【古文】他人(ひと)を評するは己(おのれ)を評す/『紫式部日記』を読んで
『紫式部日記』には和泉式部、赤染衛門、清少納言の三人について歌人として評価している箇所(二節)がございますね。
あの人のあそこが良いの悪いのと「他人(ひと)を評することは、その実、己を評すること」なのでございます。平安時代にこのような考え方があったのか否かは定かではございませぬけれども、さて、思慮深き紫式部女史はどうであったのでございましょうか。
他人(ひと)に対して、かなり高飛車な言い様でございますけれども、最後に自身のことに触れてございます。やはり、他人(ひと)こと言うばかりでなく、このような姿勢が必要なのではないかと思うところでございます。
実のところ、どうであるのか、人物評の節二つを拾ってみましょう。
※以下、古文の引用は<小谷野純一『紫式部日記』笠間書院>版より
現代口語訳:高安城征理 辞書に拠る注釈、太字:本記事の著者
♣第五十一節「和泉式部といふ人こそ」
和泉式部といふ人こそ、おもしろう書き交はしける。されど、和泉式部はけしからぬ方こそあれ。打ちとけけて文はしり書きたるに、その方の才(ざえ)ある人。はかないことばのにほひも見えはべるめり。歌は、いとをかしきこと。ものおぼえ、歌のことわり、まことの歌よみ様(ざま)にこそはべらざめれ、口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目にとまるよみ添へはべり。それだに、人のよみたらむ歌難(なん)じ、ことわりゐたらむは、いでや、さまで心は得じ。「口にと、歌のよまるるなめり」とぞ見えたるすぢにはべるかし。「恥づかしげの歌よみや」とはおぼへはべらず。
丹波の守の北の方をば、宮、殿などのわたりには匡衡衛門(まさひらゑもん)とぞいひはべる。ことにやむごとなきほどならねど、まことにゆゑゆゑしく、歌よみとて、よろづのことにつけてよみ散らさねど、聞こえたるかぎりは、はかなきをりふしのことも、それこそ、恥づかしき口つきはべれ。ややもせば、腰はなれぬばかり折れかかりたる歌をよみ出で、えもいはぬよしばみごとしても、われかしこに思ひたる人、にくくも、いとほしくもおぼえはべるわざなり。
(和泉式部という人とは、手紙を興深く交わしました。しかし、和泉式部には感心しない面があるのです。気を許して手紙をすらすら書いたとき、その方面の才能のある人です。ちょっとした言葉の艶やかさも感じられるようです。歌は、とてもすばらしいものです。しかし、歌の知識や歌の決まり事では、真の歌人の在り様ではないようですが、口から自然に、必ず興味あることを一節、目にとまるものを詠み込んであります。それであってさえも、人が詠んだ歌を批判し、論断するところは、さてさて、それほどに会得していないでしょう。「口をついて歌が詠まれるのであろう」と見える筋合いなのです。「引け目を感じる歌人である」とは思われません。
丹波の守の北の方を、中宮や殿あたりでは匡衡衛門(まさひらゑもん)といっています。特に重要なことではないのですけれども、まことに風格があり、歌人として、いろいろのことに関して詠み散らしはしないけれども、評判になっている限りでは、ちょっとした折々に詠んだ歌でも、それこそ、立派な読み様なのです。(こうしたあの人を見ていますと)ややもすると、腰が離れてしまうぐらいに折れかかっている歌を詠み出して、いいあらわすこともできないほど気取った振る舞いをしても、自分をすごいと思い込んでいる人は、憎らしくも、可哀想にも感じられる行ないです。)
※「めり」、推量の助動詞、ラ変型活用(―/めり/めり/める/めれ/―)[推量、婉曲]~のようだ、~のように見える、の意.、終止形接続(ラ変には連体形接続)
※「かし」強意の終助詞
※「おぼゆ」(覚ゆ)自動詞 ヤ行下二段活用(え/え/ゆ/ゆる/ゆれ/えよ)
思われる、感じられる、思い出される、の意
☞「心あらん友もがなと、都恋しうおぼゆれ」<徒然草 一三七>
(情趣を解するような友がいたらなあと、(そういう友のいる)都が恋しく思われる)
☞「昔おぼゆる花橘(はなたちばな)、撫子(なでしこ)、薔薇(さうび)くたになどやうの花くさぐさを植ゑて」<源氏物語 少女>
(昔のことが思い起こされるたちばなの花、なでしこ、そうび、くたになどといった花をいろいろ植えて)
※「はづかし」形容詞 シク活用(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ)
気が引ける、気恥ずかしい(自分の気持ち)、こちらが気恥ずかしくなるほど立派である、の意
