●完全版:3/11(月)◆「日本食」が世界を平和にするこれだけの理由(第1章)。いよいよ佳境に入ってきましたぞ(笑)
難(むずか)しいことを易(やさ)しく、悲観を楽観に、そして
全世界の人たちの顔を「笑顔へ」と、つなぎたい……。
★★なお、本文のコピーや、転載、転送、抜粋などは著作権法
に触れます。皆さんには関係がないと思いますが、山田が
今後も皆さんのために活動したいため、ぜひその点、よろ
しくお願いします。
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ニッポン人の心と体を、「笑顔で」救う!
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2024年3月11日(月)号
No.4848
毎朝、早朝5時に、全世界に向けて2つの配信スタンドから、
合計約5200部を発行(日曜のみ休刊)
創刊日:2004/10/5
【注】まぐまぐ!から受信されると、上部に[PR]と記載した
広告が掲載されますが、当方とは無関係です。
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『脱コンビニ食!』(平凡社新書)や『危険な食品』(宝島
社新書)などの著者で、食生態学者、そして日本危機管理
学会員でもある山田博士(ひろし)が配信。食べものだけ
でなく、人としての生きかたを考えます。なんともユーモ
ラスな文体が人気のようで……。
★お知らせ★
この寒~い季節。
皆さん、お元気でしょうか。
朝起きようとしたら、窓の枠を強風がガタガタ揺らせて
いました。
いったい、何事が起こった?……と思ったものですが、冷た
い風が町中を何度も何度も巡っていたようです。
窓枠だけじゃなく、かくいうぼくも、この北風にやられてし
まい、ここしばらく、どうもリキが入りません(おとなしく
しています)。
こんな北風にやられるなんて、本当に悔(くや)しいことで
す。
外を歩くと、まるで冷凍庫の中のように、服はコチコチです。
「春よ来い 早く来い あるきはじめた みいちゃんが
赤い鼻緒(はなお)の じょじょはいて おんもへ出たいと
待っている」
……の唄を、一人つぶやきながら、ぼくは、それでもみい
ちゃんの気持ちになって、空を見上げて歩いております。
……で、今回の原稿が遅くなってすみませませでした。
なんのことはない、それを言いたかったのです。ひらに(笑)。
「春よ来い 早く来い あるきはじめた みいちゃんが」
お元気で。
(山田)
本日の「完全版」は、100%掲載です。
本日の「短縮版」は、後半の大半を短縮しております。
(毎回、後半部分に大切なことを書いている場合が多いため、
もし全文をご希望のかたは、後述のnoteをご利用下さい)。
本日も1日、お元気で!
やあ、こんにちは。
山田博士(ひろし)です。
お元気でしたか!
今日もまたお逢いしましたね。
嬉しいです。
地球という星を平和にしたい。
そして子どもたちの頬(ほほ)に流れる涙をストップさせ
たい。
空をのんびり旅する雲たちを眺めながら、ぼくはいつもその
方法を考えています。
そのために、「食べもの」が人を180度変え、家族を変え、
文明を変え、歴史を変えてきた重い事実を、知ってほしい。
▼本日の目次▼
【1】
今回は、単行本にするための書き下ろし原稿です。前回の「序章」
に続いて「第1章」です。お楽しみに!
【2】
あなたやあなたの家族をいのち懸けで救う、山田博士作品集。
今回、読者限定で、「衝撃価格」で提供します
まだご覧になっていないかたのために、先日の内容を、再度、
案内しています。
★貴重な音声作品です! (((((インターネット・スタジオ)))))
「山田博士のいのち吹き込み、生録(なまろく)30分!」
◆ 第4巻
「早朝4時半起床は、シッカリおやりなさい」
下記の本文中で、第4巻の「見本音声」を、お聴きになれます。
【今回は、期間限定、人数限定ですが、「嬉しい価格」で、お譲り
します】
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【1】
今回は、単行本にするための書き下ろし原稿です。前回に続
いて「第1章」です。お楽しみに!
