暗い路地、光る鳥刺し、割れた看板。
あの店は神戸三宮のどこかにあった。
大学生で就職活動をしていた頃。
大学からは周りに遅れないよう早めに就職活動をした方がいいとよく言われた。
私の周りの友人は企業が集まる就職説明会に早々に参加して、就職したい先をどんどん見つけていた。それを知って焦り、私もとりあえず企業の集まる就職説明会に参加した。
私は広島県にある大学で勉強していた(遊んでいた)のだが、関西で規模の大きい就職説明会が何度かあり参加した気がする。
周りの波に合わせようとばかりしていたと思うから、どんな企業が集まっていたかは今全く覚えていない。広いホールにスーツ姿の人がたくさんいた風景だけがぼんやりと浮かぶ。
そんな就職説明会や面接を受けに関西へ行ったとき、夜は神戸にいる友人と居酒屋に行った。
就活より友人と飲むのが1日のメインイベントだった。
もう少し記憶を遡る。
その友人とは中学生の頃から付き合いがあって、高校生の時は同じクラスになることもあったし、3年間一緒に野球をした。
私は野球が下手でよく守備でエラーをした。トンネルしたり、暴投したり。練習試合でセカンドを守っているとき、一塁へ送球するはずが、チームメイトがいる一塁側のベンチに暴投したこともあった。
監督の、怒りから呆れへと変わる顔を思い出す。
今思い出しても恥ずかしい。
高校3年の夏、最後の試合でも私はエラーをした。緊張から体が固くなっていて動きづらかった。夢の中で体が思うように動かない感覚に似ていた。
セカンドに転がってきたただのゴロを後ろに逸らした。このエラーは失点に繋がり、私は途中交代。
試合は負けて最後の夏は終わった。
たまにこんな私のエラー話を友人たちと今もするのだが、笑って話してくれる。いい思い出のようで、けど今でも申し訳ないと思う。こんな私と最後まで野球をしてくれた友人たちは本当に優しい。
友人たちは「あの時の試合は何対何で勝った」「あの高校の◯◯は凄かった」とか詳細な記憶を持っているが、私はほとんどない。エラーが怖くて試合が嫌いだったからかもしれない。
例えば、練習試合を予定している土日の朝、起きたらまず気になるのは天気。
カーテンを開ける前に外の気配を感じ、鳥のさえずりが聞こえたらがっかりしていた。この場合、ほとんど晴れだからだ。試合は決行される。
鳥のさえずりが聞こえない、カーテンから漏れる光が弱い。そんな時は期待を込めてカーテンを開く。
雨だと喜んだ。
試合が中止になった雨の日の練習は嫌いではなかった。練習時間はいつもより短く、早く帰れるもしくは早く友人たちと遊べるからだ。
ゲームをしたり、DVDを借りに行ったり、たまには汽車に乗って、住んでいる街より栄えている街へボーリングをしに行った。それが楽しいから野球を続けられた気もする。
高校3年間の野球の思い出というと、断片的だけど、そんな記憶が多い。
今回思い出したあの店に連れて行ってくれた友人はグルメに詳しいお金持ちな友人である(きっと)。他にもいろんなお店を教えてくれた。今もたまに教えてくれる。
知り合った頃、親は大手企業の部長と噂で聞いたこともあり、お金持ちなイメージがあった。友人の実家に何度か泊まりに行ったことがあり、そこでビールサーバーとサウナをみた。個人の家にも存在することに驚いた。
友人自身も現在は大手企業に勤めており、前に会ったときはタワマンに住んでいてメルセデス・ベンツに乗っていた。
話をあの店に戻す。
大阪で就活をした後、たしか神戸の三ノ宮駅へ行き友人と合流した。
「美味い鳥刺しが食べれる店に行こ」
「鳥刺し?食ったことないけど、まぁええよ。」
友人が連れていってくれる店で今まで不味かったことはないし、知らない土地だし、特に食べたいものも無かったから、お酒が少し飲めたらいいというぐらいにしか思っていなかった。この頃はお酒を飲めば全て楽しかった。
また、知らない店はワクワクした。
三宮ではこの友人といくつかの居酒屋に行ったが、あの店は今まで行った辺りのエリアではなかった。
暗い路地。暗めな色のスーツを着た男が所々に立っている。客引きだと思うが、遠くからこちらの様子を伺っているように感じた。
新参者は気軽に来てはいけないような。
行動を試されているような。
私は少しビビっていたが、友人は店まで一直線に進んでいく。
あの店の入り口は奥まっていて路地からは見えなかったが、路地に看板が出ていた。スナック等に多いような内側からライトで照らしている看板。友人が見つけてここだ、と建物の奥へと進んでいった。
店内は狭めだが、派手な装飾はない上品な雰囲気で、店の中央に料理を作るスペースがあり、それを囲むようにカウンターがある。その更に周りにいくつかの個室と店員が行き来する通路があった。
店内の灯りは少なめで、客の顔がはっきりとは見えないようになっていた。と思う。それに何故か、あまり見てはいけないような気がした。
そしてここでもまた行動を試されているように感じた。
店員も客も「初めて来た奴だな」とこちらに目線を向けていると察知した。
友人と私は個室に案内された。メニューを見ると価格設定が少し高い。目当ては鳥刺しだから、これは食べてあとは少なめに適当に注文して、安い次の店に行こうと話した。
