【和歌】赤染衛門/『紫式部日記』登場の歌人(2/4)
赤染衛門(天暦10年(956年)頃~- 長久2年(1041年)以後)
大隅守赤染時用の娘とされる。夫は文章博士大江匡衡、子は、少なくも2子女(大江挙周と江侍従)、源雅信邸に出仕、藤原道長の北の方源倫子、その娘の藤原彰子に仕えて、「匡衡衛門」<紫式部日記>とも呼ばれていたようで、紫式部、和泉式部、清少納言、伊勢大輔と親交あり、良妻賢母と伝えられる。 <『日本古典文学大辞典』(岩波書店)>
『赤染衛門集』
成立年時未詳(西暦1041年以後、1044~1053年の間)
『古今和歌集』の歌風を忠実に継承して、理知的で優美な歌風
『拾遺和歌集』など勅撰和歌集に93首入集
※以下、和歌引用はウェブから
現代口語訳:高安城征理 辞書に拠る注釈、太字:本記事の著者
≪和歌≫「入(いり)ぬとて 人のいそぎし 月影は 出(いで)ての後(のち)も 久しくぞ見し」<赤染衛門集三、後拾遺集雑一、袋草紙>
(月が沈むとおっしゃって人(あなた)が急がれたその月の光を、帰られた後もずっと見ておりました)
※詞書に
「中関白殿の、蔵人の少将と聞(きこえ)し頃、はらからのもとにおはして、『内の御物忌に籠(こも)るなり、月の入(い)らぬ先に』とて出給(いでだまい)にし後(のち)も、月ののどかにありしかば、つとめて奉(たてまつ)れりしに代(か)はりて」
(中の関白殿が、蔵人の少将と申し上げた頃、妹の所へ行かれて、「今夜は宮中の御物忌に籠ります。月が沈まないうちに(帰らなければ)」と言われて出られた後も、月がいつまでも照っていたので、(翌朝手紙をさし上げた妹に代わって)
とあり。
※「つとめて」名詞
早朝、翌朝、の意
☞「冬はつとめて」<枕草子 春はあけぼの>
(冬は早朝(が趣深い))
☞「雨うち降りたるつとめてなどは、世になう心あるさまにをかし」<枕草子 木の花は>
( 雨が降った日の翌朝などは、またとなく趣あるようすで心ひかれる。)
この歌の後、次に続く
「同じ人、頼めておはせずなりにしつとめて奉れる」
(同じ人が、来られるとあてにして、来られなかった翌朝に差し上げる)」
≪和歌≫「やすらはで 寝(ね)なましものを 小夜更(ふけ)て かたぶくまでの 月を見しかな」<赤染衛門集四、後拾遺集恋二、馬内侍集>
(ためらわないで、もし寝てしまったらよかったものを、(約束通り)夜更けまで(起きていて)西の空に沈みかけるまで月を見ておりました)
※「やすらふ」自動詞 ハ行四段活用(は/ひ/ふ/ふ/へ/へ)
ためらう、たたずんでいる、足を止めている、の意
☞「御佩刀(みはかし)などひきつくろはせ給(たま)ひて、やすらはせ給ふに」<枕草子 関白殿、黒戸より>
(太刀の具合などをお直しになられ、足を止めておいでになると)
※「で」打消の接続助詞、~しないで、~なくて、の意、未然形接続
※「寝(ぬ)」自動詞 ナ行下二段活用(ね/ね/ぬ/ぬる/ぬれ/ねよ)
眠る、横になる、
☞「みな人もねたる夜中ばかりに、縁に出(い)でゐて」<更級日記 大納言殿の姫君>
(家の人が皆眠っている真夜中ごろに、縁に出て座って)
※「な」完了の助動詞「ぬ」の未然形、ナ変型活用(な/に/ぬ/ぬる/ぬれ/ね)
※「まし」反実仮想の助動詞、特殊型活用((ませ)、ましか/―/まし/まし/ましか/ー)、もし~であったら~だろうに、の意、未然形接続
※「傾(かたぶ)く」自動詞 カ行四段活用(か/き/く/く/け/け)
かたむく、(太陽や月が)沈みかける、の意
☞「唐葵(からあふひ)、日の影にしたがひてかたぶくこそ」<枕草子 草は>
(唐葵(からあおい)は、太陽の光の移動に従って傾くというのが)
☞「あばらなる板敷きに月のかたぶくまで伏せりて」<伊勢物語 四>
((戸障子もなく)すき間の多い板張りの部屋に、月が沈みかけるまで伏せって)
≪和歌≫「我宿は 松にしるしも なかりけり 杉むらならば たづねきなまし」<赤染衛門集百、金葉集恋下、匡衡集、麗花集、後十五番歌合、奥儀抄、今昔物語集>
