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初めての担当職員「K氏」
考査工場という【訓練所】
その前に、隔離期間
私は、拘置所から刑務所までバスで移送された。
バスの乗員は、私を含めた受刑者6名・職員3名だった。
私が収容された頃は、コロナ禍真っ只中だった。
そのため、拘置所から刑務所へ移送された後、
1週間の隔離期間があった。
『同じ機関の施設に居たのに、わざわざ隔離するのだろうか?』
『バスの中は刑務官だけなのに、外部との接触になるのか?』
そんな疑問があったが、そんなこと言えるはずがない。
ただ言われるがままに過ごすしかない。
今考えると、融通の利かないルールを幹部職員が制定し、
現場の職員の意見や一般的な常識は完全に無視される、
【刑務所あるある】だったと思う。
コロナ禍は寝るまでマスクつけっぱなし
コロナ禍では、起床から就寝までマスクは外せなかった。
居室の中にいる間でさえ、着用が義務付けられていた。
ただ、ここは独居である。つまり一人しかいないのだ。
『このマスクは何のために着けているのだろう?』
勿論、ルールなので仕方ない。聞きたくても聞けない。
寝ているときは外すことが義務付けられていた。
これは【生きているか確認するため】である。
外せば飛沫は飛ぶ。寝ていてもくしゃみはするし咳も出る。
と、なると、日中も外していていいのでは?
話をするとか、居室から出る際だけ着ければいいのでは?
ここは刑務所だ。自分の意見は通らない。
隔離=独居房(単独室)という罠
拘置所では雑居房(複数人部屋)に居た。
まさか刑務所が独居になるとは想像していなかった。
後から考えれば、【隔離だから独居】なのではあるが、
この刑務所は独居が主で、このまま行けるのでは?
と、淡い期待が芽生えていた。
隔離期間終了と同時に【転房】
初めての刑務所生活。
1週間の隔離生活が終了する日、職員からこう言われた。
「転房っ!」
『はぁ?』
聞きなれない言葉なのだから仕方ない。
転房=部屋移動のこと。独居房とか雑居房とか、
【房】を付けるのが刑務所流だ。
私の同期は6人いた。
全員同じタイミングで収容された受刑者だ。
そして、全員同じ拘置所から同じバスで移送されてきた。
ある意味同郷。ある意味同期。
この同期という繋がりが、刑務所ではかなり強い縁となる。
その全員が同タイミングで転房となり、移された部屋が
【雑居房】であった。
そして、同じバスに乗っていた6人は全員同部屋となる。
そして、荷物を部屋に移すや否や、
「さっさと準備しろ!行くぞお前ら!なにダラダラしてんだ!」
と、ここから罵声生活が始まった。
初めて【担当職員】というものを知る
考査工場の担当職員は若かった。
マスクをしているので、目元しか見えない。
それでも若いと感じるに足るほど、若かった。
以降、この職員を「K氏」と仮称する。
同期6人が横並びとなり、K氏が訓示をする。
何を言うかと思った、第一声。
「お前ら・・・」
いきなりのお前ら発言。その後は人間として否定するような
罵詈雑言の雨あられ。
4字熟語にことわざまで付けてしまう程の状態。
まあこれほどにまで、よく汚い言葉で罵れるな、と感じた。
仕事だから仕方なく、という次元ではない状況。
多分、そういう人間であり、品格なのだろう。
『こんな職員の元で作業するのか。これが刑務所か。』
昼食はとにかく急がされる
訓練生は総勢20名ほどだった。
20代後半から70代ぐらいまで、年齢は幅広かった。
しかし、人生の先輩とかお年寄りとか、そんなの関係ない。
皆、同じタイミングで収容された【犯罪者】なのだ。
そして、K氏からしてみれば、たぶん全員【クズ】なのだろう。
平日の昼食は、工場ごとに食事をする。
全員同時に食べ始める。
K氏が、『食事始めっ!』と、号令を掛けてスタート。
てっきり普通に食事をするのかと思ったら・・・
私たちより1週間早く入所した訓練生が、
【ガチャガチャガチャッ!!!!!】
と、猛スピードで食べ始めたのだ。
それを見ていた、同期の6人は一瞬手が止まった。
私もその刹那、
「なんだこいつら。そしてそんなに急がなきゃダメなの?」
と、思っていた。
はい、ここでK氏登場。
