幸福と涙のヴァレンタイン社製電動クリーマー
【ヴァレンタイン社】商品購入のお礼
ジャクスン様、毎度お世話になっております。
この度は当社の電動クリーマーをお買い上げいただき、誠にありがとうございました。
この製品は弊社の人気の定番商品の一つであり、多くのお客様に熱狂的なご愛顧をいただいております。
当電動クリーマーは一般的なミルクやヘビークリームのみならず、ローファット、ファットフリー、ソイミルクなど各種の乳製品に対応しております。また付属品のヘッドに付け替えればメレンゲも泡立出ることも可能です。なおご自宅付近で待機していると思われます、着ぐるみの人物については当社の製品ではありませんので、あしからずご了承のほどよろしくお願い申し上げます。
ヴァレンタイン社が製造した商品につきましては、例外なく三年間の保証期間を設けております。しかし通常想定されていない、あるいは違法行為を目的とした使用で発生した事故につきましては、わが社では一切の責任と保証は負いかねます。もちろん着ぐるみのクレア氏についてもです。詳細は添付した説明書PDFをご覧ください。
わが社は今後も『幸福な暮らしをさりげなく、甘やかにサポートする』のコンセプトを大切にお客様にご満足いただける商品を提供できるよう、より一層の努力と開発製造を重ねてまいります。
どうぞ末永くご愛顧たまわりますよう、心よりお願い申し上げます。
故障かな? と思ったら
Q.スイッチをつけても起動しません
A.充電が完了しているか、あるいはヘッド部分が本体に正しく装着されているかをご確認ください。詳細は14Pをご覧ください。
Q.適切に充電がされない
A.本体と充電器が接続されていない、もしくは端子の汚れなどで充電が正常に行われていない可能性があります。端子に傷や汚れがないかをご確認の上で、底面がかちりと鳴りまで、もう一度充電器にはめ直してください。詳細は23Pをご覧ください。
Q.洗剤や石鹸が泡立たない
A.本機では対応しておりません。
Q.ヘッド部分に飾りつけして、玩具にしてみましたが回転しません
A.本機では対応しておりません。
Q.配達員と一緒に来た着ぐるみの人が、一向に帰りません。あれは誰ですか? ヴァレンタイン社の方ですか?
A.クレア氏とヴァレンタイン社とのあいだにおいては、雇用契約や業務提携等は現在一切なされておりません。我々が関知しているのは彼がホイップクリームを愛し、ピザ屋とハンバーガーショップを憎んでいるということだけです。これらの企業が提供する食品はホイップクリームとは食べ合わせが悪いと考えているのです。
Q.クレア氏が左手にハンマーのようなものを持っています。危険です。取り上げてください。
A.鈍器は彼のキャラクター性を際立たせるためのアイテムに過ぎません。たいていの場合は何事も起きないはずです。もっともあなたがピザの宅配を頼む、あるいはハンバーガーをテイクアウトして帰宅するなどの愚かな行為をしなければの話ですが。
Q.あの着ぐるみ野郎、もう我慢がならない。クマだか、グリズリーだかわからない格好をしやがって。
A.あなたが心身ともに健康であり、仕事が無くあるいは長期休暇で十分な時間があるというのならば、我々にはあなたを止める権利は一切ありません。あなたの人生は、あなただけのものなのです。ただしどのような事態になっても我が社では補償は致しかねること、そして有意義且つ有益な行為が存在することは主張しておきます。彼はなかなか手ごわい相手です。以前の会社も彼に解雇を納得させるのに苦心している様子でした。余談ですが、あれは虎の格好だそうです。
彼はとてもシャイなので、勤務中でも着ぐるみをまとっていました。誰にも話しかけられたくなかったからです。しかし存在ごと無視はされたくない。そんな葛藤の結果があの格好というわけなのです。
クレア氏はもともと企画課広報部所属の、snsマーケティングを担当する社員でした。当然、あのようなトンチキな格好ではありません。他の同僚よりもわずかにスローリーなだけの、しかし与えられた仕事は確実に終わらせる普通の社員です。気前も良く、親切な男で周囲から色々頼られていました。もちろん大きな問題も起こしたことはありません。履歴書も奇麗なものです。真面目な男なのです。なので彼は社内の誰よりも早く出社し、誰よりも遅く退社しました。
ですが、ある日の終業時間の間近に迫った午後のこと。彼は突如大きな叫び声をあげてデスクから跳ね上がると、支離滅裂な言葉を口走りながらオフィスから弾丸のように飛び出して、そのままにこの日は帰ってきませんでした。記録のないタイムカードと、積み上がった仕事を残して。そうして次の日は、このようなふざけた格好で会社に居座るようになりました。
職務も大幅に変わり、彼の仕事は社内を徘徊することになりました。始業時間になると経理課、人事課、営業課、企画課など順繰りに見回わるのです。パイの生地をこねるみたいにたっぷりと時間をかけて。それでいて特に何をするわけではありません。ただ、業務中に私信をしている者や動画共有サイトを開いている奴の後ろにじっと立っているだけです。
