マガジンのカバー画像

【古文】『源氏物語』『紫式部日記』/あえて古文を読む

63
英文学を読むなら英語で、ロシア文学を読むならロシア語で、『源氏物語』を読むなら古文で。 外国語ならば、翻訳者に委ねるのも仕方なしとしても、せめて日本の古語なら、現代の作家が自己の…
運営しているクリエイター

#紫式部日記

【和歌】清少納言/『紫式部日記』登場の歌人(3/4)

清少納言(康保3年〈966年〉頃~- 万寿2年〈1025年〉頃)  父は清原元輔、『万葉集』の読解と『後撰和歌集』の選者を務めた歌人、曽祖父(または祖父)は『古今和歌集』の代表的歌人である清原深養父、夫は藤原斉信の家司橘則光、子は橘則長、後に摂津守藤原棟世と再婚、娘は小馬命婦  正暦4年(993年)冬頃から長保2年(1000年)まで一条帝の中宮藤原定子に仕え、中宮定子の死後(長保3年(1001年)頃)『枕草子』を書き上げる。 『清少納言集』  日常生活を描写した即興的な歌が

【和歌】赤染衛門/『紫式部日記』登場の歌人(2/4)

赤染衛門(天暦10年(956年)頃~- 長久2年(1041年)以後)  大隅守赤染時用の娘とされる。夫は文章博士大江匡衡、子は、少なくも2子女(大江挙周と江侍従)、源雅信邸に出仕、藤原道長の北の方源倫子、その娘の藤原彰子に仕えて、「匡衡衛門」<紫式部日記>とも呼ばれていたようで、紫式部、和泉式部、清少納言、伊勢大輔と親交あり、良妻賢母と伝えられる。 <『日本古典文学大辞典』(岩波書店)> 『赤染衛門集』  成立年時未詳(西暦1041年以後、1044~1053年の間)  『古