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「日本食」が世界を平和にするこれだけの理由
(第1章)
~世の指導者たちよ、武器を捨てよ、人の心を持て。報復の
繰り返しが、双方の人民たちを涙漬けにし、もはや勝者も敗
者もない。真の統治者たる者は、数千年間も、国内で分裂も
せず平和を続けてきた日本の歴史の素晴らしさを学ぶべきじ
ゃないのか。そしてその基盤には、「日本食」があることを~
【目次(概略でもあります)】
★第1章ー1
じつは、教科書で習った「世界4大文明」のころより、ずっ
とはるかな昔、日本には、「人類で一番最初に料理をした人」
たちがいた。なぜなら、青森県で土器が……
★第1章ー2
ちょうどそのころ、その稲作ということだけじゃなく、米を
作ることそのものが、「神事」となったことが大きなその後
の運命だったと思う。これこそが、その後の日本に与える
大きな原動力だからだ……
★第1章ー3
上記で述べたように、フランスと中国の2カ国は、地下実験
さえ停止もせず、しかもどちらの国も、自分たちの住んでい
る場所とは遠く離れたところで核実験をするという、きわめ
て卑怯な方法だった……
★
★
★
★第1章ー1
じつは、教科書で習った「世界4大文明」のころより、ずっ
とはるかな昔、日本には、「人類で一番最初に料理をした人」
たちがいた。なぜなら、青森県で土器が……
「よく見れば 薺 (なずな)花咲く 垣根かな」
これは、芭蕉(ばしょう)の句だ。
日本人であれば、松尾芭蕉を知らない人はいないだろう。
この小さないのち
この小さな平和
この小さな瞬間……
これらの心を、ぼくたちは、子どものころから、自然に身に
つけたものだ。
平和を生む、この素晴らしさ。
この薺とは、地味で小さな白い花のことだが、多くの人たち
が見過ごしてしまうようなこんな花にも、小さないのちが存
在し、一つの平和がそこにある。
★★★
なんともない垣根にも、こうした小さないのちが宿っている
ことを、ぼくたちは、いつも知るべきだと思う。
そのような小さな●●を、毎日の瞬間瞬間に、味わうことが
できる(●●は、あとの「設問です」をご覧下さい)。
そのような積み重ねこそが、平和への道なのじゃないだろう
か。
いつも平和だ平和だ……なんて空を向いて叫ぶより、自分の
身の回りに存在する平和な瞬間に目を向けたことがあるだろ
うか。
えてして、周囲の小さな平和に無関心の人こそ、いつも世界
に向かって「がむしゃらに平和を叫んでいる人」が多いよう
に、ぼくには思える。
★★★
そうした過去の「イデオロギー論争」をどれだけ繰り返して
も、戦争はいつまで経っても収まらないのだ。
ある権力者が権力を握れば、数年経って、またほかの権力者
に、その場を追われる。
そのため、庶民たちは、涙を流すだけ。
なにしろ、ぼくたちが習った「イデオロギー論争」は、考え
てみれば、どちらの側にも常に、「大きなチカラ」があった。
そして、どちらが戦って勝とうと、みずからの懐(ふところ)
にはたっぷりのオカネが入る仕組みになっているのだ。
そのような仕組みは、もう避けるべきだ。
かくいう日本の明治維新でも、同じことがあった。
★★★
幕府側や天皇側のどちらが勝っても、その双方に資金を提供し
て利益を得るようになっていた。
このように、こうした「イデオロギー論争」を何度続けても、
けっして庶民たちが幸せにならないことは分かる。
冒頭で触れた芭蕉の句。
そのときにも触れたが、この薺とは、地味で小さな白い花の
ことだ、
でも、多くの人たちが見過ごしてしまうようなこんな花にも、
小さないのちが存在し、一つの平和がそこにある。
そういう平和を大切にすること。
そして、大きくて見栄えのする花だけがいのちじゃない。
世界の国だって、たとえ大国であっても小国であっても、そ
こで住んでいる人たちのいのちは、みな平等だ。
このような素晴らし句は、日本人なら、誰でも、知っている。
そして、いまこそ、世界の人たちに分け与えることができる。
★★★
しかし、1644年生まれの芭蕉が、鎌倉時代の禅僧・道元
