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彫刻家03-A 菅木志雄



作家情報

  • 1944-

  • 日本

  • もの派


紹介作品

※複数紹介する

周臨向 2016

                                  Photo: Tsuyoshi Satoh

依存位 1974/2017

                            Photo: Joshua White/JWPictures.com
                            Photo: Joshua White/JWPictures.com

多分律 1975/2012

                            Photo: Joshua White/JWPictures.com

界差 1976/2017

                                 Photo: Carol Quintanilha

集分化 2022

                                 Photo: Tetsuya Kamimura

空連化 2016

                  Photo: Sam Drake; Courtesy National Galleries of Scotland

思考文章

「そこに在る“もの”──それはもう美術に関係なく“もの”の実在性というのが存在していて、その実在性をいったいどう考えるか。これはもう、いまから考えてもおそらく美術史上の中の一部じゃなくて、もっと大きな哲学的な問題なんですね。これは、もの、表現、存在性、実存とかというふうなこととも密接に関係してまして、そこを考えていかないとアート作品はおそらく生まれてこないと、僕はそう考えました。」
                   Tokyo Art Beat インタビューより

実在とは、認識 主体 から独立して客観的に存在するとされるもの。

「すべてを否定した後に、いったい何が残るか。すべてを否定しちゃったら、アートもへったくれもないじゃないかと。そこにある学問も何もなくなって、もはや何もない。じゃあ何があるか。つまり、頭の中で何があるかと考えるというような次元じゃなくて、そこにその人間がいて“もの”があって、いろんな“状況”が空間を埋めている、ということをまず素直に認めるということを、僕は考えました。」    Tokyo Art Beat インタビューより

「ニンゲンのまわりにあらゆるものがありながらいかなるくカタチ〉も存在しない。くカタチ〉がなけ れば、なにもみることがない。ニンゲンが欲するとき、くはじめて〉〈カタチ〉がみえ、認識される。 <カタチ>はニンゲンの意識の流れにあり、必要に応じて、くカタチ〉となり、外の世界でみえる。」             Kishio Suga 菅木志雄 1968-1988 p24

「60年代後半にいたるまで、造形表現においてイメージは重要な要素であった。 そしてイメージするものや世界を表現することが当り前のこととして、語られ、行なわれていた。わたしは、まずこの(イメージする)ことが、ダイレクトに表現することをさまたげている元凶であると考え た。(イメージ)は、現実の実質的にあるものを、変様させ、実体性を排除し、虚構性を軸として世界を 目指すたぐいの事柄であると、わたしは解釈したのである。つまり造形的表現は、現実にあるさまざ まな実体を認知していながら、それを頭だけでつまり思考のワク内で、自分にとっていいようにつくり変えて、いうなれば形骸化した像として出すことなのだと納得したのである。そこには、現実感も 具体的なもののリアリティーもない。わたしは、そのようなものを作品として提示できなかった。」    菅木志雄 置かれた潜在性 p81

制作方法

  1. ものやことへの共通した認識概念を意識的に変える。         ※認識とは、主体あるいは主観が対象を明確に把握すること。

  2. 自分の内面により、もののリアリティーや個的な意味を見る。

  3. あらたな名を冠し、意味を付し、それまでとはちがった 存在感を与える。

  4. 実施制作。

アトリエ制作風景 約1分         撮影:小山登美夫ギャラリー

制作方法から気が付くこととしては、菅木志雄のものの見方はものが持つ素材のことよりも、ものという概念に興味を示している。浜辺に落ちている石を、言葉としての石一般としてみるのではなく、その石がどこから転がってきて、何によって成形されたのかのように、石を、今初めて出会った女性がどんな姿をして、しゃべり方、しぐさはと観察するかのように認識しようとしている。言葉のなかった世界ではすべてのものがものとして、個的に認識されていたはずで、まさに菅はそれを意識的に実践しているのかもしれない。表現された作品はとても素朴な印象がある。難しい技法を使っていない。真似をされることを拒んではいない。

佐々木優吾 2024/12/17

作品を表わすにあたって、まずこのものやことへの共通した認識概念を変えなければならなかった。異質なものをそこに見ること、差異 を認識すること。ものを見て、他人と同じような見方しかできないというのでは、あらたな視野をモノ (作品)の上に見ることはできない。つまり、だれでもができるつまらないモノになってしまうという ことである。それをさけるために、わたしは徹底してもともとある認識概念を変える操作に時間をついやした。意味や名辞を自分の意識に合わせて変えることをしなければ、わたしが目指す表現は できないことを察知していた。人がこんなもので作品はできないよといっても、わたしは自分の内面で構築した流れによって、ものに別のあらたな認識概念を付し、そこに通常では見ないであろうもののリアリティーや個的な意味を見いだし、それらをモノ(作品)を表わす基(もと)としたのである。 その意味でもモノを(つくる)のに作業は、はじめにわたしが必要と思われるものの実体性を想定するところからいつもはじめられたのである。あらたな名を冠し、意味を付し、それまでとはちがった 存在感を与えるというように。だから、モノの完成までたいへん時間がかかったのである。

菅木志雄 置かれた潜在性 p82

引用まとめ

  • Tokyo Art Beat インタビュー 「菅木志雄が語る“もの”と表現、これまでの軌跡」 202412/16 現在

  • Kishio Suga 菅木志雄 1968-1988

  • 菅木志雄 置かれた潜在性 編集:東京都現代美術館 2015年 

  • 東京画廊 BTAP 菅木志雄ページ 2024/12/17現在


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