日本語に引きずられずに会話すること-今日の中国語ノート2024.9.6
テニスが趣味という台湾の友人は、こんなに暑いのに週に何回か屋外のコートにテニスに行くらしい。
近所だし無料なんだけど、汗だくになっちゃうんだよね...
みたいな他愛もないおしゃべりをしていた時、日本の友人が
「テニスを始めたきっかけは何?って聞きたいけど、中国語でなんと言えばいいかわからない」
と言った。
「きっかけ」という言葉に引きずられて、すぐ浮かんだ単語が「きっかけ」の意味の「契機qì jī」だった。
そこから文を作ったら、めちゃめちゃ堅い中国語になってしまった。
テニス好きの台湾の友人はそれでよくわかるからいいよー!と言ってくれた。
でも、もう1人の、言葉オタク気味の台湾の友人は、中国語の「契機」は大きな物事のきっかけにしか使えない、そんな個人的なことには使えないから、よくない。それならまだ「機緣jī yuán(巡り合わせ、縁)」のほうがいいと言う。
まぁ、どちらにしろ、私の最初の中国語はおしゃべりの中では不自然だろうから、こんなのも言ってみた。
テニス好き友人が個人の場合でも「契機」を使っておかしくない!と主張して、言葉オタク気味友人とバトったので、両方採用して、もう1つ「原因」とも言ってたから付け加えた。「原因」だと「どんな理由で、何が理由で」って感じになる。
これは、後からこれくらい簡単に言えばよかったのでは、と思ったフレーズ。
おしゃべりの流れで自分が聞きたくて言うなら、こう言った気がする。
普段、簡単な中国語をしゃべる時、日本語を意識してなくて、言いたい内容に合う中国語が思い付けば、それを言うという話し方をしている。
でも偶に、こんなふうにおしゃべりにしては不自然な堅い言い方になってしまうことがあって、それは日本語の完全な文を考えてから、それを翻訳してるからであることが多い。
しゃべる時も文章を書く時も、なるべく中国語だけで考えたほうが、より自然な言い回しになって、翻訳調の不自然さは出ない。もし1回でいい感じの言い方にならなくても、最初に思いついた中国語のフレーズをブラッシュアップさせたほうがいいと思っている。
語学学習で、よく外国語を外国語のまま、日本語を介さないで理解したほうがいいと言われるけど、こういうことかなと思う。
外国語のままで内在化していないと、アウトプットの時も先ず日本語を考えて、そこから翻訳するということになってしまって、時間も手間もかかって、その上不自然という残念な結果になるから。
中国語を話したり書いたりする時、いつの間にか中国語でしか考えなくなっていた。
こう書くと凄そうだけど、脳内中国語大捜索した結果、全く何も言えなくなったり、かなりおかしな文章や全く通じないフレーズを口にしたり、急に訳の分からない単語を言って、相手を推測不能にさせることももちろんある。
でも本当にまれに、伝えたいけど、まだ言葉になってない内容が、脳内の中国語検索すら通さず、でも自然と中国語で口からスラスラ出る時がある。
その時は「あ、まるで母語みたいにしゃべってる!」って思って、その興奮で何言うのか忘れそうになって(本末転倒)、そりゃあもう脳内麻薬が出てるのでは?と言うくらいテンションが上がります。
ヤク中くらい常にその状態になりたいものだ。