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母がゴミに混ぜたもの

今日は休日だからゆっくり寝られるう〜!...って思ってたけど、資源ごみを出す音で目が覚めた。瓶を回収ケースにいれるカチャンカチャンって音が辺りに響いてる。慌てて起きて資源ごみを出しに行く。私はいつも朝寝坊なので、朝決まった時間帯に資源ごみをだすのが苦手。でも今日は出せた!ゴミ出しただけでこんなに達成感を得られるなんて、どんだけぐうたらな日々を過ごしているのか私。とにかく、二度寝せずそのまま起きて今これを書いている。

資源ごみというと思い出すのが母のこと。まだエコなんて言葉がなかった半世紀も前。母と近所のおばちゃんたちが立ち話で、「そうなのよ、瓶持ってってくれなくなっちゃったのよ、意地悪ねえ」って愚痴ってた。当時はまだペットボトルなんてない時代。コーラもジュースも醤油もみんなガラス瓶。コーラやジュースは、空き瓶をお店に持っていくとお金を返してくれた。でも、醤油の瓶なんかは多分ゴミとして捨てていたんだろうなあ。そして、それを生ゴミと一緒に回収してくれなくなったってことは、主婦としては大問題だったのであろう。今後どうすればいいか、っていうアナウンスはおそらくあったに違いない。回覧板とか?わかんないけど。でも、母たちの耳にはうまく届かなかったんだろう。理由すらもよくわかってなかったんだろう。自治体に問い合わせたりはしなかったのかなあ。

母はしょっちゅう面白いことを思いつくアイデアマンだった。手作りの洋服は斬新なデザインだったし、料理もなんか見たこともない独自のレシピが多かった。それと同時にかなり天然ちゃんだったので、とんでもないことをやらかすこともあった。そんな母が思いついた対策が、

瓶をこなごなに割ってゴミの袋に混ぜる

という技だった。母だけではない、母にそのアイデアを伝授された近所のおばちゃんたちも喜んでその技を使ったのである。なんせ意地悪をされたお返しである。母たちにとっては正当な対策である。その結果「持ってってくれた!」と勝ち誇った様に喜ぶ母の姿を見て、子供だった私は「お母さんすげえ、天才」って思っていたけど、今になってみるとどんだけご迷惑をおかけしたのやら。今みたいにゴミの分別がなってない!と、突っ返されたりしない時代。ゴミ出し警察のおばさまなんていなかった時代。

あれからなんと半世紀が経っている。多分あのころが、ゴミを減らそうとかリサイクルしようとか環境に配慮する活動の始まりの時期だったんだろう。なのに半世紀の間に、ゴミは全然減ってないどころか、新たな種類のゴミ、ペットボトルとかレジ袋とかお菓子の個包装の袋とかそんなものがどんどん増えた。これからの半世紀は母たちのように「よくわかんない」とは言っていられない。ひとりひとりが環境のことをきちんと理解して、向き合わないとね。

あ〜、でも資源ごみだすのホントに苦痛。月2回決まった日の決まった時間に、しかも朝っていうのが。いつでも出せるゴミステーションがあっても遠いから、もっとあちこちに作って欲しいなあ。(ただのわがままです、わかってます、わかっちゃいるけど)。



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