199:視覚芸術 エドガー・ドガ
水曜日は視覚芸術を学びます
エドガー・ドガ(1834~1917)
印象派の芸術家で
画家・素描家・彫刻家・写真家・収集家と様々な分野で活躍
パリの裕福な銀行家に生まれ
当初は法律を勉強するつもりだった
しかし
ルーヴル美術館で絵画を模写したのをきっかけに芸術家になることを決め
20歳頃から修業を始めた
2年後にイタリアに移りルネサンスの巨匠たちの絵画を模写した
当初は古典的な主題に引かれたが
そうした中でも実際の人体を模範にして人体像を描いた
初期の作品の
『スパルタの少年少女』(1860年)は古代的な主題を19世紀的な背景の中で書いた
影響を受けた事柄
写真が発明され強い影響を受けカメラを使った実験を行い
作品を描く前の習作段階でカメラを利用することが多かった
また浮世絵からも影響を受け
浮世絵が構図全体のバランスを意図的に崩している点や中心線を基本としない点に関心を持った
特に葛飾北斎の影響を大きく受けたそうだ
1861年、写実主義の画家であるギュスターヴ・クールベとエドゥアール・マネに会うと触発されてパリの日常生活を描き始めた
変革期
1865~1874年の間にドガは感情を排した客観的な目で対象を捉えようとする独自のスタイルを築き上げた
『室内(強姦)』(1868~1870)は
見る者を秘密の瞬間に入り込んでしまったかのような感覚を与えている
印象派を当初から支持していたが「印象派」という言葉を嫌い
自らは写実主義者または自然主義者と名乗っていた
全盛期
1880年~1893年に実力は最高潮に達した
小説家エミール・ゾラの社会主義的な考えに影響を受けて
労働者を共感的に描いた肖像画も制作した
『アイロンをかける女たち』(1884年)はその一例だ
晩年
1886年以降は仲間の展覧会に出品するのをやめ代わりに個人の美術商と手を組んだ
晩年は自然な色より鮮明な色を使うことが多くなった
視力が衰えてふさぎがちになり1912年には絵画制作をやめてしまい
その5年後になくなった
おわりに
ドガは踊り子を描いたことで特に有名になったそうだ
裕福な家庭の出身だったドガはバレエを好みオペラ座の定期会員になっていた
当時は定期会員はオペラ座の楽屋や稽古場に入ることが許され
稽古場や楽屋など風景を描いていた
初期の作品の『室内(強姦)』もそうだが
一般の人は見ることが出来ない世界
立ち入ることが出来なかった特別な空間を
ドガの作品を通して見せてもらえるのは
ワクワクするような特別感があったんだろうなと思う
ほとんどの人が知らない情報は
今の時代も有益で
Clubhouseもそんな感じなのだろうか?
Androidの為にまだ見られない世界で聞くだけでドキドキする
今日はここまで!
いつもながら『1日1ページ読むだけで身につく世界の教養365』から学びました💡
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