ブランドを殺すのは、ありがたがる消費者なのかも。
あけましておめでとうございます。70seeds編集長の岡山です。
今年もよろしくお願いいたします!
世の中の価値観がマスから個人の多様性を反映するように変化していく中で、より生きやすい社会と個のありかたについて考えをめぐらせてきたこのnote「小さな“営み”の時代」も、5回目となりました。
今回のテーマは、この1年間温めたネタで、これまでの集大成でもあります。
ちょっと長くてかためかもしれませんが、ぜひ楽しんでいただけたらうれしいです。
初売り、行きましたか?
高校生だった頃のわたしにとって、初売りといえば、年明けの早朝から地元の人気ショップ前に並んで、福袋や普段は買えない「いいもの」をセール価格で手に入れる、ある種の「お祭り」でした。
ですが、だんだんと大人になるにつれて、そして趣味嗜好が多様化するにつれて「安価で手に入れた+誰かに価値を規定された」ブランド品に価値を感じなくなっていきました。
もちろん、世の中ではいまだに、ブランド品を身につけることで自分の価値を示すふるまいをとる人もまだまだ存在します。
ただ、身にまとうブランドの役割が、その人の「価値」よりも「価値観」を示すようになってきているのではないか、そう思うのです。
そんな状況って何かに似ているな・・・と考えていたとき、ふとつながったのがこちらです。
オンラインサロンってひと昔前の「ハイブランド」かも。
2018年、IT・スタートアップ関係者やブロガー界隈を中心に、一気に広がっていった「オンラインサロン」。
一般社会にはまだまだ浸透していないものの、人気オンラインサロンが次々と運営を外部委託し始めている状況が、その過熱ぶりを示しています。
同時に、Twitterなんかでよく見かけるようになった「●●サロンメンバー」「●●のフォロワー」という肩書き。
・・・あれ?これって「GUCCIのカバン」「Supremeのコラボスニーカー」みたいになってない・・・?
ブランド3つの価値
ブランドの価値は、大きく3段階に分類されてきました。
1つ目は「機能価値」。読んで字のごとく、機能的にどう優れているか、という点が価値として取り扱われます。
2つ目は「情緒価値」。これは、そのブランドを持つことで自分自身がどんな気持ちを得られるか、という点。
3つ目は「自己表現価値」。そのブランドを持つこと、利用することがステータスや価値観提示として扱われる状態です。
もともと、「興味のある情報に触れられる」という機能価値から始まったオンラインサロンが、「知的好奇心を満たしてくれる」という情緒価値、そして「“あの人”とつながっているアピール」=自己表現価値へと進化していったと言えるでしょう。
そして、少なくない人たちがサロンやブランドをステータスとして「消費」していくようになった。
・・・ただし、世の中はもう次へと向かっているような気がするのです。
ありがたがる“消費者”に食いつぶされるブランドの価値
こんな声、見たことありませんか?
「あの裏原系ブランド、●●って芸能人がインスタにあげてたからもう着たくないな・・・」
「あのハイブランド、日本だと高校生が使ってるイメージでもう持ちたくないな・・・」
これは、3段階で語られるブランド価値は、どこまでいっても「消費」されるものでしかないということ。
そして、「消費」されるきっかけをつくったのは、もともとそのブランドをありがたがっていた自分自身。
好きだったはずのブランドを自ら殺してしまう、そんな皮肉が(マス・)ブランドビジネスの世界では常に起き続けてきたのです。
選択肢が限られ、次々と新しい“消費者”を開拓できた「大きな営みの時代」であれば、それでも生き残ってくることができましたが、これから生まれるブランドが同じやり方で生き残っていくことは難しいでしょう。
それは個人の側にとっても、ただ与えられるだけでいてはいつまでも「ブランド探し」に消耗し続けるということ。
ではどうしたら、本当に自分が「好きだ」と言えるブランドに出会うことができるのか。そのヒントが、2018年に過渡期を迎えたもう一つのオンラインサービスにありました。
クラウドファンディングが示すこれからのブランド。
2018年、オンラインサロン以上に一般化したのがクラウドファンディングでした。クラウドファンディングをきっかけにファンを増やしたブランドも、いくつも生まれています。
その代表的な存在が「インターネット時代のワークウェア」を掲げるALLYOURS。彼らは、支援者のことを「共犯者」と呼び、ともにブランドをつくっていく存在として巻き込んでいます。
この現象が、個人にとってのブランドの新たな価値を示している、とわたしは思うのです。
それが、「かかわり価値」。
これまでのブランドが「ユーザーに与える」ことを前提としていたのに対して、「自らかかわる」ことそのものが価値である限り、ブランドもユーザーも「消費」の関係にならないのです。
ある意味で、個人にとって大切なのは「消費者をやめる」ことだと言えるかもしれません。
これはマーケティングの話ではなく、価値観の話。
このような話をすると、「コト消費」や「ストーリー消費」というトピックと結び付けられがちなのですが、まったく違います。
どちらも、これまでの3つのブランド価値で語れてしまう、「消費者目線」のものでしかありません。
自己表現価値に行き着いたブランドは、価値観がますます多様化していく中でいずれ終わりを迎えてしまう。
かかわり価値は、個人が消費ではなく「与えること」に見出す価値。
そして、そんな主体性を持った個人にとって自らがかかわるブランドは、身にまとう肩書きではない、ほんとうの「居場所」のようなもの。
消費されるだけのこれまでのブランドとはちがって、「居場所」は守りたくなるものです。
そして、消費するのもされるのにも違和感を持ちはじめた個人にとって、大切なのはきっと自分なりの「かかわり価値」を見つけだすこと。
2019年、与えられるより与える年にしてみませんか?
画・文:岡山史興
※年末からこんなnoteの編集もやってます。よければお楽しみいただけると幸いです。