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障害者とか健常者とか関係無しに”みんなに良いもの”を作ればいいんじゃないか?

始まりは「なんか大体ダサいな」だった。
これは突然身体が不自由になって私が古澤志歩(旧姓)ver.2として人生をスタートした初めの頃思ったこと。

入院中のある日リハビリ病院内で履く靴を探していた時、麻痺のある足でも楽に脱ぎ履きできかつ、脱げにくい靴を探していた。
「靴 脱げにくい 履きやすい」と検索する。
すると出てくるのはほぼおじいちゃんおばあちゃんが履くような見た目のものばかり。
靴ばかりじゃない、福祉用品とされているもののほとんどが機能優先でデザイン性での選択肢がとても少なかった。

福祉用品の存在意義的にその点は理解できる。
でもこの出来事は、突然体幹と下半身の麻痺を負うことになってこの先どうなってしまうんだという不安な気持ちに追い打ちをかけた。
これからの自分はどう足掻いても妥協して選んだ物に頼って生きていかねばならないのだと。


そんな思いをする日々を過ごして早くも7年になる。
今ではかなり心に余裕が出来て、少し前の自分だったら意地でも使わなかったオムツも必要とあらば一切の抵抗なく使うようになった。

ハンデによる悩みを克服してくれる福祉用具を使うことで生活の質は間違いなく上がったと思う。
私の場合シャワーチェアがいい例で使わなかった時と今ではお風呂の億劫さに雲泥の差がある。
ある程度の妥協はした方が気持ちの面でも楽になることがあるんだなと知った。


でも、しかし、だからといって、
デザイン性を諦めた訳ではない。


そんな思いから生まれたのが、事あるごとにしつこい目に自慢している割烹着だ。

これは私があったらいいな〜と呟いたツイートを見たお裁縫上手な夫の友達が作ってくれたもので、
車椅子用として作ってもらったものではあるが、作り的には健常者の人が使っても何ら問題ない。
なんなら着やすいし、エプロンぽさも兼ね揃えてて個性的でかわいい。

この割烹着を作ってもらってからつくづく思う、この世にあるモノどれもこれもハンデありなし関係なく違和感なく使えたらいいのにと。

以前私のブログでも紹介したユナイテッドアローズが作ったUD(ユニバーサルデザイン)の服がある。
正にハンデ関係なく素敵に着られることをテーマに作られた服で、実際に販売され話題になった。

ひとりを起点に、新しいファッションを作る。- 041FASHION|UNITED ARROWS LTD

また、日用品から食品、家までなんでもござれの無印良品も、10年ほど前からUDを意識した商品開発も行っていた。

無印はジェンダーレスアパレルラインも展開していて、”みんなに良いもの”の理解が深い。

少し探せばこんなふうなみんなに良いものは出てくる。
でもまだまだ少ない。


私が障害を負った当時よりも確実にいい方向には向かって進んでいる実感はたしかにある。
でもその数はまだまだ少ないし、配慮された"特別なもの"として扱われている気がする。(その点無印のUD商品はさり気ないものばかりで素晴らしい!)

突然体が不自由になることなんてまあそうそう無いから、UDって言われても想像し辛いだろうなと思う。
私もかつてはそうだったので。

でも将来誰しも老いて人の手を借りないと生きられない日が来るのだから、その時までには自分の心がときめくような素敵なものがもっと世に溢れていなくちゃいけないはず。
おじいちゃんおばあちゃんだから仕方ない、好きじゃないけどじじばばくさいものが相応しいって妥協して諦めなくていい方が絶対いでしょうよ。
せっかくお金と時間を掛けて建てた我が家に全く調和しない手すりとかが付いたらかなり嫌じゃないか?

この世にある全てのものをUDにすることは当然無理だけど、そうあるべきものはたくさんあるから、まずは声に出してみないと何も始まらない。
そう思ってこんな記事を唐突に書き殴った次第でございます。

というのも、先日すごく胸打たれるお話を聞かせてもらう機会があって、私も当事者としてもっと深く考えたくなったっていう…。

ふと思ったんですが、福祉用品って基本安全性と機能性が担保されているので、そのノウハウをもっと一般的にも使いやすく落とし込んだり、デザイン性乗っけたりできないかな。
印象のアプデ的な、ハイセンスな伝統工芸品みたいな感じで…。
実はゴリゴリの元福祉用品でした!みたいな。(スーパー思いつきで言ってる)

とにかく、
願わくば今後UDって言葉がなくなるぐらい、みんなに良いものが当たり前な世の中になりますように。
私も割烹着みたいにあったらいいなを今後も考え続けたいと思います。

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