岸本オルカ

 本来ならば私の名前はカオルになるはずだった。歌を織ると書いて、歌織。しかし私の両親が白紙の出生届を前にしたときに、ふとこんな考えが頭に浮かんだらしい。
 本当にこれでいいのか? 何かの縁があって自分たちのもとに生まれてきた子なのだから、もっと特別な名前を贈ってしかるべきではないのだろうか? 両親から愛されていることが、一目で伝わるような特別な名前を――。
 だか、あまり奇抜な名前でも子どもは困ってしまうだろう。かといってありふれた名前では、もう納得がいかない。そうして色々と考え抜いたのちに、彼と彼女はもともと用意していた漢字の順番を入れ替えることにした。織歌。織歌と書いてオルカ。岸本オルカというのが私の名前になった。

 出生届に署名したときに目を覚ませばよかったのに(書き損じた時のために予備はあったんだから)、いささか血迷っていた両親はそのまま書類を役所に提出してしまった。だが、このときの二人は知らなかった。自分たちが特別な贈り物と思って娘に与えたオルカという名前は、シャチの学術名であるOrcinus orcaと通じているということに。そう、七つの海を泳いでいるあのシャチだ。もうはっきりと言ってしまうと、私の名前の岸本シャチということになる。

 私がこの事実を知ったのも、大学生になってからのことだった。レポートを作成するために逆引きのラテン語辞典をめくっていると、たまたまシャチの項目が目に入ったのだ。 当事者の私自身でも自分がシャチだったのを知ったのはつい最近なのだから、他人である両親はきっと今でも知らないに違いない。どうか、そうであってほしいと思う。

 とはいえだ。少しばかり風変わりな名前であったとしても、それによって困った事態に陥るということは特にはなく(幸いにして誰も私をシャチだと気づかなかったのだ。おそらく)、産まれてから二十数年間ずっとつつがなく生きてきた。
 もちろん長いあいだ生きてきて、腹の立つことや悲しいと感じることは多々あった。けれど、並外れてひどかったというわけではない。毎日の食事や寝るところに困ることはなかったし、大学まで教育は受けられた。そんな私よりも困難で苦しい状況に立たされている人は、この世界ではごまんといるはずだ。

「いいや、それは違うね」

 キッチンカウンターの上から、ウサギと呼ばれる猫が声を張り上げてそう言ってくる。まだキッチンの換気扇を切る前で、大声でないとこちらに聞こえないと思ったのだろう。

「幸福はどれも似通った量産品だが、不幸は一点物だぜ。君さん自身が苦しいと感じたら、それが正解なんだ。トルストイもそう言ってる」
「本当? トルストイが?」
「ほんとだ。ほんと」

 へえと口にしながら、私はキッチンから出てテーブルにつく。ウサギ猫も卓上に飛び移って、私の前に回り込む。誰かが見たら行儀が悪いというだろうが、私は注意しない。ウサギはとても器用なのでクッキーが乗った皿をひっくり返したり、紅茶の入ったティーポットやカップを倒したりする心配はないのだ。そうしてお互いに向かい合う形になると、私は食べ物が入ったボールを相手に差し出した。

 白い陶器で出来た食器の底は、細切れにしたキャベツやニンジンで色鮮やかに満ちている。肉は入っていない。ウサギは必要最低限にしか肉を食べない。ドライフードや缶詰も身になる分しか口にしない。野菜を主食にすると、目の前の生き物は決めている。なぜなら、この猫は自分のことをウサギだと信じているのだ。野良ウサギに育てられたのだから、自分もウサギであるに決まっているという猫の言い分なのだった。
 もちろん猫がウサギにはなれないというのは私も知っていたし、相手もこのことは重々承知していた。けれど、私はその事実について何も言わなかった。今でも絶対に口にしないよういる。己がウサギなのだと信じていたい気持ちが、何となくわかるような気がしたからだ。

「……――すまん。ちょっとばかし誇張が入ってる」

 少しばかり野菜をついばんだのちに、そう口にしてウサギ猫は眉根を下げた。後ろめたいと感じていている、あるいは申し訳ないと考えているときの癖だ。長いつき合いだからそれくらいはわかる。

 私がウサギの存在に気がついたのは、二年ほど前になる。そのときの私は大学の三年生で就職活動の真っただ中にいて、エントリーシートの書き方やSPI試験の対策、絶え間なく行われる自己分析で頭がいっぱいだった。そして同時によくわからない悲しみで満ちてもいた。あのころの私は誰かに評価されることや、逆に誰かを評価することに納得がいかなかったのだ。あの面接官たちが一体私の何を、そして私があの人たちの何を知っているというのだろう?

