私たちは実は世界の名作を読んでいる 『少年の日の思い出』
文学小説なんて読まなさそうな音楽アーティストが、ヘルマンヘッセ、宮沢賢治、夏目漱石… と作家を挙げているのを見て、かっこいい、歌詞が奥深いのはこのせいかもと。そんな憧れで、普段読まない「世界の名作」を読んでみようと思い立った。
まずは「ヘルマンヘッセ」。そもそもどういう小説を書いている人なのか、できれば短くて読みやすい小説がいいなと思い、ウィキペディアで検索。そして衝撃を受ける。
「少年の日の思い出」(1931年)は、現在は日本でしか読めない。この作品は1947年発行の国定教科書に掲載され、その後現在に至るまで70年間以上も日本の中学国語教科書のいくつかに教材として掲載され、2012年度からはすべての検定教科書に載っている。
ということは自分も読んだことがあるはず… どんな話だったか思い出せないけど。ネットで探すと、友人の蝶の標本に惹かれて盗んでしまった主人公が勇気を出して謝ったが、友人から立ち直れない言葉を投げかけられ、自分の標本の蝶を潰してしまうという話だった(全員が読んだことのある小説だとするとネタバレにはならないと信じて)。
この小説が日本でしか読めないのは、ヘッセが、ヘッセを訪ねてきた学者(訳者)に、帰りの電車で読むようにとこの小説が掲載された新聞の切り抜きを渡してしまったためらしい。まさか、その切り抜きが海を渡り、教科書に掲載され、その国の国語の授業で読まれ続けるとは想像しなかったに違いない。70年以上掲載というと、祖父母の世代も、父母の世代も、教科書でこの小説を読んできたことになる(勇気を出して謝っても報われないというこのストーリーが国民性に影響を与えてないといいけれど)。
検索している途中で、過去の小学校・中学校の国語の教科書に掲載された作品名と作者を検索できる便利なサイトがあることを知った。
「光村図書 教科書クロニクル」
https://www.mitsumura-tosho.co.jp/chronicle/
ヘルマンヘッセだけでなく、魯迅『故郷』、トルストイ『飛び込め』、夏目漱石『吾輩は猫である』、宮沢賢治、探そうとしていた作者の作品は抜粋も含めると結構な数ここにあった。
これまで、ヘルマンヘッセのような文学作品を口にするのは、世の中の一部の人だけのような気がしていた。
自分もその世界に一歩足を踏み入れてみようとしたのに、すでにクラスメートと一緒に読んでいたのだ。それも、一番感受性の豊かな十代のときに。
昔は教科書の作者の作品を読んでみたい、なんて絶対思わなかったが、今はそう思う。不思議なものだ。