約1か月間、『おさるのジョージ』と化した3歳児。🍼保育士時代を振り返る①
私は、7年2ヶ月、保育士として勤めてきた。
保育園はすごい。
毎日、ユーモアが溢れている。
しんどい、辛い、大変、激務といわれる中でも続けられていたのは、きっと今から書くようなエピソードがわんさかあったからだ。
その数あるエピソードの中でも、
この話は特にパンチが効いていて、面白い。
私にとって宝となる話。
こどもの世界観に大人が全力で向き合った、
『おさるのジョージ』と化した3歳の女の子との話を聞いてほしい。
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当時、私は保育士5年目。
5歳児クラスを担当していた。
3歳、4歳、5歳のこども、いわゆる幼児クラスという括で、同じ保育室で一緒に過ごし、合同保育を行う。
それぞれのクラスに1名の担当保育士がついているが、クラスの垣根などなにもなく、どの先生も「みな、うちの保育園のこども」という認識を持っている。
3歳児クラスを5歳担当の私がみることもあるし、その逆も然り。
そして、当時の3歳児クラスのこどもたちは、私が保育士3年目の頃に担当していたメンバーだった。
魔の2歳児時代から、ちょっぴりお兄さんお姉さんになったこどもたちと、また一緒に過ごす時間が増えて嬉しかった。
「みこ先生のクラスのこどもたちは、〝特に“個性的な子が多いよね。」
と、毎年、言われる。
こどもたちはみんな、特別で、個性的で、未熟なところもすべて愛くるしいものだ。
そして、先生たちもそう。
3歳児クラスはしっかり者で温厚な男性保育士N先生。
4歳児クラスは元気いっぱい活発な女性保育士S先生。
どちらも3年目の先生であり、
私にとって、後輩くんと後輩ちゃん。
どっちが先輩だかわからなくなるほど、二人とも頼もしい存在だった。
そんな先生たちも、愛くるしい。
そして、今回のエピソードの主役となる、
『おさるのジョージ』と化した3歳の女の子は、
ここではもんちゃん(仮名)と呼びましょう。
もんちゃんは、ハーフの女の子。
ちいさなお顔に長いまつ毛がぱっちり、くりくりした茶色い目に、手足もすらりと長く、BabyGAPのキッズモデルのよう。
都会的でスタイリッシュなもんちゃん。
お迎えに来る保護者の方々も、「もんちゃんは本当にお人形さんみたい!かわいいね〜!」と声をかけるほどだ。
そう言われると、
もんちゃんは、まんざらでもないように
「…………( ◠‿◠ )」と、
ちょっぴり照れ笑い。
もんちゃんのご両親も、勿論、スタイル抜群。
まるでモデル一家といったような、絵になるご家族だ。
そして、もんちゃんの教育面にも熱心なご両親だった。
3歳児にして、トリリンガル。
たまに日本語と英語が混ざり合い、ちぐはぐな言語表現をするのも、もんちゃんらしさがあって可愛い。より、もんちゃんの個性を際立たせていた。
だが、そんなもんちゃんの魔の2歳児時代を共に過ごしてきた私は知っている。
3歳児にして気品があり、都会的でスタイリッシュな見た目に反して、もんちゃんはとても『野生的』な一面を持っている。
自然派…といってもいい。
もんちゃんは独自のペースで園生活を送る、自由きままな女の子だった。
わがまま、とはまた違う。
自分のしたい!に忠実な子である。
例えば、
午睡前のお着換えの時、もんちゃんは服を脱いだらオムツ一丁で室内をミュージカル主演女優のように優雅に駆け回る。
それを追いかける私。
「捕まえてごらんなさぁい」と言わんばかりに両手を広げ、蝶のように駆け回る。
オムツ一丁で。
服を着ていただくまでに、だいたい早くても30分はかかっていたと思う。
もんちゃんは、私の後輩であるA先生をまるでメイドのように思っているのでは…と錯覚する場面も度々見受けられた。
もんちゃんは、私から時たま注意を受けるような事があると、
「A―せんせー?A―せんせー-い!?」と、「ばあやはどこなの?」というような、劇画チックに悲しみをA先生に訴え、しくしくと泣いているような素振りを見せて甘えていた。
私とA先生との間では、どちらかがこどもに注意をした時は、片方はこどもの逃げ場となってほしい(父親役、母親役的)と役割分担をしていたため、私からお𠮟りを受けたもんちゃんがA先生のもとへ泣きつくことは勿論良いことでもあったのだが、なんとも芝居がかった仕草に、注意したこちらもつい気が抜けてしまう。
A先生ともんちゃんの信頼関係は揺るぎないものだったので、先輩として、そこは嬉しいのだけれど…。
私としては、もんお嬢さまにいかに早く(冬場もそのような調子のため)、本日のお召し物を着ていただけるか。
何度も試行錯誤したものだが、後半はもんちゃんのお気に召すまま、もんちゃんのオムツ一丁の舞を見届け、御納得されてから着替えの補助をすることにした。