(どうげん)の考えと共鳴し、彼の句に、禅の香りが漂
っていることを知る人は少ないかもしれない。
三重県に生まれた彼が、なぜ江戸の深川に住むことになっ
たのか。
新幹線も無かった当時を思うと、不思議なことは多い。
でも、よく考えれば、当時、深川に住んでいた、名僧・
仏頂和尚(ぶっちょうおしょう)に、その人生を学ぶ理
由があったためだ。
当時、いのちがけで江戸まで歩いて出向き、そしてさまざま
な修行を重ねた芭蕉が、いまこうして、後生の日本人たちに
たくさんの名作を残してくれている。
ぼくたちは、芭蕉に、大いに感謝すべきだと思う。
★★★
現在、ぼくたち日本人が、無闇に他国を侵略したり、他人の
いのちを住民ごと奪うなどの残虐な行為をしないのも、芭蕉
たちが、こうして残してくれた、作品などの影響が非常に大
きいと思う
住民が平和に暮らしている町を、自分では下界もはっきり見
えないはるか高い上空から空爆するなんて卑怯なことは、日
本人なら、誰も、当初から考えもしない。
もちろん、先の大戦では、日本軍部がおこなった、中国での
重慶爆撃(じゅうけいばくげき)などは、存在する。
悲しいかな、存在する。
そして、多くの中国人たちが犠牲となった。
これは事実だ。
戦争とは、人の心を破壊するものだ。
そのため、戦争は絶対に起こしてはいけない。
戦争を始めるのは、愚かな者でもできる。
でも、停戦するには、愚かな者では、絶対にできないのだ。
たとえ俳句を尊ぶ日本人であっても、戦争という暴力の中に
身を置かれれば、「やるかやられるか」……になってしまう。
なぜなら、相手を殺さなければ、自分が殺されるからだ。
動物園の野獣のいる檻(おり)に、一人ポツンと入れられた
ときを考えればいい。
そんなとき、どれだけ相手(ケモノ)を説得しようと、人間
の心は通用しない。
★★★
日中戦争中の1938年(昭和13年)12月から1941年(昭和
16年)9月にかけ、大日本帝国陸海軍航空部隊が、当時「中
華民国」の首都であった重慶に対して、反復実施した大規模
な空襲のことだ。
当時、「中華民国」の首都であった重慶に対して、反復実施し
た大規模な空襲は、当初は軍部施設だけをねらったものだっ
た。
ただ、その後、首都が2~3度移転され、それにあわせて、
中国大陸の内部へ内部へと……進展したものだった。
それが悲劇の元となる。
最初から住民を殺戮の対象にしていないなら、首都が移転し
てしまった段階で、空襲はストップすべきだったのだ。
でも、当時の日本軍部は、イケイケドンドンだったから、誰
の声も聞く耳を持っていなかった。
★★★
そのため、いったん戦火を交えれば、たとえ日本人であって
も、戦争遂行を突然止めることは、非常に難しい。
これは、今後の大いなる反面教師として、深く胸に刻(きざ)
んでおきたい。
ただ、世界史的に見ても、他国の住民(武器を持たない兵士
でない人たち)を当初から殺戮することを目的とした戦争は、
日本にはない。
これは間違いがない。
なぜ、他国ではそうした「残虐」な戦争が、引き続き起きる
のに、日本ではそれが無かったのか。
この第1章では、日本人の心の基礎となった「日本食」につ
いて、述べてみたい。
そして、食を大切にする必要があることを、「自戒を込めて」
お話ししておきたい。
なぜなら、戦後の日本社会は、いま、大きく変わろうとして
いるからだ。
★★★
「日本食」とは、何だろう。
じつは、教科書で習った「世界4大文明」のころより、ずっ
とはるかな昔。
そのころ、日本には、「人類で一番最初に料理をした人」た
ちがいた。
もともと当時から、日本には「日本食」というものが存在し
ていたのだ。
料理をするには、まず器(うつわ)がなくてはならない。
その器に食材を入れて、煮る、焼く、蒸す、……などの操作
が可能になるからだ。
もちろん、当初は土器が必要だったろう。
そのため、土器が、世界のどこで一番早く発見されているか
どうかで、料理発祥の地が分かるというわけだ
ところが、なんと、世界最古の土器が、日本の青森県で発見
されている。
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