現場での写真が紹介されています。
守礼の門の前で写っているのは、主演の大空眞弓さんと木村功さんです。
左上の写真は、木村功さんと藤岡琢也さんですね。
その下の写真は大空さんが港で木村さんを見送るシーンですが、原作では両方共に竹富島での場面です(実際ロケはどこで行なわれたかはわかりませんが)。

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余談ですが、古本屋では下の写真のようなスケジュール表まで売り出されていますね(今は在庫切れ、売り切れたようですが)。

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3.八重山に関して

原作では沖縄本島だけでなく八重山も登場しますが、同じ八重山地方で宮古島と石垣島が長らくあまり仲が良くなかったという逸話も物語の中に組み込まれていました。
ヒロインであるヨシノの母は石垣島出身、父は宮古島出身で共に教師で本島那覇で知り合い、周囲の反対を押し切って結婚しました。
このため、ヨシノの母方の祖母は石垣島に居れないため島を出たというストーリになっています。
その祖母は竹富島に移り住み、竹富島の「星の砂」が原作の中で登場していました。

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一般に「星の砂」が広く知れ渡ったのは小柳ルミ子さんの同名のヒット曲(1978年)ですから、それより6年前とはいえ本土復帰直後のことですから、いかに沖縄を深く取材して書かれたかがわかります。
小柳ルミ子の「星の砂」の作曲:関口宏さん、作曲:出門英さんというのも当時話題になりましたが、これも興味深い点です。
私も含めて多くの方は、当初てっきり作曲は平尾昌晃さんだと思っていました。
出門英さんはもう大分前に亡くなられていますが、ヒデとロザンナのヒデさんですね。

星の砂


昔は文化も交易も竹富島が八重山の中心であったという記述も興味深い記述です。
村中と安岡が勤務する商社は本土復帰に合わせて、観光開発のため不動産の買付に沖縄本島から八重山に足を延ばす訳ですが、村中は当時から開発の手の及んでいない竹富島での土地の買付には躊躇する様子が描かれていました。
現在は、宮古島や石垣島には沢山の観光施設がありますが、竹富島にも「星のリゾート」があることには、50年の歳月を感じざるを得ません。

4.うりずんの意味

「うりずん」と言う言葉は、沖縄や本土でも沖縄料理のお店の名前として使われていますが、一体どのような意味なのでしょうか?
原作の冒頭でも触れていますが、このように記述されています。

うりずんとは、夏のはじめの黒い大地に、水がしみとおって行く有様を言った言葉で、いうなれば大地の甦りをうたいあげた言葉でもある。
そして、それはまた沖縄が過去幾百年にわたって外部からの圧制に悩みながら、いつかは必ず自由で豊かな生活が戻って来るに違いないという沖縄人の願いと祈りと誓いの言葉である。

この「うりずん」という言葉が気になり、宮坂静生著「語りかける季語ゆるやかな日本」(岩波書店 2006年)にこの言葉を使った俳句が出ていたので紹介します。

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ネットで調べて行くと「うりずん」は沖縄本島と八重山とでは意味する内容も少し異なり、その季節、時期もずれがあるようです。

沖縄は本土に比べて桜の開花、梅雨入りは一ヶ月程早いので、季節、季語の感覚、使い方も少し変わるのではないかと思いました。
例年5月の連休明けには、」沖縄では梅雨入りですね。
その意味で「うりずん」という言葉が春の季語か夏の季語が微妙な位置にいます。
でも夏井先生に質問するとおこられそうです(笑)。

夏井いつき

ここで島唄「うりずんの詩」(仲宗根充)を紹介しておきます。
仲宗根充さんは先程引用したサイトで紹介されている仲宗根長一さんの息子さんです。

5. まとめ

1972年の夏休みに家族で沖縄に出かけたと最初に紹介しましたが、父、祖母、弟そして私の4人で8月の初旬3泊4日程で沖縄本島を巡り、その後父と祖母は東京に戻り、当時中学1年の私と小学4年の弟はである那覇首里ある父の旧友の家に4,5日ほどお世話になりました。
帰りは弟と二人で東京まで帰ったのもいい思い出です。
泊まった家は守礼の門にほど近い場所でしたが、50年前は数年前火事にあった首里城は復元されておらず首里城跡となっており、首里には守礼の門しかありませんでした。
先程ドラマのロケ地での写真にあるように、現在程「守礼の門」の周辺は観光地として整備されていませんでした。

守礼の門

私と弟と同じ年頃のこの家の兄弟と近くに出かけたり家で遊んだりしましたが、残念なことに具体的にどう過ごしたかあまり記憶にありません。
ただ一つ気になって今で記憶に残っていることは、この家の奥さん(この兄弟の母親)と「うりずんの詩」のことを話したことが脳裏に残っています。
具体的なことは忘れたましたが、奥さんの「うりずんの詩」に対する思いに何か引っるものがあったことがずっと気になっていました。
これが私が50年間気になっていたことであり、今回このドラマを調べて見ようと思ったきっかけです。

この奥さんは朝ドラファン(カムカムの雉真雪衣さんのような)の人で朝ドラのことは饒舌に話していましたが、何故かこの「うずりんの詩」関しては口ごもったような印象を受けました。
8月ではまだこのドラマは沖縄でも放送されていませんが、放送前から沖縄ではドラマの舞台でロケも行なわれていたこともあり、大きな話題となっていました。

やはりお互い沖縄戦争を体験した「うちなんちゅ」の女性と「やまとんちゅ」の男性の心の揺れを描くのいうことが、本土復帰直後の沖縄に人にとって何か見えない溝があるのではと、勝手に推測してしまいました。
この奥さんは多分昭和一桁か昭和10年前後に生まれた方なので、当然少女期に沖縄戦を体験されているのでしょうから、その感情があるのはごく自然なことだと思いました。

出演された俳優さん、藤岡琢也(2006年没)さん、木村功(1981年没)さんも故人となっています。
大空眞弓さんも最近お見かけしないと思ったら、9度のがんを乗り越え現在は石垣島に移住しているようです。
大空さんは父親が宮古島出身という点と、このドラマの舞台の一つが石垣島といことも関係しているのだろうかと、何か色々考えてしまいます。

実は私自身も本土復帰の年1972年の沖縄旅行以来、沖縄には訪れたことはありません。
別に避けていた訳ではありませんが、予定があっても病気になったり何回かチャンスを逃していて、沖縄に嫌われているのかなとも思ったこともありました。
近いうちに何も気にせずに、沖縄旅行に行けることを期待したいと思います。

6.補足〜原作・脚本の茂木草介氏に関して

① NHK大河ドラマ「太閤記」1965年、
② NHK大河ドラマ「樅の木は残った」 1970年
③ NHK連続ドラマ「けったいな人びと」1973年 - 1974年、
④ 「続けったいな人びと」1974年 - 1975年等
が代表作です。

茂木草介

① 緒方拳さんが秀吉を演じた作で、第1話の冒頭に新幹線の映像を使う等斬新な演出で有名な作品でした。高橋幸治さんが演じた信長も人気でした。
② 原作は山本周五郎の歴史小説、江戸時代前期に仙台藩伊達家で起こったお家騒動「伊達騒動」を題材にしており、主人公の原田甲斐に平幹二朗さん、甲斐の周囲に2人の女性に吉永小百合さんと栗原小巻さんが演じていたのも話題でした。
③④ 茂木さんの半自伝的作品(家族がモデル)と言われ、八千草薫さんそして笑福亭仁鶴さん、藤田まことさんと関西の演芸、喜劇の大物が出演していたことが話題でした。

以 上



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