【死のイメージがかわる】まさかの宣告?
【わたしはわたしを生きるシリーズ】
「人生何が起きても大丈夫!」
夫の鬱も、娘の不登校も、
わたし自身の強烈な自己否定も。
ぜーんぶ、大丈夫でした!
家族や友人知人から、
「いつも楽しそう」
「悩みがなさそう」と言われる話。
気がつけば、いつのまにか
わたしの中には不満がないみたい。
そして、そこから派生する
不安や恐怖、心配というものも
ほとんど感じない。
毎日生きているだけで
嬉しいし愉しい。
なぜかなと振り返ってみれば、
基本的に、わたしは
いろいろ余計なことを考えない。
…いや、そもそもが
わたしは何にも考えられなくて
頭の中は常にお花畑!
というのもあるけど。
もともとの、
【あまり頭を使えない資質】
プラス
自分の中で、
死の恐怖を乗り越えたという経験が
大きかったと思う。
うーんと、
死の恐怖、とか、
乗り越えたとかいうと
ちょっとニュアンスが違うか。
自分の中の
死のイメージが変わったことで、
死を受け入れた
という感じかな。
人間の不安と恐怖って、
最終的には
病気や死に行き着くし、
寧ろ、直結してるよね。
病気や死についての
イメージが変わると、
結果的に、
漠然とした不安や恐怖も
だんだんなくなっていくよ。
わたしは、普段はほとんど
病院には行かないのだけど、
(健康診断は、かれこれ
20年くらい行ってなかったな〜)
昨年の春から数ヶ月、
常に下腹部に鈍痛があって、
体調不良が続いていた。
会社の健康診断で、
「要検査」の結果が出たのも
何気にスルーしていたのだけど
さすがに具合が悪いのが
自分でも気になって
大きめの病院に行ってみたら
すぐに精密検査の流れへ。
検査結果については
担当医師から、
婦人科系と内臓系での
問題箇所をいくつか伝えられつつ
「腫瘍マーカーの数値が高い」
と、告げられた。
最初、
“しゅようマーカー”と聞いても
意味がわからず。質問してみた。
先生と看護師さんの
微妙にざわっとした雰囲気と、
“悪性と決まった訳ではないので”
というニュアンスで
言葉を慎重に選んでくれている
という感じが伝わって来たので、
「あら?これってもしや、
ヤバいパターンかな?」
と、一瞬。
思ったのだけどね。
遠くにちらっと、
“死”というものが
見えそうになったのだけどね。
次の瞬間。
※長くなるので、また次回。