このあたりで「ここは早めに出た方がいい。」となんとなく思った。敷居が高く感じるのと周りの目線が気になる。いつもいく店と違って落ち着かない。ワクワクを感じられていなかった。
友人とは、多分近況報告や就活の状況を話したと思う。そして、他に何を食べたか飲んだかも覚えていない。
これまでに味わったことのない店の雰囲気にソワソワし、早くここを出たい気持ちが募っていた。
そんな気持ちの中、鳥刺しの登場。
数種類の焼き鳥と一緒に鳥刺しが1皿に盛られていて、たれ、塩、ごま油で味わうというものだった。
初めて見た鳥刺し。少ない灯りに照らされて薄いピンク色が輝いていた。
焼いた鶏肉しか見たことがなかったし、少し前に衛生管理ができていなかった店が提供したユッケで食中毒を出したニュースを思い出して、もしかして悪いことをしているんじゃないかと勝手に思った。店内も暗いし。
友人はすぐに食べていた。自分も恐る恐る食べる…
一口食べて細かいことはどうでもよくなった。
こんなに美味い鶏肉があるのかと目を見開いた。瞳孔が開いた。友人と目を合わせた。
ごま油で食べるのが一番美味しかった。焼いた鶏肉とは違う、というか同じ鶏肉とは思えなかった。
優しい舌触りで旨味がぎゅっと出てくる。
鶏肉より豚肉、豚肉より牛肉、と勝手に順位付けしていたが、このとき鶏肉がトップに躍り出た。
腹一杯ではないものの、お酒も少し回った状態でとても満足に店をでた。入るときに察知した店員や客の視線はもう気にならなかった。
店を出てからは自分が成長した気分で、あまり知られていないことを知っている優越感に浸った。
これがあの店に初めて行った記憶。
そして1回目と同様、2回目も就活後に友人と行った。
暗い路地、暗めな色のスーツを着た男、灯りの少ない店内であることに変わりはなかったが、1回目の時より堂々と歩いていた。少し悪いことをして楽しんでいる気持ちと共に。
そして鳥刺しは期待通りの美味しさ。裏切らない。
前より店に慣れた気になり、いつか仕事でもっと稼ぐようになったらもっといっぱい食べたり飲んだりして通うことができたらいいなと思った。
何ヶ月か間が空き、また同じように「あの店に行こう」と3回目。
暗い路地、暗めな色のスーツを着た男…
「あれ?この辺でなかった?」
方向音痴な私でも「この辺のはず」と自信があった。
が、あの看板の灯りが見当たらない。
と「あっ」
場所は間違っていなかったが、灯りがついていないあの店の割れた看板がそこにあった。
詳しく調べた訳ではないけど、何か物が当たって「割れた」のではなく何者かに故意に「割られた」と直感した。
それが友人とも同じで、2人して「とにかくここ離れるか」と小さく話し、別の店に向かった。
暗めな色のスーツを着た男たちがいつもより怖く見えた。引き返す私たちを各々の場所から監視している。きっと看板が割られた理由を知っている…
こうして突然、あの店にはいけなくなった。
▽
この思い出を書きたくなったのは、一冊の本に出会ったからである。
Neverland Diner 二度と行けないあの店で
都築響一 編
帯には
100人の記憶と100軒の「二度と行けないあの店」。
とにかく面白く、自分もこんな思い出を書きたいと思い勝手に101人目になったつもりで書いた。
自分の「二度と行けないあの店」を考えてすぐに思い出したのが今回の店だった。
この本に出てくる「二度と行けない」理由は「閉店」や「場所が分からない」「酔っていてはっきり覚えていない」「幼い頃の夢のような記憶」「二度と行きたくない」等、様々。
意図せず記憶していることがあるのも面白い。
当初から計画していて達成感から得られる記憶ではなく、今思えば何故か記憶していること。旅の道中、どこにでもありそうな風景を覚えているような。
とにかく楽しかった時期や何かに夢中になっていた時期、苦しかった時期等が、何気なく通った店の記憶と紐づいていたりする。
私が思い出すこの記憶は、いつも店の入り口から始まるのだが、そこから大学時代、高校時代、中学時代と芋づる式に学生時代の記憶を遡っていく。
今まで何故覚えているのか意識したことがなかったが、今回この本を読み、はっきり意識できるようになった。
そして、大事にしたい思い出へと昇華した。
この本に出てくる話はどれも面白いのだが、少しだけ紹介するならば、
好きな店がなくなるたびに、Everything comes to endとつぶやいてみる。終わらないものはない。だから美しいのだと。
自覚なく美味しかった店とのお別れ/佐久間裕美子 著
一文抜粋
カッコいい。
私は佐久間氏のこの話を読んで、大手チェーン店が地方に溢れて、地方の景色が似て見えることを思い出した。街にとって必要な発展かもしれないが、街が均一化されていく気がして少し寂しい。大手チェーン店が建つ前は、その地元にしかなかった個人経営の店だったりする。それは美しかったと、失ってから気付く。
鳥刺しを食べたのは、あの店が最初で最後になっている。もし次に鳥刺しを食べることがあったら、この記憶は上書きされるだろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?