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連載小説|寒空の下(1)

 冷たい冬の雨が降っていた2月のある日、俺は大学の単位を取り損ねたことを知った。嫌な予感はしていたが、テストの出来具合があまりにも悪かったらしい。大学生活最後の学期にもかかわらず、卒業するのに必要な単位分しか授業を履修していなかった。3月に卒業する予定が、あと半年ほど延期になった。もしもの時のため、多めに授業を取っておけばよかったのだが、それは自分の流儀に反していた。

 周りのほとんどの学生のように4月から働く先が決まっていたわけではなかったけれど、卒業したらすぐに放浪の旅に出ようと決めていた。ストーカーのようにまとわりついてきた教育というしがらみから離れてしまえば、あとは自由になると信じていた。だからこそ、卒業できないという事実は深刻だった。

 成績表が送られてくる日は前々から知らされていた。単位を落した授業のテストを受け終わった時から、成績表が届く日は家でじっとしていようと決めていた。少しばかりテストの手応えが悪かったが、きっと大丈夫だと信じ、念のための確認をしようと思っていた。単位を落すことになるとはまったく考えていなかった。むしろ、俺みたいな厄介な人間の世話をしなくてもよくなるわけだから、わざわざ大学だって留年させるような真似はしないはずだとばかり考えていた。

 簡単な朝食を済ませ、台所で丁寧に食器を洗い流すと、玄関の裏側に設置してあるポストの受け口の前に座り、来たるべき瞬間を待った。テレビもつけなかったし、音楽を聴いたりもしなかった。ただじっと体操座りをして、よく躾けられた犬のようにしていた。だから、郵便局員が乗ったカブの響かせる排気音がすぐに分かったし、アルミ製のポストに封筒が落ちた時の音は嫌気が差すほど耳に残った。雨のせいで白い封筒は端のほうが濡れていて灰色に変色していた。

 封筒を開き中身を確認してからしばらくの間、意識が虚ろになった。空気の動く音が聞こえた。つーっという電話を切ったあとのような音。それがずっと続いた。どうしようもないと分かっていたが、すぐに現実を受け入れることは容易ではなかった。卒業できないとなれば親に連絡しないといけないし、卒業する予定で計画していた旅のスケジュールは全て台無しだ。

 俺はとりあえず現実から逃れようと思った。紺色のレインコートを羽織って近くの喫茶店まで散歩にでかけた。文庫本と財布だけをポケットに入れた。

 外に出ると、雨は相変わらずやむことなく降り続いていた。

 だからといって、大げさな映画のように悲しみに打ちひしがれ、傘も差さないで町を歩こうとは思えなかった。あんなことをする人間はどうかしている。長い時間雨に濡れれば、風邪を引くことにもなるし、面倒事が増えるだけで何の解決にもならない。雨にあたりたいならもっと暖かい季節にやればいいし、そもそも最近の雨はきれいじゃないからやめたほうがいい。傘を差していれば濡れることはないし、雨粒が傘に当たって跳ね返るときの心地いい音を聞くこともできる。

つづく

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