 正直に言ってしまえば、もう就職先を探し続けるのはやめたかった。次から次から来る不採用通知にはうんざりしていたし、そのたびに気分を立て直さなければならないのが苦痛だった。そもそも合否の通知すら来ない場合もあって、そのどっちともつかない状態がひどく神経に触った。いくら面接や試験をがんばっても、終わりが見えないのも私を疲弊させた。

 けれど、私だけがわがままを言うわけにはいかない。就職活動に苦戦しているのは周りの学生と同じだし、なによりも自分の食い扶持は自分の手で稼がなければならないのだ。誰の手も借りないで、私一人きりの力で。そうしなければ日の射さないところに落ち込んで、もう二度と這い上がることが出来ない。そう頭から信じ切っていた。ヘリウムガスみたいにふんわりと、法律以上に強固に。誰かが決めたわけでもないのに。

 そうして履歴書を書いてはどこかの会社に送ることを数十回も繰り返しているうちに、色んなことがしっちゃかめっちゃかになっていく。

 まず極端に寝つきが悪くなった。ようやく眠たくなってきたと思ったら、もう起きなければいけない時間になっていたりする。目を開いていても眠っているような心地になって、現実と夢の境目が曖昧になっていた。
 いつも眠気に苛まれているためか、記憶が飛ぶことも多くなる。買った覚えのない雑誌や服、何かのアニメのキャラクターのバッヂが部屋の中に増えているということが起き始めた。細々したものならまだいいが、いつのまにかロボット掃除機が家の中にあったり、よくわからない機械が家に届いたりしたのに驚いた。
 また、ふと我に帰ると知らない場所にいるということもあった。たとえば大学にいたはずなのに、気がつくと家に帰ったり、喫茶店にいたりしているのだ。面接のために新宿に行く電車に乗っていたら、茨城にいたときはとても困ったのを覚えている。

 極めつけは髪だった。その日もやはり神経の調子が悪く、通学中の電車の中で船を漕いでいた。そしてはっと目が覚めると次の瞬間に前掛けを下げて、行ったこともない美容院の椅子に座っていた。私の隣は見ず知らずの美容師がいて、心配そうにこちらの顔を鏡越しに覗き込んでいる。
 これはなんだろうと美容師に訊ねてみると、ブリーチをかけるよう私に依頼されたらしい。けれど、こちらの受け答えがおかしかったので戸惑っていたのだという。

「施術する前に気がついてくれて本当によかった。一度ブリーチかけちゃうと、以前の状態には戻せないからね」

 その言葉にぞっとする。ついで情けなくて、ひどく嫌な気持ちになる。だだし不本意な施術を受ける寸前だったことや、授業の単位を落としてしまったことではない。もちろん時間や経済的ないし機会の損失は大きな痛手だし、自分や他の人の身に万が一の事があったら取り返しがつかないのには違いない。けれど、なにより堪えたのは私が私自身を疑わなければならないという事実だった。自分が変なことをしないか、私は私を四六時中見張っていなければならなくなったのだ。反抗分子を監視する独裁国家の秘密警察官みたいに。

 ウサギ猫と出会ったのは、そんなことに何もかも嫌気がさして、家の中に引きこもっていたときだった。

 薄曇りの空から細雨がしとしとと降りしきる、もうじきに夕方にさしかかろうかという十月の午後のこと。一口飲めば全てが忘れられる不思議な酒があると聞いて、私は久しぶりにコンビニに向かった。水曜日だった。そして目当ての品物を手に入れて店から出ると、建物の軒下――新商品発売と書いてあるぼりの傍に猫が一匹、うずくまっているのを見つけた。

