追憶 母のいなくなった日 〜 クリスマスによせて。
ママ。 お母さん。
今年もまた、この日がやってきました。
最後の夜、高熱にうかされていて夕飯を一緒に食べられなかったのが悔しいから毎年、クリスマスの夜はきちんと食事をしています。
日付が変わって、26日が来て、あなたが天に召された日になりました。
もしかしたら25日、クリスマスに逝ったのかもしれませんがあの夜のことは鮮明な記憶です。
私はあなたに愛してほしかった。
だから。 またあの家で暮らして私たち母娘とあなたと父と4人で過ごせて少し、嬉しくて、だけど、自分の戸建てを人に貸さなければならなくて情けなくも悲しくも、そしてあなたと父、それから弟一家に申し訳なくて。
でも。
楽しかったのです。お昼ごはん、夕飯を一緒に過ごせて。
ようやく両親を独り占めできた。
そう思っていました。
4人でテレビを観る。サッカーや映画を観ていて私たち母娘は、母と子とそのまた娘との時間が嬉しかったのに。
寒い夜でした。
救急車の音がする。熱にうかされて寝ていてもそれは近づいてきました。
まさか?携帯電話で所轄に電話しました。
呼んだのは父ですか、それとも母ですか?
敷地内に救急車は入ってきました。
消防署員は言葉につまりながら電話の向こうから振り絞るような声で 一言。
・・・お父様です。
愕然とする。まさか、まさか母が・・・
あんなさよならはあんまりで、そしてあなたの泣き言や言い訳を受け止められず怒鳴り、叫び、絶対に許さないと泣いた私は、あなたからそのあと、数日後のクリスマスの深夜に、明け方に助けてもらいました。
・・・・・・・・・・・・・・・
子供の頃からでした。
なぜいつも楽しい時間が私には少ないのか、なぜ、いつもいつも一人ぼっちなのか?なぜ私だけお稽古に行き、弟妹はあなたの両手に自分たちの小さな手をつないでいたのかと。
バス遠足はみんなおかあさんが一緒なのに。いつも私だけはおばあちゃんとで。あなたが一緒にいないのが不思議で。悲しくて。
小さな時からあなたを独り占めしたくてもそれは長女の私には許されなかった事情は今ならわかります。
おばあちゃんは大好きでした。だけどあなたにわかってほしかった。あなたに優しくして欲しくてさみしくて、弟や妹が羨ましくて。
零時になりました。あなたが天に召された日になりました。
思い出します。決して忘れられない声でかかってきた電話を。
搬送先の病院から弟の泣きながらの電話。
ねえちゃん、やっぱり ダメだった。
必死に人工呼吸する父、失禁して冷えると泣きながら娘がバスタオルや毛布を替えている。呆然としていた自分。どうしたらいいのかわからなかったのです。
小さな体。口は半分開いていて。痙攣しながらその両の瞳はもう光を放ってはいないのにようやく気がついた私。
スリッパが足らない、今から人が沢山くる。
そんなことは本当はどうでもいいのに。かまわないのに。
真夜中に軽トラックでスリッパを買いに出て。帰り道、いきなりの激突 ガラスがひび割れる。 自損事故。
私は死んでいても当たり前の隙間に挟まり生きていました。
生きてるぞーっ!!
叫び声で目が覚めて明るくなっていた朝にびっくりして。
ハンマーでガラスを割られてこじ開けられたドアから出てクルマを見たら軽トラックは後ろまでぐしゃぐしゃでした。激突してスピンしたのでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・
周りは 優しかったです。
貴女はおかあさんが、助けてくれたんだ、と。代わりにおかあさんが逝ったのだと。
亡骸は美しくて。まるで蝋人形のようでした。亡くなった人に化粧するのは初めてでしたが、あなたに化粧をするのも初めてでそして最後でした。
父の涙。 あなたは美しくて厳しくて怖くて、だけど憧れでした。
あなたから愛されていなかったのは本当でしょうか。
会いたい。 ママ、おかあさん。
敬虔な信仰を持ち、私や娘が聴いていたグレゴリオ聖歌を一緒に遠くで静かに聴いていて涙ぐんでいたあなたは なぜ。
いつもあなたは言っていました。
神様は心に、人の心に棲むのよ、と。
そんなあなたの心に神がいたなら なぜ、あんな仕打ちを、小さかった私にしたのか、と。
あなたはプロテスタントだったけど。偶像崇拝するなとは、言わなかった。
だから。 私は祈る時にカトリック教会に行く。近くにプロテスタントの教会を知らなかったから。
あなたから買ってもらった イエズスのおかあさん それは聖母マリアの絵本でした。
祈る場所はどこでもいい。
そう思えるのです。
あなたは憧れの人でした。だい好きでも届かない人でした。
さよなら、ママ。いつかまた、会えますねきっと。
あなたに笑ってほしくて。こっちを向いてほしくて。私は愛していたからあなたからも愛されたかったんです。
私も孫ができました。あなたにみせたくて、でも、叶わなくて。
あなたから受けた仕打ちもすべて、あの日に許せました。
神父様がおっしゃいました。
人はみな 罪人。
ロザリオを持ち泣いていた私に、私の頭にそっと手をあて一緒に祈ってくださいました。カトリック教徒でもない私とです。
なぜ、祈る場所に教会にいくのか、十字架に跪くのはなぜなのか。
それは あなたを憧れだと今でも思っているあなたの娘だから。
そう思っています。あなたを愛していました。 ママ。 お母さん、おかあさん。
あなたの十字架が私であるなら私の十字架はあなたなんでしょうか。
おかあさん、ママ。あなたが私の十字架なら喜んで私は重たい十字架にかけられてもいい。ただ、あなたに愛されたかったから。ただ、愛してほしかった。今でもあなたは私のマドンナなのです。
ゆー。
サポート誠にありがとうございます。励みになります。私の記事から愛が届きますように。