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3歳になったもんちゃんは、自分でほぼ着替えが出来るようになっていたため、私は「お手伝いが必要な時は言ってね」と、補助として側についていた。
だが、今日は、少しもんちゃんの様子がおかしい。
他のこどもたちは次々と着替えを終えて、給食の準備に行く中、もんちゃんはまだ着替え始めてすらいなかった。
もんちゃんは、
着替え用の服を摘まみ上げ、「スンスン」と
匂いを嗅いだかと思えば、「ホァッ」と声をあげる。
なんだなんだと不思議に思い、もんちゃんに声を掛ける。
「もんちゃん、どうしたの?」
いつもと異なるもんちゃんに、何が始まるのか私も少し興味があった。
そっと聞いたのだが…
「ホァッアッ!アー!」
「!?」
猿だ。
もんちゃんは『猿』になってしまった。
「おさるになっちゃったの?」
「ホァチッ」
『そうだ。」ということだろうか。
そういうユーモアのある人は大好きだ。
おさる化したもんちゃんにますます関心が湧く。
「あらま、どうしようかね~…」なんて言いながら、その日は、私の磨き上げたもんちゃん着替え対応法で、服を着ていただくことができた。
だが、もんちゃんはバラの香りを振りまくような優雅な2歳時代とは異なり、完全に野生の猿になってしまっていた。
その日の夕方、自由遊びの時間に、お絵かきをしていたもんちゃん。
私はそれとなくもんちゃんに尋ねる。
「もんちゃん、お昼の時、おさるさんになってたの?」
「うん。『おさるのジョージィ』になっているの。」
さすがトリリンガル。
『ジョージィ』の発音がネイティブだ。
そうか、もんちゃんは『おさるのジョージ』になっていたのか~、と軽い気持ちで私は納得した。
私は、もんちゃんの中で「おさるのジョージ」は一時のブームだと思っていた。
だが、その翌日、また翌日と、
日を重ねるごとに、もんちゃんが『ジョージ』でいる時間が長くなる。
登園時、日中の活動時間、降園時ほとんどすべて、
「ホァッ!アッ!アァーー――!」と、
『ジョージ』化が加速していた。
もんちゃんの担当保育士であるN先生は冷静だった。
「ジョージになってるの~?」とありのままの彼女をうけとめ、人語で対話する。
だが、これが1週間続くとその冷静さも欠けてゆく。
「もんちゃん、今はちゃんとお話しして。」
温厚なN先生も言うときは言う。
だが、もんちゃんも『ジョージ』であることを譲らなかった。
4歳児担当のS先生は明るく笑いながら、『ジョージ』化したもんちゃんを見守っていたものの、真剣に伝えなければならない場面で「アッ!」と返事をするもんちゃんには、さすがに注意をしていた。人語で。
私はそんな『ジョージ』化がとまらないもんちゃんに対して、後輩2人がどういった関わりをするのか、そこにも関心が湧き、やり取りをずっとニヤニヤして見ていた。(嫌な先輩)
だって、保育士はこどもに振り回されてなんぼだ。
とうとう、もんちゃんが『ジョージ』化して2週間が経った。
N先生も、S先生も『ジョージ』化したもんちゃんをありのまま受けとめたようだが、午後に健康診断が設定されている日や、避難訓練がある日など、どうしても周囲と足並みを揃えてほしい日があるときは、けじめのある行動をとってもらおうと、もんちゃんに真剣に思いを伝えていた。勿論、人語で。
もんちゃんは、そんな保育者2人の圧にも屈せず、『ジョージ』であり続ける。
そして、この2人の保育士以上に頭を悩ませていたのは、もんちゃんのママだった。
園長先生がもんちゃん親子の帰り際に、「もんちゃん、さようなら~!」と声をかける。
もんちゃんは勿論、「オァッ!ホッホッ」と返す。
この頃には仕草、移動の仕方もすべて猿そのものだった。
もんちゃんの『ジョージ』への執着はものすごい。
園長は笑いながら、「あぁ~ジョージになっているのね~」と言う。
もんちゃんは園長先生からも『ジョージ』であることを認められ、ご機嫌だ。
靴箱前を「アッアッホワァーッ」と飛んで回る。
もんちゃんママはというと、一切笑っていない。
むしろ疲れ切っているようだった。
話を聞くと、家でもずっと『ジョージ』でいるとの事だ。
それはさすがに、疲れてしまうだろう…。
「もんちゃん、猿やめて。もうキレそう。」
もんちゃんママはぴしゃりと言う。
だが私は内心「猿やめて」という、言葉を削ぎ落しまくったシンプルな要望に少し笑ってしまった。
さすがもんちゃんのママである。
園長先生はママを説得する。
「もんちゃんは今ジョージでいることが楽しいんだよ。思い切りなりきっているでしょう?これがこどもの世界観であり、表現力だよ~。でも、ママだってキレちゃっていいのよ~。」と。
ママはその言葉を聞き、園長に子育ての悩みを次々と吐露する。
私は、もんちゃんを観察する。