私たちの唖然とした態度を見逃さず、間髪入れずに
『てめーら、なにぼーっとしてんだ?!さっさと食えよ!』
こんな映画が昔あったような。
戦争映画で、命辛々助けられた兵士が餓えた胃袋を満たすため、
ものすごい勢いで食べる、的な。
K氏の発言後、同期6人はまさにこの状態だ。
愛犬家の人には申し訳ないが、本当の犬食いとはこのことだと思う。
「とにかく早く食べなければ!」
この一心で食べ始めた。
しかし、元々ゆっくり食べる方だったので、早食いはとにかくキツイ。
全ての食事が咀嚼し易いように柔らかく調理されているのだが、
それでも早食いはキツイ。
それならいっそのことお茶で流し込もう、と考えた。
しかし、そのお茶が熱い。いや、熱々なのだ。
ただ、K氏はそんなことお構いなしだ。
食堂を歩き回って無言の圧力を掛けてくる。
私が食べ終わったのは最後から2番目。
そして、向かいに座っていた50代くらいの人が残った。
残念なことに、この方は見るからに遅い。
なんせ、まだお米が半分以上、おかずもまあまあ残っている。
ただ、理由は単純明快であった・・・歯がないのだ。
しかし、K氏にとってそんなことは理由にはならない。
『おめーいつまで食ってんだ?!みんな待っているだろうが!!』
と、怒鳴る。それも耳元で。ヤバい、人ではない。
そうすると、目の前の人は
「すいません、もう食べられないので終わります」
と、まさかの終了宣言。
確かに、あの距離で怒鳴られて、隣で見られてたら食べる気が失せる。
ただ、K氏は気を遣うどころか待ってましたとばかりに、
『はい、食事終わりっ!』
と、号令を掛けたのだ。
願箋は受け付けない
訓練生でも、受刑者と同じように生活している。
その為、義務が生じているのと同時に権利も発生している。
そのうちの一つが【願箋】だ。
これは、【願い事】などともいわれる刑務所ならではの行為だ。
一般的に言えば、
【私は〇〇をしたいので、許可してほしい】
と、いった内容を【専用の用紙】に必要事項を記載して許可を得る行為だ。
些細な事なら担当職員が受けてくれる。
しかし、基本的にはすべての行いに施設の許可がいる。
例えば・・・
・親族や友人など、手紙を送る先を登録する
(逆に言えば、登録しなければ手紙は送れない)
・購入したノートを使用する
・支給された下着が破れたので交換してほしい
こんな感じである。すべて担当職員の承諾の上、施設のお偉方が許可する。
願い事は受刑者の権利であるため、基本的には受け付けなければならない。
その後、施設が判断して許可を出す。
その為、許可が出ないことも当然ある。
しかし、K氏は違った。
訓練生である状態では、願箋は受け付けないというのだ。
『それ、急ぎなの?』
『どうせすぐ工場に配属になるから、それからではダメなの?』
『それは無理でしょ。受け付けれないな』
勿論、K氏が今までの経験で受け付けられない内容もあったであろう。
その為、全てを否定はしない。
ただ、明らかに受け付けないのだ。
その後、月日が経って願箋の流れを把握して悟った。
願箋は担当職員の手続きが若干発生するようで、意外と面倒らしい。
その為、受付を面倒に感じる人もいるらしい。
つまり、K氏はまさにそれだったのだ。
とにかく、受刑者の話は聞かない
施設のルールで、職員に反抗したり抗弁したりしてはいけない。
反抗はともかく、この【抗弁】というのが厄介だった。
納得できない事象に対して再度聞き直すのも抗弁という職員がいたのだ。
K氏もまさにこのタイプだった。
その為、指摘された内容に対して自分の考えを伝えようとしても、
『てめー抗弁するのか?』
『でもじゃねーよ、さっさとやれよ』
こんな毎日だった。
訓練生の間だけ我慢
同期の合言葉となっていた。
約2週間我慢すれば、訓練生の期間が終了して工場に配属になる。
とにかく、まずはこの期間を乗り切ろう、と。
ただ、これは配属先の工場がどのような所なのか、
全く分かっていなかったから出てきた言葉だ。
そもそも毎日作業する工場がどんな所か、誰も分からない。
K氏以上に【ヤバい】職員もいるかもしれないのだが・・・。
そして、配属の日となる。
そして、私にまさかの出来事が起こるのだが・・・
それはまた、次回にしよう。