「人に優しい人」が理解できなかった
私は外面が良いが、根本的に「人に優しい」人ではない。
だからと言って他人を邪険に扱ったりしないし、親しい人やお世話になっている人に対しては最善のコミュニケーションを尽くせるよう努力している。
もちろん人に優しくされると嬉しいのだが、優しさは返ってくるとは限らないし相手が喜ぶとも限らない。往々にして優しさは人に利用されることもある。
そしてここで言う「優しい」とは、ただ親切を行うだけでなく、他人に対してオープンですぐに親しくなれる人のことを言う。
人には相性があるし、そんなに他人のことを知らなくても生きるのに支障はない。むしろ、交友関係が広いとそれに伴うトラブルも多い。そのリスクと面倒臭さを小学生の頃に悟ってしまった私はむしろ交友関係を広げることを放棄してきた。
だから私は無条件で人に「優しく」できる人が理解できなかった。
大学3年生からとあるアルバイトを始めた。
総数は40〜50人の非正規の人たちが雇われていて、そのうち30人ほどが日々出勤し、多くは女性で、上は60代から下は大学生までと幅広い人が働いていた。
私はこのアルバイト以外には二つしか接客業を経験していないため比較が難しいが、奉仕精神の強い人が多い職場だったように思う。
客に対しても丁寧な、時にはサービス過剰ではと思う接客をして、仲間内の業務・作業や共有スペースの備品管理も進んで自分がやるという人ばかりだった。休憩スペースには、各自がお土産や差し入れを置いて常に何かしらのお菓子がストックしてあった。「支え合う」意識が強いためか、オープンにお互いを迎え、親しい関係を築いていった。
上の文章は職場の人を冷笑的に捉えているように見えるかもしれないが、私は多くの人に助けていただき、学んだことも多かった。ただ、最初の頃は理解できなかった。接客は悪すぎなければ問題ないと思うし、業務も誰かの補助がなければ時間内に終わらないほどのヘビーなものではなく、補食は自分で用意すれば良い。業務に支障がなければ特別深い関係を築く必要もないだろうと思い、最初の三ヶ月は自分が何かを聞かれない限りはプライベートな話を自分からすることはほとんどなかった。
この職場の方々との出会いや自分の周囲の関係なども併せ、私は人間には二種類いると思った。
まず、見返りを求めず他人に優しくできる、人懐こい「聖人君子」のような人。
次に、ある程度利己的に生きて「聖人君子」の優しさに甘えながら生きている人。
私はもちろん後者だ。だから、前者の人たちは根本的に理解できなかった。なんなら、全く別の人種じゃないかとすら思っていた。
このアルバイトは一年半続けた。会話をするたびにここの人たちは本当にオープンだ、すごい、どうしてこんなに優しいんだろうという気持ちは最後まで続いた。
そして昨日(日付的には一昨日)、最終日を迎えた。
よく出勤が重なった人から、数回しかお話ができなかった人まで、新社会人になる私に多くの方が温かい言葉を下さった。花束とプレゼントと寄せ書きを頂いた。
(職場の人が推し色で選んでくれた。推しのぬいと撮ってしまった。)
全く予想していなかったことに、ちょっと泣いてしまった。
なんなら今も泣きそうになりながら文章を書いている。
たかが就職するまでの1年半と思っていた関係は私の中ではかけがえのないものとなっていた。
そして、初めて人に「優しく」する理由を見つけた。
寄せ書きに「もっとたくさんお話ししたかったです」という文章を見つけた。その文を書いてくれた人は私が辞める少し前に入った方だったのでおそらく相対的な時間量の意味で言ってくれたのだと思うが、この一言がぐさりと刺さった。
たくさんの素敵な人たちに出会ったのに、私は心を閉ざした時間が長かった。
もっとお話をすればよかったと思う顔がいくつも浮かぶ。
「私は根暗だから」「どうせ一年半の関係だし」とくだらない理由と自己卑下で大人しく振る舞っていたことを激しく後悔している。
優しさをあげたら、お返しに何をくれるかを待つわけでもない。
相手の喜ぶ顔を見ることなんて大したことではない。
人に「優しく」できなかったことを、ただ後悔したくない。
小学生から大学まで、各々のステージで時間をかけゆっくり関係を築けた人とは充実した日々を過ごすことができたし、短期留学や短期アルバイトの時は出会った人と関係を深めなくても後悔したことはなかった、
でも今回ばかりは全く違う。もっともっと人に尽くすことができたはずだ。
「優しさ」を手にするために、目標がいる時点で私もできた人間とは言えないだろう。でもここでやっと気づくことができた。しかも若いうちに気づけたのはなんと幸運だろう。
他人に深入りしないつまらない自分を変えたい。