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<前二期>

‐1982~1986年頃‐

※ 愛をテーマに描き出す。題名の総てを「Love composition」とする。
※ コメントは当時のことばです。

「赤い階段」オイルクレヨン画

 1982年“人間の幸せの本質”について小冊子に纏めた後、引き続きインスピレーションをクレヨンを使って絵にしたもの。
一辺が10㎝程のエスキース(下絵)となり、これを元に油彩画にした。


エスキース4点/オイルクレヨン画

 わたしが選ぶ画材は、当初から無機質でないものだった。
 油彩・グワッシュ(不透明水彩)・オイルクレヨンどれも有機的な質感がある。


右の作品が左になる/油彩画

ミロの作品に衝撃を受けて、技法など何も知らずに油彩を始めた。
始めはぬり絵である。


「笑う山」縄の額装

 当時、額縁というものに違和感を持ち、わら縄を使い壁から浮かしてみた。
 自分では額という問題を克服したつもりでいたら、逆に意識しすぎではないかと言われた。
 自分の思いを人に届けるということは、なんと難しいのだろう……



右から左へ変化/油彩画

 抽象画として描いていた。
 しかし本当のところ曖昧画であったと思う。
 自分の感じたものを人に伝えるため形にすることとは、その時の自分自身と、まずは向き合わなくてはならないということ。
……人に伝わらないものが、自分に足らないところであることを思い知らされる。
 表現して行くことは、自分を確かめて行くことなのだ、と識らされる。


「自画像」/油彩画

絵はいつしか自画像となる。


「からだ」/油彩画

内的な自画像である。


油彩画

表現を始めると、自分自身が克服すべき課題なのであろう…、
醜いものが涌き出す。
 そして、その後も水先案内のように付き添う。



上は、佐世保・島瀬美術センターでの、オイルクレヨン画初個展のときの看板。
 これが一番良かった……と言った人が居た。
 その時は、なんのことだか解らず“むっ”とした。


「Love composition 展」会場風景

100点を越える絵を飾らせて頂いた会場内の風景です。



グワッシュ(不透明水彩)で描いた作品


「日本國」/グワッシュ


グワッシュ

 自分の中から現れるものは、ある面美しく、ある面醜い。
 ある面本当であり、嘘も含んでいる。
新しいと思っているものは、既に行われたものであり自分が只知らないだけなのである。
……しかし、そのような客観的な知は智となり得るものだろう。


カンディンスキー風

 表現を通して、自分を再発見して行く。
 ただ、それだけである。
 そこには誰かに評価されるものは存在していない。
 自分が評価すべき問題が横たわっているだけなのだ。
 そこを忘れた作品は、表現では無くなる。


当時、裏高尾に住んでいました。

 自分を確かめる。
 しかしそのことで人を傷つけることもある。
 そのことをしっかり肝に銘じておかないと、
 永遠に、自分は自分の理想には届かないのである。
 自分の理想などおこがましくてとても口になどできないが、なによりも大事な問題である。



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