そうして昼時になると社員から捧げられたドーナツなどのお菓子類を食べ、砂糖の入っていないコーヒーを飲みます。間違ってもファストフードやジャンクフード、炭酸系飲料を提供してはいけません。獲物を横取りされた獣みたいに暴れ出すので。
一度だけ面倒くさがった社員が儀式を怠って、冷凍食品と粉末ジュースを差し出したところ、社内の全てのブレーカーを落とされ、分電盤がことごとく破壊されたことがあります。あれは大変でした。どの部署も保存されている、いないにかかわらずパソコンのデータが一斉に吹き飛んだのです。わけても最も被害状況が悲惨だったのは経理課でした。確定申告の直前だったのです。
このようにやりたい放題のクレア氏でしたが、そのわがままも長くは続きませんでした。
潮目が変わったのは当時の社長が、外部からビジネスコンサルタントを招聘した時でした。コンサルタントは会社の業績を鑑みて、コストカットを提案。部署の統廃合や社員のリストラを含む、大胆な経費削減案をまとめあげました。そしてその切り捨てられるものの中には彼、クレア氏が存在したのです。
彼に解雇が言い渡された、その日についてはよく覚えています。羽交い絞めにされたクレア氏は、これまでにないくらいに激しい抵抗を示しました。建物全体の窓ガラスの全てが砕け散り、ブラインドは真っ二つに折られ、イナゴやカメムシがどこからか大量発生しました。鉄筋コンクリートのビルは地鳴りがとどろかせながら、その身を震わせます。手洗い場やウォーターサーバーの水、自動販売機の飲み物が赤く染まり使い物にならなくなりました。
なのでクレア氏を社内からつまみ出すには、今まで以上の労力が必要でした。彼のために動員された警備員や社員たちは奥歯と犬歯、助骨などを犠牲にしなければならなくなり、会社側は彼らの治療費を負担し、場合によっては戦力外通告を言い渡さなければなりませんでした。胸の痛む話です。
私はコンサルタントが行ったことが全く悪いとは考えません。クレア氏の存在は会社や社員に一定以上のコストを負わせるものであり、必要のない不合理さを強いているのには違いがありませんでしたから。ビジネスの世界はとても厳しいのは知っています。ここではセンチメンタルな判断は命取りになり、下手をすれば多くの社員を路頭に迷わせ、人生を狂わせてしまう結果となります。そんな中で存在意義のわからない奇妙なものを遊ばせておく余裕はとてもありません。
しかし実際に起きた出来事と、喚起された心情とは全く別の問題です。そうは思いませんか?
セントラルポスト紙
19××年1月13日 家電メーカー工場襲撃
大手家電メーカー、レトロ・テクロニクス社の製造工場が何者かにより襲撃され、爆破。作業が終日中断された。犯人たちは動物の着ぐるみをまとっており、警察当局は過激派テロ組織との関連性を調べている。被害額は一億円に上る。なお、この事件による死傷者はいない。
19××年4月1日 レトロ・テクロニクス社社長退任、経営陣一新
レトロ・テクロニクス社は昨年1月に発生した工場襲撃事件における危機管理責任を問われ、社長及び経営幹部が引責辞任する運びとなった。経営陣一新に伴い、社名もヴァレンタイン社と変更される。新代表のクレア・マクレガン氏はこれからもカスタマーの期待に応えていくと同時に、正規不正規問わずすべての社員に快適な労働環境を作りたいとの声明を発表。業界の内外から今後の動向が注目されている。
……
20××年9月4日 ヴァレンタイン社、梅川電機を傘下に。大規模な合併は昨年度を含め3度目
20××年2月14日 ヴァレンタイン社の業界内シェア85パーセントへ 来春には食品業界進出を予定
20××年9月7日 シリーズ企業改革
ヴァレンタイン社のCEOに聞く 躍進の内幕 秘訣は着ぐるみと社員の一体感
20××年1月9日 マクレガン氏、ヴァレンタイン社の代表を辞任 政界へ
……
20××年8月7日 ヴァレンタイン社元代表・マクレガン氏 首相官邸において初任演説
20××年2月1日 消費税増税が決定10パーセントから20パーセントへ
20××年10月11日 来年度から学校給食にデザートをつけることを義務づけ
20××年11月1日 国営の食品配達制度発足 デザートつき
専門家から警鐘の声 提供される食事に栄養の偏り
20××1月3日 有志の医師連合が告発
低所得者層の健康状態が近年最悪の状況
20××年12月25日
生活習慣病による死亡者数増加 病院の深刻な人手不足
首相官邸前で抗議デモ
『お菓子も着ぐるみも、もういらない』のシュプレヒコール
20××年1月10日 WHOから我が国へ基本的人権及び健康に関する勧告
健康権確保の国家的責務を果たすよう、マクレガン首相らに呼びかけ
20××年4月22日 新法可決 残る、表現の自由や結社の自由に対する懸念
20××年7月6日 新法で初の逮捕者
20××年8月1日 増殖調理・高速配給装置”SWIFT RUNNER” 初稼働
各家庭への食糧配給を効率化
物理学者らエントロピーの増大を懸念 地球がお菓子で埋まる?