 それは白地の毛並みに、焦げ茶色のまだら模様を背負った猫だった。模様の色彩はちゃんと手入れがなされていれば、きっと明暗のコントラストがとても映えるだろうと思うくらいに深い。しかしとても残念なことだけれど、そのときの猫の体は全体的に砂ぼこりで薄汚れていて、どちらの色合いも変わりがなかった。お行儀よく揃えられた四つの足も真っ黒で、どうしてだかはわからないがかぴかぴに光っている。首輪もしてないし、きっと野良猫なのだ。

 体を舐めて清めている姿をぼうと眺めていると、猫がふっとこっちに顔を向ける。猫は白みがかかった青い瞳をしていた。レースカーテン越しに見た青空のような淡い色だった。(後々獣医に教えてもらったのだが、このとき両目に炎症が起きて瞬膜が出たままになっていたらしい)
 どれくらいのあいだ私たちは見つめ合っていたのかはわからない。多分五分どころか、一分にも満たないと思う。やがてスローモーションじみた動きで、ゆっくりと猫の口が動き始め、そしてある言葉が確かに私の耳に届く。

 ――まーた、ヤバいやつ買ってるやついるよー。

 えっ、と私は思わず声を上げる。大きく発せられた声に、猫もピクリと肩を震わせて驚く。そしていささかののちに、お互いに理解する。私たちの意志がそれぞれに相通じているという事実に。
 小雨の降りしきる、薄曇りの水曜日。夕方近い、十月の午後。私とウサギはこのようにして出会った。

「しかし、だいたいのところは本当のことだぜ。そしてこのウサギが言いたいのは君が感じる苦しみや悲しみは君だけのもので、他人と比較するもんじゃあないということだ」
口の周りの食べかすを舐めとりながらウサギは言う。
「そうかなあ? 自分では、もっとこれ以上に苦しいことがあると思うけど」
「そうだぞ。そしてそんな考え方だから、病院のお世話になるんだ」

 もっと自分の味方になってやれ、とウサギは口にする。私は首をかしげた。こうして平日の真昼間に部屋でクッキーをつついている時点で、もう十分に己自身を甘やかしていると思うが。

「君の苦悩が君自身のものでしかないということは、俺のそれも俺のものでしかない。それぞれ独立してるんだ。海の上の無人島同士みたいにな。つまり同情や憐れみこそはすれ、気持ちというのは完全には分かち合えることはない。そんな世界で、一体誰が君の味方をする?」
「じゃあウサギは、ウサギの味方?」
「そりゃそうさ。完全無欠の味方だ」

 ウサギは目の前に置かれたボールに向かって再び首を伸ばし、キャベツの葉っぱを齧る。その細かく切り刻まれた野菜が口の中に消える様子を、頬が膨らんでいく姿を私は口を噤んだままじっと見ている。

 相手の言い分が私にはあまりしっくりこなかった。味方なんていない方がいいのではないか、という気持ちが今一つ拭えない。
 思えば、子どものころからお前は怠けていると言われることが多かった。学校から帰ってきてボンヤリしているときとか。宿題をしている手を止めているとか。そんなときに。だから、なおさら私は私に厳しくしないといけない。そうしなければお前はだめになる。ずっと長いあいだ、こういうようなことを色んな人たちの口から。

 とはいえお節介焼きな誰かの顔はもう思い出せないし、何者かもわからない人たちから次々に贈られた小言を経ても、なお実家から出れないというありさまだけれども。
 そしてこのようなありさまである私は、どこかで野垂れ死ぬべきだという感じがする。味方がいないまま、独りきりで。それがもっとも私の境遇にふさわしい気がした。
 でも。でもその一方で、このままでは絶対にすまさないという気持ちも確かに存在する。喉笛を切り裂いて鮮血をスープみたいに啜り、骨という骨を飴のごとく噛み砕く。そういうような凶暴な気持ちが。

「自分の味方になれない奴は、肝心なところで負けるぞ。こっぴどく敵にやられるんだ」

 みじん切りにされたにんじんを頬張りながら、そんなことをウサギは言う。相手の言葉を耳にした私は、小さく首をかしげる。敵がいるのか。私に? 家の中にこもってばっかりなのに?

