個の時代に消費されない「ドア型人材」という生き方
こんにちは、岡山史興です。
企業や地域のブランディング、事業開発を生業とする(株)am.の代表取締役で、「次の70年に何をのこす?」をテーマにしたメディア『70seeds』編集長を務めています。
このnote『恐竜は死ぬ』では、右肩上がりを前提としない「小さな営みの時代」を生きるための経営や生きかた・働きかたの話をまとめています。
先日、私はTwitterでこんなつぶやきを投稿しました。
それなりに反響をいただいたのですが、このあたりの感覚って実はみなさんそれなりに持っているんじゃないでしょうか。
たとえば、こんな感じ。
肩書きってダルいときない?
ネットを見回すと、そこかしこで承認欲求を煽る声。
もちろん、社会人として活躍していける、ひとかどの人物として身を立てるのはとてもいいことだと思っています。
ですが、、、
実際のところはこんな感じじゃないでしょうか。
得体のしれぬ不安感から、とにかく「有名になる」ことが目的化してしまう。
でも、数字で測れる価値はえてして陳腐化していくもの。
終わりのない泥沼に足を踏み入れたようなものです。
この現象はなぜ起こるのでしょうか。
その答えはこういうことだと思っています。
みな、「個の時代」を誤解しているから
従来の常識が崩れ、「個人の力」が問われる社会になっていく。
だから、スキルを磨き、名を売り、自分をキャラ付けしていかなくてはいけない――。
本当でしょうか?
原因は「仕事はもらうもの」発想にある
指名されて仕事に困らないスタープレーヤーを「プル型人材」と定義します。
会社員でもフリーでも存在する彼らは、「個の時代」のロールモデルとしてもてはやされることもしばしば。
ですが、ちょっと考えてみましょう。
「プル型」が長続きしにくい構造に気づきます。
「有名人とは、有名であることによって知られる人である」とはよく知られた格言ですが、「プル型」はまさに「消費される」存在だといえます。
社会全体が右肩上がりに成長していた時代は、「求められるもの」が明確でしたから、「このスキル」「この役割」という立ち位置を確立すれば食っていくことができました。
ですが、今はそんな時代ではありません。
求められるものも、役割の価値も流動性が激しい現代、「プル型」ではない成長の仕方ってないのでしょうか。
その答えは「ドア型」
自分を高めるのではなく、あくまでも自分を媒介にして価値が行きかう「流れ」をつくれる人。
存在が「媒介=メディア」となり、周りを活かすことができる人。
そんな「ドア型」の特長はというと、
「周り」を前提にした働きかた
「自分のスキル」に依拠する働きかたではなく、「周りが必要とする役割」を担うことができる働きかた。
人月いくら、という誰かが相場を定義した仕事ではなく、「やってみる」ことから価値を生み出す働きかた。
あなたの周りにもきっと、思い当たる顔があるはずです。
「なんだかめちゃくちゃ顔が広くて、いい出会いをくれるあの人」
「ふわっとした相談に、いつでも答えを出してくれるあの人」
「何の人、と言えるわけじゃないけどいつもお世話になってるあの人」
そう、「ドア型人材」とは、
流行りすたりに左右されない、利他的な実践主義者
「自分のスキルを高めたい」
「とにかく有名になりたい」
そう思うことは悪いことではないと思います、むしろいいことでしょう。
ただ、ある程度成長しても「自分のため」でしかないことって、悲しい。
上の図でも示した通り、スキルを磨くことで「プッシュ」から「プル」へは行けますが、「ドア」への成長は非連続なのです。
そこにはスキルだけではなく、スタンスの変化や成長が必要。
ただし、一筋縄ではいかないその先にはきっと、利己的な成長よりも充実した「仕事の喜び」が待っているはず。
なお、最後に「ドア型」の人たちが持つ、ある共通スキルについて記して終わりたいと思います。
それは、
「つかむ」「つくる」「うごく」
これらはとても地味ですが、間違いなく必要な力。
特に最後の「うごく」。
労働人口が減っていき、AIの活用が当たり前になっていく中、ますます「評論家」は必要ない存在になっていきます。
それよりも、いかに「実践できるか」。
相手を前提とした行いを淡々と続けられるか。
その先にあるのが本当の「自分だけの肩書き」なのかもしれません。
肩書きってダルいときない?
画・文 岡山史興