☞「はづかしき人の、歌の本末(もとすゑ)問ひたるに、ふとおぼえたる、我ながらうれし」<枕草子 うれしきもの>
((こちらが)気恥ずかしくなるほどりっぱな方が、歌の上の句と下の句をたずねたときに、さっと思い出したのは、我ながらうれしい)
※「丹波の守の北の方」は、父赤染時用(あかぞめときもち)が衛門府の官にあったこと、夫が大江匡衛(おほえまさひら)であることから、匡衡衛門(まさひらゑもん)、または赤染衛門(あかぞめゑもん)と呼ばれる。
※「腰」は、歌の第三句のこと、第三句と第四句との繋がりの悪い歌を腰折れという。
※「ゆゑゆゑし」形容詞 シク活用((しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ)
奥ゆかしく気品がある、嗜み深い、の意
☞「御手も、細かにをかしげならねど、書きざまゆゑゆゑしく見ゆ」<源氏物語 浮舟>
(ご筆跡もきめこまかく美しいというのではないが、書きぶりは奥ゆかしく気品あるように見える)
※「よしばみごと」(由ばみ事)、気取った振る舞いのこと
※「かしこ」(畏)、りっぱなこと
☞「『かしこの御手や』と」<源氏物語 葵>
(「りっぱなご筆跡だなあ」と(言って))
♣第五十二節「清少納言こそ」
清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名(まな)書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。かく、「人に異ならむ」と思ひ好める人は、かならず見劣りし、行く末うたてのみはべるは。艶(えん)になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづから、さるまじく、あだなる様にもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。
かく、方々につけて、一ふしの思ひ出でらるべきことなくてすぐしはべりぬ人の、ことに行く末のたのみもなきこそ、慰め思ふ方だにはべらねど、「心すごうもてなす身ぞ」とだに思ひはべらじ。その心なほ失せぬにや、物思ひまさる秋の夜も、端に出でゐてながめば、いとど、「月やいにしへほめてけむ」と見えたる有様をもよほすやうにはべるべし。「世の人の忌むといひはべる鳥をもかならず渡りはべりなむ」とはばかれて、少し奥にひき入りてぞ、さすがに心のうちには、尽きせず思ひ続けられはべる。
(清少納言という人は、得意顔で並々でなくいた人。あれほど賢そうに振る舞い、漢字を書き散らしております程度も、よく見ると、まだまだ足らぬところが多いのです。このように、「人とは別格である」とひたすら思っている人は、かならず見劣りがして将来酷くなっていくだけですよ。雅やかに振る舞っている人は、大いに何かあるという訳でもないときにも、情趣的に盛り上げようとして、趣のあることも見逃さないようにしているうほど、おのずと、そうあるべきでなく、不誠実な有様になってしまうに違いありません。そういう不誠実な性質になってしまった人の末路が、どうしてよいでありましょうか、よいはずがありません。
このように人物批評をしてきて、(いろいろのことに関して)何か一つ思いだされるべきこともなく過ごしてきた人の、特に将来の頼りどころがないというのは、慰めようと思うすべさえないのですけれども、「心を荒涼として世を過ごす身」とだけは思いたくありません。(でも、)その(将来の頼りどころがないという)心は未だ消え去らないのでしょうか、もの思いが深まる秋の夜にも、部屋の端に出たままぼんやりと過ごしていますと、いっそう、「月は、昔を褒めてくれたであろうか」と今まで見えていた通りの有様(我が身)を取り扱うようにあるのがよいのでしょう。「世の人が嫌うといっている鳥でもきっと渡ってくるでしょう」と行き悩んだので、ちょっと部屋の奥に引っ込んでも、流石に心のうちでは尽きることなく思い続けられるのです。)
※「さかしだつ」自動詞 タ行四段活用(た/ち/つ/つ/て/て)
賢そうに振る舞う、利口ぶる、の意 ※「だつ」は接尾語
※「真名(まな)」、漢字のこと
※「転(うたて)」副詞、転(うたた)の転じたもの
ますますはなはだしく、いっそう酷く、異様に、不快に、の意
☞「葉の広ごりたるさまぞ、うたてこちたけれど」<枕草子 木の花は>
((桐(きり)は)葉が広がっているのが、異様におおげさだけれど)
☞「人の心はなほうたておぼゆれ」<徒然草 三〇>
(人の心というものはやはりいやに思われる)