「敵と言っても、なにも人間ばかりじゃないぜ。犬とかネズミとかダニとか色々いるんだ」
「じゃあ、もしかしたら私の敵がお化けということも?」
「もちろん目に見えないものだって、君の敵対者になりえる。人によりゃあ相対すべき敵が資本主義や新自由主義とか、そんなしゃらくさいやつだってこともあるんだぜ。まあ、いずれにしても君にも君自身の敵というものがちゃんと存在している。それは確かな事実だ。だから、じゅうじゅう用心してかからなきゃいけない」

 そんなことを言われても、その敵とやらの姿を私はうまく想像することが出来ない。その正体を掴もうとしても、輪郭が定まることなく曖昧模糊としている。まるで手のひらをすり抜ける霞や霧のように。そして、そもそも私の敵とはいったい何なのだ?

 こちらの当惑し、混乱した雰囲気を察したらしい。ウサギと呼ばれる猫は神妙な面持ちで、さらにこんなことをつけ加える。

「のんきにしている場合じゃないぞ。これから君を待ち受けているかもしれないのは正真正銘、本当の敵だ。敗北すれば問答無用でこっぱみじんになるしかない本物の敵だ。もしそいつに出会ってしまったら君は死ぬ、あるいは死ぬような目に合う手はずになっている。そういうようなやつなんだ。このままだと、君は生き残ることができない」

「それはけっこう重大事だな」私は答える。
「重大事だぜ。だから、気をつけろってさっきから言ってるだろー」
「でも相手の姿かたちがわからないんじゃあ、気をつけようがないじゃんか」
「じゃあ、占ってみるか?」

 ちょうどいい方法があるんだ、とウサギは言った。

 それからしばらくして、私たちは身支度をして家の外に出た。四月初旬の真昼は、まずまずの空模様だった。季節柄辺りには春霞がたなびいているはずなのに今日は不思議と空気が澄んでいて、遠くの――裏道の出口の方まですっきりと見渡せた。
 雲が薄く太陽が高いために、コンクリートの塀や道路に伸びた白線などがひどく眩しく目に映る。五日ぶりの外出だから、そう感じるだけなのかもしれないけれど。そうして狭苦しい道をひたすら歩いていると、ある瞬間ぱっと視界が開けて、私とウサギは交差点に出た。

 わざわざあつらえたかのように、交差点には誰もいなかった。信号待ちをしている人もいないし、走ってくる車もいまのところ見当たらない。信号機の目だけが、寂しく青色や赤色に灯っている。
 私は周囲の様子をうかがいながら、折りたたんだティッシュをポケットから取り出す。そうして素早く紙を開いていくと、クッキーが手のひらの上に現れた。そのうちの一枚だけを引き抜き、歩道線同士のあいだに置く。(残りの二枚は予備なのだ)これで準備は終わり。

「本当はクルミを使うのが正式なんだがな。まあ、別にいいだろう。砕けるし」

 昔。まだ野良猫だったころにカラスから教えてもらった占いで、ウサギは私の敵の正体を探ってくれるのだという。そのやり方は人間が使う紅茶占いと似通っていて、車に轢かれたクッキーの形で結果を判別するらしい。いわくクッキーを路上に置くときに、教えてもらいたいことを思い浮かべるのがうまくいくコツなのだそうだ。
 そういうわけで私たちは信号待ちの振りをしながら、車が通り過ぎるのを待っている。

「これが恋占いだったら、そこそこロマンチックなんだけどな」

 ウサギ猫の頭を撫でながら、私は口を開く。うーんと心地よさそうな声をあげてはいるが、ウサギは少しだけ口をへの字に曲げている。散歩用のハーネスがあんまり好きじゃないせいだ。

