日本神社【埼玉・本庄市】
こんにちは!
「神社アベニュ~」を運営している神社マニアの20.315です!
唐突ですが、「がんばれ、ニッポン!」。
オリンピックのさなか、こう叫びたくなる神社なんです!
今回訪れたのは知る人ぞ知る、日本の神社、その名も「日本神社(にほんじんじゃ)」。
「日本神社」という名の神社は、全国でここだけというレア中のレアな神社なんです。
場所は埼玉県と群馬県の県境、本庄市の山あいになります。深谷市も近く、あの渋沢栄一記念館にも車で15分ほどで行けます。
ヘッダー写真のとおり実は、サムライブルーである青い達磨で有名な神社です。スポーツ関係者の参拝も多く、近年メディアの露出も多くなっていますね。
でも、なぜ神社名に「日本」がつくのでしょうか?
日本神社の名の変遷は以下のとおり。
神武神社
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合社様
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日本神社
神武神社とされたのは、創建が坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)の東夷征伐の折、当地に立ち寄って神武天皇を祀ったのが由縁とされています。時に延暦十年(西暦791年)。この年、東海道遠征にむかったということで、ここ本庄も武蔵國の一部なので可能性はあります。
といっても、坂上田村麻呂が東征の際に立ち寄ったり、お参りした神社は数えきれないほどあります。その足跡が全て事実だとしたら、彼は年がら年中お宮参りしていたことになります。マジか?
後に征夷大将軍となり武神の象徴となる人物が、戦いそっちのけであったとは考えられません。
後世「武神」と称えられたため、至る所にその由縁が脚色されていったと、20.315は推測しています。
もちろん、実際に彼がここに参拝したという説も排除はしません。
時を経て明治時代初期、当地集落に散らばっていた稲荷神社や小さな神社6つを、この神武神社に合祀したとのこと。
王政復古、廃仏毀釈など時代変化の中、こうして神武神社は集落住民から「合社様」(ごうしゃさま)と親しまれてきたといいます。
そして明治14年、日本神社と改称。
明治14年といえば、政変があり大隈重信とその一派の官僚が政治の舞台から追放される事件があった年ですが、どう考えても、その関係性はないでしょう。
改称の理由は、意外にも単純な理由かもしれません。大日本帝国憲法が施行されたから、とか、明治に改元されたので「日本神社でいいっしょ」みたいなフィーリングだったのかも・・・。
結論。日本神社の改称理由は、謎のまま。
どなたかご存知の方がいらっしゃれば、ご教示ください!
古き良き古社をめぐり、北埼玉への観光のお越しの際は、ぜひご参拝を!
そして、オリパラのアスリートたちに栄光あれ!
【基礎データ】
■創建 延暦10年(西暦791年)。奈良時代。※伝承
■祭神 神武天皇(じんむてんのう)
■住所 埼玉県本庄市児玉町小平1578
■HP なし
※写真は全て20.315が撮影。
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