(わたしの家の松には印もなかったので 待っていてもその効果はなかったのですね、これが(あの三輪山の)杉の木立なら 訪ねて来てくださったでしょうに)
※夫の大江匡衡(おほえのまさひら)に向けて詠んだ歌、「どれだけ待っていても、わが家の松にはあなたを惹きつける効力はないようです。松ではなく、稲荷社の杉むらならば、あなたはいそいそと尋ねてこられるのでしょう」という意
赤染衛門と夫の匡衡の二人は、仲の良い夫婦として知られていました。匡衡が稲荷社の神官の娘のところに通いつめていた時期があり、夫の浮気を知った赤染衛門は、稲荷社にいる夫に、この歌を送ったとされる。
赤染衛門の歌を見た匡衡は、恥ずかしくなってすぐに赤染衛門のもとに帰ったとか。感情的になるのではなく、和歌で夫を諫めるところに、赤染衛門の教養の高さを窺える。
※「な-まし」連語 ⇒完了(確述)の助動詞「ぬ」の未然形「な」+反実仮想の助動詞「まし」(特殊型活用(ませ))、ましか/―/まし/まし/ましか/―、もし~であったら~であろうに、の意、未然形接続)
〔上に仮定条件を伴って〕~てしまったであろうに、きっと~てしまうであろうに、の意
⇒事実と反する事を仮想する。
☞「まして竜(たつ)を捕らへたらましかば、また事もなく我は害せられなまし」<竹取物語 竜の頸の玉>
(ましてもし竜を捕らえていたなら、また、たやすく私はきっと殺されてしまったであろうに。)
〔上に疑問語を伴って〕いっそのこと~したものであろうか、~してしまおうか、の意
⇒ためらいの気持ちを表す
☞「これより深き山を求めてや、跡絶えなまし」<源氏物語 明石>
(ここよりも深い山を探し求めて、いっそのこと行方をくらましてしまおうか。)
返し(返歌)
「人をまつ 山路分(わ)かれず 見えしかば 思まどふに 踏みすぎにけり」<匡衡集>
(人を待つ山路とは分かれないように見えたので(あなたが待っている道と分かれて行かないと思ったので)、(別の道に進んで)思い迷って(山路を進んでいるうちに)行き過ぎてしまいました)
※夫、大江匡衡の歌
月の明き夜(月の明るい夜)
≪和歌≫「五月雨の 空だにすめる 月影に 涙の雨は 晴るるよもなし」<赤染衛門集二八八、新古今集雑上>
(五月雨の空でさえ澄んだ月の光があるものを、(故人を偲んで流す)涙の雨は晴れる時がありません)
※「五月雨(さみだれ)」の音に「乱(みだ)れ」の音を重ねて、苦悶する姿を暗示
≪和歌≫「代(か)はらむと 祈る命は 惜しからで 別(わか)ると思はん 程ぞ悲しき」<赤染衛門集五四三>
((息子の命と)代わってと(住吉の神さまに)祈る(自分の)命は惜しくなくて、(息子と)別れると思う状況が悲しいのですよ)
※『赤染衛門集』『今昔物語(巻第二十四)』に次の逸話あり
息子の出世が伸び悩んでいるとき、赤染衛門は藤原道長の北の方源倫子に歌を送る。
「おもへきみ かしらの雪を うちはらひ 消えぬさきにと いそぐ心を」
(どうぞお察しくださいませ、頭にふりかかる雪を打ち払いながら、雪が消えないうちに(我が身が消えないうちに)と急ぐ心を)
藤原道長はこの歌を見て、赤染衛門の息子を挙周は和泉国の国司に任ずる。しかし、息子は赴任先で重い病に。赤染衛門は京より駆け付け、住吉神社に祈願、幣に一首の歌を添えて。
「代はらむと 思ふ命は 惜しからで さても別れむ ほどぞ悲しき」
(息子の命と代えようと思う私の命は惜しくなくて、そうであっても息子と別れる状況が悲しいのですよ)
病がすっかり治った息子は、母親の行動を伝え聞いて住吉神社に赴き、「母が死んでは生きてはいけないので、母が捧げた命は自分の命で補ってほしい」と祈ったという。
※息子は、大江挙周(おほえのたかちか)生年不詳~永承元年(1046年)、後一条朝で侍読(学者)や文章博士(教官)を務めて官位は正四位下の式部権大輔に達する。