……
20××年12月24日 反政府分子 A国で亡命政府樹立
政府幹部ら人道的支援を各国に訴える
20××年1月1日 マクレガン首相 反政府政権に対し強硬な姿勢
化学兵器の使用も匂わせる
?
聞こえますか。再生機能は、ちゃんと機能していますか。
これを録音している現在、私の世界は壊れつつあります。機関銃から放たれる銃弾やドローンが運んでくる爆弾、重金属と放射能を含む雨。機会によって際限なく増え続け、与えられ続けるパイやドーナツ。そんなもので。
今のあなたの目の前にあるのは荒れ果てた廃墟群でしょうか、それとも美しく真新しい街並みでしょうか。いずれであるにしろあなたがこれを耳にしているということは、ある程度の身の安全や余裕が確保された環境にあるのでしょう。そのことを私はとても嬉しく思います。おめでとう。私はあなたが何者かは知らないし、あなたにとって私は誰でもないけれど、心の底からお祝いします。
もしかしたらあなたはジャーナリストか学者で、この記録に対してある種の期待を抱いているのかもしれません。例えば長編ノンフィクションを書き上げるとか、歴史の教科書を一部書き変えるとかそういうような。
しかしこのボイスレコーダーがどこで発見されたにせよ、録音されているのは大それた内容ではありません。これから私がしたいのは国家機密や政治家や大企業間で企てられた陰謀の暴露ではなく、私に身に起こった実に他愛のない話なのです。放っておけば時間の彼方に溶け込んで、いずれ忘れ去られてしまうような話です。
まだ私が幼くて、日々の糧を得る苦しさを知らなかったころ。そして見事にからりと晴れた夏の日。私は両親や祖母父の代からの習慣に倣って、家の前でレモネードを売っていたことがありました。もっともレモンを砂糖に漬け込むとかの手の込んだものではなく、粉末を溶かした氷水に、はちみつを溶かしただけの簡単なものでしたけれど。手間らしい手間と言えば屋台の準備と、注いだジュースの上にミントを添えるだけで。それでもピッチャーや紙コップを並べて、自分の組み立てたスタンドの前にいると、何となく誇らしい気持ちになったのを覚えています。
商いはおおむね順調で、お金はどんどん集まってきました。子どものしていることだから、と大人たちが特別よくしてくれたのかもしれません。とにかく何もかもが上手くいくような気がしていました。
不意に客足が途切れた時でした。向かいの家の青々とした芝生をぼんやり眺めていると、クマに似た、黄色い着ぐるみを被った人がスタンドの前を横切っていきました。それはいつもアンダーソンさんの家の前にいる、怪しげなクレア氏です。
そのときの彼は何だか少しおかしい――彼はいつもおかしいのですが――様子でした。歩を進めるたびに身体が左右のメトロノームのように大きく傾いて、俊敏性がなくのっそりとしています。明らかに不審な足取りでした。生地が毛羽立って、ところどころ薄汚れているのが、なおさら怪しさを際立たせていました。(どうやら服はこれ一着しか持っていないらしいうえに、ずっと外にいるために洗うに洗えないのです)今考えてみると、あれは熱中症のたぐいではなかったかと思います。
熱中症のねの字などつゆほども思いつかない私は、とっさに彼から目を逸らしてしまいました。両親からクレア氏にはあまり近づくなと言つけられていたし、実際私も個人的にクレア氏にあまり良い印象を持っていなかったからです。親から含まれていたのもありましたが、なんて言ったって不潔で不格好でしたから。当時の私は清潔で美しくないものには一切価値がないと信じ切っていたのです。それはしょせん私自身の物差しでしかありませんでしたが。
つとめて彼の方を見ないようにしていると突然、少し離れたところで怒声が上がりました。大声の聞こえる方へ視線をやると二、三人組の男がいるのが見え、その中の一人がクレア氏の胸倉を掴みながら、何かをわめいていました。距離があることもありその内容は断片的にしかわかりませんでしたが、どうやら肩がぶつかったか、足を踏んだか、そんなようなことで揉め事になっているようでした。
クレア氏は一向に己の態度を示しませんでした。自分が何を考えているか。相手に対して悪いと思っているのかそうでないのか。何の言い分も、態度も示しませんでした。もしかすると、したくても出来なかったのかもしれません。何だか身体が弱っているような雰囲気でしたから。とにかく彼は相手にされるがままになっていました。
