見出し画像

琉球新報 落ち穂「琉球舞踊はつまらない」#6

 稽古を通じて「息を合わせる」という言葉の意味を改めて実感する。呼吸のタイミングが合えば合うほど所作が揃い、一体感が生まれる。

例えば、旧暦の8月15日頃に行われる「ウシデーク」では、豊作祈願のため人々が円陣を組み歌い踊る。複数の人が同じ動作をするというシンプルな動きには、祈願や祈念が凝縮された想いの強さを感じる。

それは、もちろん琉球舞踊にも当てはまる。

 「琉球舞踊は、単純な動き。みんな同じで、つまらない」。琉球舞踊「浜千鳥」をみた演出を名乗る人の言葉。

所作を変えるべきだという意向に従うことも抗うこともできない自分。

なぜか師匠や伝統をつなぐ皆の顔が浮かんだ。

 琉球舞踊において複数名が同じ所作をするという行為は、劇場での上演を前提とせず、祈りや想いが根底にあると考えれば自然な話だ。

また、現代の様々なエンターテインメントや芸術、技術やテクノロジーを駆使した華やかかつ劇的な演出もある今の時代、琉球舞踊の静謐で抑制された動きが、単調に見えてしまうのも理解できる。

 しかし、伝統の魅力は、目に映る一瞬の表現や華やかさのみではなく、作品と想いの深層を探ることにあると考える。

たとえば、男踊りの傑作ともいわれる琉球舞踊「高平良万歳」は、組踊「万歳敵討」に登場する兄弟の舞踊を一人踊りとして仕立て上げたものだ。

また、沖縄芝居「奥山の牡丹」での京太郎たちが揃って悪を成敗するという展開にも同作品たちがチラつく。

それぞれの作品が重なりあって、つながりあっている。そんな深層を探ると、琉球のみならず、大和文学やその他国を飛び越えた文化が垣間見えるから面白い。

ビジネスマン、経営者界隈でよくいわれる、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ」というやつもまた伝統芸能が教えてくれた。

 長い時間と沢山の人と想いが、積み重ねて今日までつないできた。もしかして?ひょっとすると?を繰り返し、深層した想いや作品を紐解いてみる。伝統芸能は、知れば知るほど観れば観るほど楽しくなるだろう


琉球新報 落ち穂 髙井賢太郎「琉球舞踊はつまらない」 より

いいなと思ったら応援しよう!