※「漫(すず)ろなり」形容動詞 ナリ活用(なら/なり・に/なり/なる/なれ/なれ)
何とはなし、何ということもない、思いがけない、の意
☞「いみじく泣くのを見給(たま)ふも、すずろに悲し」<源氏物語 若紫>
((尼君が)ひどく泣くのを(光源氏が)ご覧になるのも、何とはなしに悲しい気がする)
☞「つた、かへでは茂り、もの心細く、すずろなる目を見ることと思ふに」<出典伊勢物語 九>
(つたやかえでが茂っていて、なんとなく心細く思いがけない(ひどい)目にあうことだと感じていると)
※「徒(あだ)なり」形容動詞 ナリ活用(なら/なり・に/なり/なる/なれ/なれ)
もろい、誠実でない([反対語] 忠実(まめ)なり)、疎略である、の意
☞「会はでやみにし憂(う)さを思ひ、あだなる契りをかこち」<徒然草 一三七>
(会わないで終わってしまったつらさを思い、はかない約束を恨み嘆き)
☞「確かに御枕上(まくらがみ)に参らすべき祝ひの物にて侍(はべ)る。あなかしこ、あだにな」<源氏物語 葵>
( 確かに枕もとに差し上げなければならない祝いのものです。決して疎略に扱ってはいけません。)
※「べし」、推量の助動詞、形容詞型活用((べく)、べから/べく、べかり/べし/べき、べから/べけれ/―)、きっと~であろう、~に違いない、の意
※「いかで-かは」、副詞「いかで」+強意の係助詞「かは」
⇒「いかでか」を強めたもの、意味は「いかで」「いかでか」より強い
[強い願望]どうにかして、なんとかして、[疑問]いったいどうして、どのようにして、[反語]どうして~か、いや、~でない、の意
☞「いと興ありける事かな いかでかは聞くべき」<源氏物語 明石>
(たいそう興味をひかれることだ。なんとかして聞きたいものだ。)
☞「いかでかは鳥の鳴くらむ」<伊勢物語 五三>
( いったいどうして(夜明けを告げる)鶏が鳴くのだろうか)
☞「いかでかは舟さす棹(さを)のさして知るべき」<伊勢物語 三三>
(どうして舟のさおでさし示すようにはっきりと知り得ようか、いや、知り得ない。)
※「だに」副助詞[類推]~でさえも [限定]せめて~だけでも
※「もてなす」他動詞 サ行四段活用(さ/し/す/す/せ/せ)
物事をとり行う、処理する、身を処する、立ち回る、(人を)取り扱う、応対する、もてはやす、の意
☞「何事の儀式をも、もてなし給(たま)ひけれど」<源氏物語 桐壺>
(どのような儀式をも、(ひけをとらずに)取り計らいなさったけれども)
☞「誇りかにもてなして、つれなきさまにし歩(あり)く」<源氏物語 須磨>
((内心はわからないが表面的には)得意そうに振る舞って、なんでもないような顔で動き回る)
☞「我が身よりも高うもてなし、かしづきてみむとこそ思ひつれ」<更級日記 子忍びの森>
((あなたを)私自身よりも高い身分の人のように取り扱い、大切に世話しようと思っていたのに。)
※「じ」、打消推量の助動詞、不変化型活用(-/-/じ/じ/じ/―)
[打消の推量]~でないであろう [打消の意志]~したくない、の意、未然形接続
※「眺(なが)む」他動詞、マ行下二段活用(め/め/む/むる/むれ/めよ)
(物思いにふけりながら)ぼんやりと見やる、(ぼんやりと)物思いに沈む、見遣る、眺める、の意
☞「暮れがたき 夏の日ぐらし ながむれば そのこととなく ものぞ悲しき」<伊勢物語 四五>
(なかなか暮れない夏の暑く長い日を、一日中もの思いにふけってぼんやりしていると、何ということもなくすべてがもの悲しく感じられる)
☞「向かひのつらに立ちてながめければ」<宇治拾遺 三・六>
(向かい側に立って眺めていたので)
※「もよほす」他動詞 サ行四段活用(さ/し/す/す/せ/せ)
引き起こす、誘い出す、促す、取り行なう、呼び集める、の意
☞「春はやがて夏の気(け)をもよほし」<徒然草 一五五>
((春が終わって夏が来るのではなく)春はそのまま夏の気配を誘い出し)
☞「『船とく漕(こ)げ。日も良きに』ともよほせば」<土佐日記 二・五>
(「船を急いで漕げ。天気がいいから」と(船頭を)せきたてると)
☞「甲斐(かひ)・信濃(しなの)の源氏どもをもよほして上るべし」<平治物語 中>
( 甲斐(かい)と信濃の源氏たちを召集して上京せよ。)
※「憚(はばから)れて」 ⇒「はばかる」(ラ行四段活用、行き悩む、進めないでいる、満ち塞がる、の意)の未然形「はばから」
+「る」(受身、尊敬、自発、可能の助動詞、下二段変形{れ/れ/る/るる/るれ/れよ}未然形接続)の連用形「れ」
+「て」(順接の確定条件(~ので、~から)の接続助詞、連用形接続)