フランス人形のようなもんちゃんが、鼻の下を伸ばし、顎を掻いている。確かに、真剣に聞いてほしい場面で、もんちゃんは『ジョージ』だから、と、ずっと見守り続けるわけにもいかない。
N先生、S先生が、もんちゃんに話を聞いてもらえないと、溜息をつく姿も見ていた。
うーん、
そろそろ、私も『猿』になる時がきたか。
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もんちゃんママが「猿やめて」と言った日の翌日。
「アーッ!」
今日も絶好調に『ジョージ』なもんちゃんが登園する。
「もんちゃんおはよう~!」
N先生も、S先生も人として、もんちゃんに挨拶をしている。
私は、
「ホァッ!アーッ!!」
「!?」
後輩二人は言葉を失っていたが、
私も『猿』になった。
『猿』でくるなれば、『猿』で返す。
もんちゃんはというと、
「ホァチッ!ホァチッ!」
とても喜んでいた。(笑)
その日のもんちゃんとのやり取りは全て『猿語』で返してみた。
なかなか、これが楽しい。
もんちゃんも私も、お互いの猿具合を見て、大笑いする。
勿論、着替え時も、お互い『猿』のままコミュニケーションを図る。
もんちゃんは、「みこせんせいもジョージィになっちゃったの~?」とにこにこしながら言う。久しぶりにおさるのもんちゃんが、もんちゃんに戻った。
「そうだよ。もんちゃんがジョージィになった時は、みこ先生もおさるでお話するね。」
「ァチッ!」
もんちゃんは飛び跳ねる。
そんな私ともんちゃんのおさるコミュニケーションを見て、N先生も、S先生も猿語を話せるようになった。
メリハリも勿論大事だ。
もんちゃんが『ジョージ』モードであろうが、
こちらもずっと『おさるのジョージ』でいるわけではない。
もんちゃんと真剣な時間を過ごしたい時は、
もんちゃんの両手を握り、しっかり目を見てお話する。
おさるになる時はなるし、ならない時はならない。
遊び心を持ち、もんちゃんと同じ立場になってコミュニケーションをとる。
もんちゃんの『ジョージ』化が進んで、
ちょうど1か月を迎えようとした頃だ。
「おはようございます…」
もんちゃんは急に『ジョージ』ではなくなってしまった。
やけに表情が暗く、落ち込んでいるようだ。
「あれ、おさるのジョージはどうしたの?」と周囲の先生たちも心配する。
「もう、猿辞めたの…。もう猿やらないの…。」
『猿やめた』
『猿やらない』
またしても言葉を削ぎ落したこの言語表現に、さすがもんちゃんママの娘、と私は思った。
「あら…、そうなんだ。ちょっと寂しくなるね。」
私がそう返した後に、N先生がそっと私に言った。
「昨日お家で、叱られたみたいです…。
ずっと猿でいるから…。」
なるほど。
久方ぶりの劇画チックなもんちゃんだったが、
なんて気の毒な…
だが、後々ママから聞くと、もんちゃんは小学校受験を視野に入れているため、今から面接でしっかり受け答えができるようにと、少しずつお家で練習を始めたようだ。
だが、もんちゃんは『おさるのジョージ』として応じたため、ちゃんとして!と叱られたとのことだった。
ママの気持ちもよく理解できる。
ママも『猿』になってみたらどうですか!?なんてことは言わないが、落ち込むもんちゃんを見て、ちょっぴりもんちゃんが可哀想に思った。
それからのもんちゃんは『おさるのジョージ』としてではなく、劇画チックで優雅なもんちゃんに戻った。
約1か月、家庭よりも長い時間を過ごすこの園生活で『おさるのジョージ』を曲げなかったもんちゃんはなかなか大物だ。
そして、もんちゃんの『ジョージ』化が懐かしく思うようになった頃、もんちゃんが困り眉で登園する。
挨拶をしても「おはよぅ…」と目を伏せ、すん…としている。
どうしたどうしたと思っていると、N先生からそっと事情を話された。
「昨日、小学校の学校見学があったみたいなんですけど、順調に見て回っていたものの、一番最後、校長先生がひとりひとり、こどもたちにさようならって挨拶したときに、出ちゃったんです。」
まさか
「『ホアッ!!!アッアッー!!!』って。」
数か月、抑え込まれてきた『ジョージィ』が解き放たれたのだ。ここぞという時に。
N先生、みなまでいうな…
笑いが…。
「一番の締めだった時に、『ジョージ』が…」
もんちゃんはオチまで完璧だった。
私は堪え切れず笑ってしまった。
だが、もんちゃんはしゅん…とされているので、
「もんちゃん頑張ったねぇ」と気持ちに寄り添った言葉がけをしたが。
もんちゃん、最高だ。
君は何も間違っちゃいない。
その後、もんちゃんは小学校受験を「合格」した。
『ジョージ』と化して、福と為す。
私が校長だとしても、自分の『好き』を豊かに表現するもんちゃんは、即合格にするはずだ。
もんちゃん、おめでとう。
おわり
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