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琉球新報 落ち穂「好きなことで生きる」#5
世間でユーチューバーという言葉を見かけるようになった頃、全く興味を持たなかった私が気づけばユーチューバーと言われている。
昨今のコロナ禍で芸能活動の一つとしてはじめた動画配信の取り組みを「球芸能活動中-リュウカツチュウ」とし、ユニット名でも団体名としてでもなく、琉球芸能を愛するすべての人を「琉活中」と呼んでいる。
気づけば生活の身近にあるオンライン動画共有プラットフォーム=ユーチューブ。「好きなことで、生きていく」という魅力的なキャッチコピーに、心動かされた人も少なくないだろう。
しかし、「好きなことで、生きていく」と「好きなことだけして、生きていく」は全く違う。「好きなことで生きるために、好きじゃないことやできないことをできるようにする」が真実だろう。
例えばユーチューブは、調査、企画、撮影、編集、校正、サムネイル作成、タイトル及びキーワード選定、公開設定、アクセス分析という工程を経て、視聴可能となる。配信する側の私がそれらの中で”好きなこと”といえば、撮影の間に自分の想いを話している時間くらいだ。
伝統芸能はどうだろう?
自分が好きな演目のみ稽古して、好きな舞台だけ出演して、思うままに好きなように自己表現していればいいのだろうか。いうまでもなくNO、むしろ真逆だろう。
長い時間と人が積み重ねてきた技心型を学ぶ稽古は「自分ができないことをできるようにする時間」の積み重ねでしかない。
芸術活動は出演や演じることのみにとどまらない。時には舞台制作やその他のタスク、やるべきことがある。その時間の多くが”好き”でなかったとしても、たった一つの”好き”である伝統のためと思えば誠心誠意取り組める。
よく考えてみれば、芸術活動のうちの多くが舞台以外の時間であり、舞台に立っている時間はわずか一瞬だ。結局私は、それらをひっくるめた過程と出逢う人が好きなんだと気づく。想いを分かち合い、目指す仲間がいる。そんな自分を支えてくれる人たちがいる。伝統が好きな人生は実に幸せで、心豊かになれるのだ。
琉球新報 落ち穂 髙井賢太郎「好きなことで生きる」 より
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