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私の語学学習のこと

今、中国語と英語と広東語とインドネシア語の勉強をしている。

毎日どれか1つ以上には触れ合ってはいるけど、勉強の経緯も、レベルも、熱量も全く違うし、何より中国語以外はかなり低いレベルのコミュニケーションしかできない。

たぶん私には語学の才能がない。

中国語はそれなりにコミュニケーションが取れる。生活したり、友だちと話したりくらいなら、普段そんなに困っていない。
それで、中国語がどうしてそんなに上手いんですか?と言われることもあるけど、よく考えたら約35年中国語という言語と歩んでいるんだから、語彙も知識も増えてて当然だし、客観的に見れば、そんなに長くやってるのにその程度ですかというレベルだ。
悲しいけど、それが現実。

じゃあ、私にはなんの才能があるかというと、たぶん好きなことをコツコツやる才能かな?
誰に強制されなくても、自分で決めたことを1人で黙々とやっていくのが得意、というか好きだ。
忙しくなったりして中断しても、またヌルッと復帰して、ちょっとずつ前に進める。
まぁその速度が極めて遅いから、なんだかなと思ったりもするけど。

今の私には言語を習得した先の目標とかはなくて、本当に純粋に楽しいからやっている。
趣味の刺繍や編み物で、作品ができあがると嬉しいけど、作ってる途中も楽しいように、様々な言語特有の発音をしたり、なんでこんなふうに言うんだろうと思いながら練習したり、聞いたり、調べたりするという、実際に使う前の段階がただ楽しい。

もちろんその先に、ある程度その言語を習得して、コミュニケーションに使えたら、もっと嬉しいだろうなというのはある。

今年の春、初めてインドネシアに行った時、半年ほどDuolingoで勉強していたインドネシア語を使ってみた。
インドネシア語は発音がそんなに難しくないので、簡単なフレーズならすぐ通じて、相手とコミュニケーションが取れた、と言ってもホットコーヒーをお願いしますとかその程度だけど。でも、テンションがすごく上がった!
初めて中国語を使ってちゃんとコミュニケーションが取れた興奮を思い出した!

インドネシア語はあまりに簡単なことしか言えないので、すぐに英語に切り替えてしまうんだけど、これも以前より少しちゃんとしたフレーズを意識できて楽しかった。
英語みたいにやり直しすぎて手垢がつきすぎた言語は、もう諦めようかと思っていたんだけど、これもDuolingoで勉強しているうちにだんだん英語を口に出すのが楽しくなってきた。

広東語に至っては、なんで勉強したいと思ったかすら忘れてしまったけど、一番変な音を出すことに喜びを見いだしている。
広東語の単語は中国語と同じなのに、発音は全然違うもの多数だ。
その単語を見たら絶対これっていう中国語の音が脳に刻まれてて、無意識に中国語で発音しそうになるのに、それを無理やり違う音で口に出す広東語は、かなり脳が揺さぶられる。

私には「変な音出したい願望」があるのかもしれない。

もっと具体的な目標を定めたほうが上達が早いのかな?と思うこともある。
でも、目標を定めると、そこになかなか達しない自分がきっと嫌になって、逆に上達する前にやめてしまいそうな気がする。
それより、毎日楽しいからやっていて、気がついたら少しだけ上達していたというのが、自分の特性としては正解なんじゃないだろうか?
時間は人一倍かかるけどね。

一番かっこいいのは目標を定め、短期で猛烈に勉強してペラペラになることかもしれない。
でも、諦め悪くダラダラ長くやるというのも、それもまた語学を上達させる道としてありなんじゃないかなぁと思っている。

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