君の部屋で|ショートショート
僕たちは口裏を合わせ、体調不良だと嘘をついた。
午前中の授業を終えると、二人とも頼れる友人に伝言をお願いし、給食を食べることもなく、学校から逃げ出した。卒業まで一ヶ月ほどだった。変な噂にならなければいいなと思った。
学校の裏にある曲がり角で、彼女は先に待っていた。髪をショートカットにしているせいか、白く艶やかな肌をした首筋が、際立って美しく見えた。
「ごめん、待たせて。誰にも見られなかった?」僕は言った。
「たぶん大丈夫」前髪を整えながら、彼女は言った。
肩を並べ、背後を気にしながら歩き、学校からそれほど遠くない彼女の家にやってきた。住宅街の中にある、グレーの外壁をした二階建ての一軒家。一階のカーテンの隙間から誰かが覗いているような気がした。
彼女が鍵を取り出し、ドアを開けると、誰もいないはずの玄関でトイプードルに吠えられ、心臓が止まりそうになった。
「ただいま」彼女に抱きかかえられ、リビングの奥に運ばれていくトイプードルと目を合わせながら、僕は形だけ「お邪魔します」と言った。
彼女の部屋は二階にあった。玄関のすぐ側にある階段を登っていった。階段の途中には彼女とその妹がまだ幼い頃の写真がいくつか飾られていた。立ち止まっていると「恥ずかしいから見ないで」と彼女が照れくさそうに言った。
部屋に入ると、通りに面した窓から午後の日差しが柔らかく差し込み、勉強机に置かれた小さな観葉植物を照らしていた。入って左側にはシングルベッドがあり、向かいの壁際にある白いローシェルフの上には、小型テレビが置かれていた。間にあるローテーブルの上には何も物がなく、部屋全体が綺麗に掃除されていた。
「ちょっと待ってて、お菓子とかいる?」
「うん、ありがとう」
少しの間、部屋の中で一人になった。本棚やクローゼットの中を物色したい気持ちにもなったが、頭がぼーっとしていた。
何て言い出せばいいのだろう?
そもそも許しを請うようなことなのか?
その時の僕には分からなかった。
考えがまとまらないうちに彼女は戻ってきた。持ってきてくれたオレンジジュースを飲んでも、チョコレート菓子を食べても、気分は落ち着かなかった。窓の外ばかりに目をやっていると、「何で緊張してるの?」と笑って肩を叩かれた。
その日は彼女が気に入っているというミュージカル映画を見た。内容はあまり覚えていない。僕たちはベッドにもたれかかるようにして、白い円形ラグの上に座り、肩を並べていた。彼女が体を揺らし、すっかり音楽の世界に浸っているのが伝わってきた。そうしていると、時より手が触れそうになった。
映画の途中で、玄関の方から物音がした。僕はドキッとして、つい立ち上がろうとしてしまった。それに、玄関の靴をきちんと揃えてこなかったことを後悔した。
映画を一時停止して、彼女が一階を見に行ってくれた。物音がしたのは、ケージから脱出したトイプードルがリビングを走り回っているせいだった。彼女が言った通り、家族は誰も帰ってこなかった。
少しずつ日が傾き始めていた。時間はあまり残されてはいなかった。次はいつこんな機会が訪れるか分からない。もう二度とこんな日は訪れないかもしれない。そう、思った。
春がくれば進学という理由で、生まれ育った土地を離れることになっていた。彼女とは、どうしても離ればなれになる運命だった。それでも当時は、今の関係は刹那的なものではなく、ずっと想い合うことができると信じていた。
映画はまだ終わっていなかったが、僕は震える両手をそっと彼女の肩に置いた。彼女は驚いたような表情でこちらを見つめた。それから、ゆっくりと唇を重ねると彼女は静かに目を閉じた。
彼女の背中をベッドフレームに押しつけ、せき止めていたものが溢れるように何度もキスを繰り返した。
罪悪感と悲哀を胸に抱えながらも、夢中になって繰り返した。他のことは何も考えられなくなった。
あれから、もう十年以上の歳月が流れた。
どうしてあの日、口づけをしている最中に彼女は泣いたのか。誰かの妻になってしまった今、その理由を知ることはできない。
僕には僕の生活、彼女には彼女の生活がある。
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