「うそつけ、あんまりそっち方面には興味がないくせに」
「質の問題だよ。たとえば目の前にちゅーるとブロッコリーがあったら、君ならどっちを選ぶ?」
「そりゃあブロッコリーに決まってるだろうさ」

 そういう話だよ、と私は言う。そういう話なのか、とウサギが答える。これきり私とウサギ猫は黙り込む。車はなかなかやってこなかった。
 背中に照りつける日差しは暖かくて、暖かい手でさすられているみたいに気持ちがいい。だが、ときどき吹いてくる風は冷ややかで、ぞっと肌が粟立つ瞬間がある。日が沈んでしまえば、ずっと冷え込むに違いない。

「ねえ、ウサギ」
「うん?」
「私さ、ずっとシャチだったんだ。でも長いあいだそのことを知らなくて、だからつい自分が人間だと思っちゃった」
「いや君は人間だ」
「そうかな。私、本当に人間かな?」
「おいらがどこまでも猫でしかないのと同じように、君だってどこまでいってもただの人間でしかない。良かれ、悪しかれ」
「うん」
 
とりあえず、この場はそう答えておく。けれども私は、まだ自分が人間だと信じることが出来ない。

 この世界で人間だと認められるには、身体的な特徴以外にも様々な条件がある。朝から晩までみっちり働いているとか、どんなに理不尽な目にあっても自分が悪いせいですませるとか。そんな諸々の関門を通過出来て、初めてれっきとした人間だという主張が受け入れられるようになっている。

 誰に? わからない。名前だって知らない。しかし私はあったこともない何者かを恐れている。彼らあるいは彼女らが人間だと認定する基準を、とうてい満たせないだろうという確信がある。そしてその基準からはみ出した者が、一体どのような扱いを受けるのかを私は知っていた。
 きっとそいつらはあいつの名前はシャチだと、と私に後ろ指を差すだろう。その程度の名前しかもらえなかった、と陰や日向で嘲笑うのだ。私のことなんて何も知らないくせに。そんなことが、とても怖しかった。正直に言ってしまえば、そんなまだ出会ってもいない人たちに憎しみすら抱いている。彼らや彼女らの血を絞り尽くして、川や海の色をすっかり変えてしまっても飽き足らないくらいに。

「こっちだって気合い入れて、自分がウサギだと信じてる猫をやってるんだ。君も胸を張って、シャチという名前の人間をやればいい。それがどんなやり方であれ」

 まあ、どうするかは君次第だけど。そうウサギが言い締める。ありがとう、と私は言う。相手は何も答えない。ただ、黙って首や頭を撫でられている。すると小さなゴムのボールを転がしたみたいに、猫の喉がごろごろと音を立てた。

 そうしていると、突然、ふっと風が横から吹き抜ける。はっと顔を上げると舞い上がる前髪の合間から、中型車が私たちの傍を通り抜けて行くのが見えた。緑色のペンキに、黄色の花柄がラッピングされた車体。街中を巡回する、コミュニティバスだ。そのカラフルな小型のバスはゆったりと遠ざかり、やがて姿を消した。

 きれいに砕けたぜ、見に行くぞ! 大きく声を上げてウサギが勇んで歩道へ踏み出そうとする。それを私はリールを掴んで止める。歩道用の信号がまだ赤だったのだ。

 腕がぴんと引っ張られると同時に、手に持ち手がぐっと食い込む。重みが感じられた。この動物はちゃんと生きているのだ。そんなシンプルな事実に私は少しだけ泣きそうになってしまう。
 正確に言えば猫の身体を持つウサギとして、日々野菜を食べて年老いていく生き方を選んだという事実に。本物のウサギを羨みながらキャットフードをつつく生もあったはずなのに、なお己の理想を諦めてはいないという姿に、何だか胸が締めつけられるような思いがする。

 ウサギの信条は科学的には不毛で、無駄なあがきなのかもしれない。けれども私はウサギのそんなあり方が好きだった。どうか、いつまでも健やかであってほしいと願うほどに。
 いささかの後に、信号が青へと変わる。そうして自分の敵を確かめるために、私はクッキーが散らばる横断歩道へ踏み出した。

(2020.4.8)

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高野優
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