そんな態度が気に障ったのか。胸倉を掴んでいる男の喚き声はどんどん声量を増し、次第に意味不明な金切り声に変わっていきました。怒鳴り声が大きくなるにつれ、どこからともなく人が集まってきます。だいたいがたまたま通りすがっただけの人たちでしたが、わざわざ家や車の中から出てきた人もいたのを覚えています。
事の善悪や是非の判断がつきかねたのか、彼らはしばらくクレア氏らの動向をじっと伺っていました。そのある瞬間、笑い声が起こりました。まるで大きく響きそうなのを抑えているような、小さな笑い声です。それにつられるようにまた誰かが笑いました。今度ははっきりとした、明瞭な声でした。そうして笑い声は一人、二人と増え、さらには囃し立てるものも出始めました。やってしまえとか、それでも男かとかそんなことを。
そうしてついに胸倉を掴んでいた男は、クレア氏を勢いよく殴りつけました。鋭い角度で、下から突き上げるように。ストレートで。
あとに起こったことは、『無惨』という一言に尽きるものでした。怒号と冷罵と嘲笑と、悲鳴と血飛沫と。そんなものに満ちた物事でした。その始まりから、おしまいまで私はずっと見ていました。自分たちのすぐそばに年端もいかない子どもがいるだなんて、みんな気にも留めてない様子だったのです。
やがて興奮がピークを越えて昂りの嵐が静まると、海辺に築き上げた砂の城が崩れるように、人々はその場から次々に去っていきました。ぼろきれのようになったクレア氏だけを残して。
群集から抜け出してきた何人かは私のレモネードを買っていったのを覚えています。彼ら、彼女らは確かに私にお金を差し出しました。ついさっきまで人を殴っていた手で。そして私はそのお金を受け取り、商品を渡しました。そういう約束だったからです。
気がつくとクレア氏はいなくなっていました。どこへ行ったのかはわかりません。誰かが病院へ運んだのかもしれない。しかしそんなことにかまわずに私は商品やスタンドを片付け、それなりの稼ぎとともに家の中に戻りました。
今、思い返してみると、そのときの彼にはあれほどまでの苦痛や屈辱を被るいわれはなかったはずでした。もちろん聞こえてきた言葉が真実であるのならば彼にも非があります。けれども(今になって考えてみれば)クレア氏が犯した罪に対しての報いは、明らかに勝手で過剰なものでした。
起きてしまった事は、けして些細な事とは表現しえません。ですが一言謝って、二言三言小言を伝えれば済むような出来事です。それで納得がいかなければしかるべき場所に訴えて、判断を求めるべきです。けれども、彼らはそれをしませんでした。全ては理性ではなく、暴力で報われました。
これは、どこにでもあるような他愛ない話です。今あなたが生きる場所ではどうかはわかりませんけれど、少なくとも私が今まで生きてきた、着ぐるみの人々が覇権を握る世界では多くありました。一晩寝てしまえば忘れ去られるくらいに。
しかし飛び交う弾丸や毒性の雨や、お菓子を無限に供給し続けるマシーンから逃れながら、私はときおりこの夏の日のことを思い出します。建物の物陰に潜んでいる、あるいは地下壕の隅でまどろんでいる。そんなときに。そしてどうしてこんなことになったのだろう、といつも戸惑います。
もしかしたら――こんな表現は幼稚もほどがありますが――彼らと私たちとは友達になれたかもしれません。あるいは心地よい距離を保った隣人同士とも言い換えてもいいでしょう。いずれにしても過去のどこかの時点では、現在よりはずっと良好な関係性を築ける可能性はあったはずなのです。
しかし、実際にはそんな出来事は起こりませんでした。私たちのあいだに存在したのは親愛や礼節や営みではなく、憎悪と無礼さと断絶でした。
あなたがいる未来でこのボイスレコーダーが再生されるときに、世界がどのようなっているのかは私にはわかりません。文明は崩壊しているのか、どうにか存続しているのか。ひょっとすると、今これを耳にしているあなたが人類ですらないというのも有り得ます。
そのどちらかにせよ、私のすることには変わりません。私があなたに話したかったのは、かつてこのような世界が確かに存在したということ、その中で私やクレア氏や、それ以外のたくさんの人間が生きていたということです。それ以外には全く何も望むことはありません。ただ、聞いてもらいたかった。それだけなのです。
また、あの忌々しい機械が近づいてきました。逃げなければなりません。さようなら。どうかあなたも、生き延びることが出来ますように。
(2020.2.13)