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現代アート15-A アグネス・デネス



作家情報

Agnes Denes / アグネス・デネス 
1931年、ハンガリーのブダペスト生まれた、ニューヨーク在住
スウェーデンで育ち、米国で教育を受けた。彼女の展覧会のキャリアは1960年代に始まり、世界中のギャラリーや美術館で450以上の展覧会に参加している。コンセプト・アーティストの第一人者であり、幅広い媒体で制作された作品で国際的に知られている。科学、哲学、言語学、心理学、詩、歴史、音楽を探求するデネスの芸術的実践は、その美学と社会政治的思想との関わりにおいて独特である。環境アートのパイオニアである。


紹介作品

小麦畑-対決ーバッテリーパーク埋立地〉1982年

Aerial view of Agnes Denes, Wheatfield – A Confrontation, 1982. © Agnes Denes. Courtesy of the artist and Leslie Tonkonow Artworks + Projects,
Agnes Denes, Wheatfield—A Confrontation, 1982. Photo by John McGrall. Courtesy of the artist and Leslie Tonkonow Artworks + Projects.

導入

1982年5月パブリックアートファンドの支援を受けて、マンハッタンのダウンタウンにある古いバッテリーパーク埋立地に約2エーカーの小麦を植えた。4か月間、デネスと彼女の助手は、小麦の世話を怠らなかった。収穫時期になった小麦は刈り取られた。その藁は、ニューヨークの騎馬警官隊の馬にプレゼントされ、収穫した種は、1990年に開催された展示会世界の飢餓の終焉のための国際アートショー」のよって、世界28都市へと運ばれた。

形状

埋め立て地を這うように生えた長方形の小麦畑。

素材

  • トラック200台分の土

  • 45億ドル相当する大都会の埋立地(小麦を2エーカー植えるため)

  • 285本の溝(地面に小麦に種を蒔くため)

  • 小麦を種から育てるための時間(小麦のスマットを取り除き、雑草を取り除き、肥料を与え、カビ菌に対して散布、灌漑システムを設置などの農作業)

効果・意図

  • 45億ドル相当の土地に小麦を植えて収穫することは、強力なパラドックスを生み出しました。麦畑は象徴であり、普遍的な概念でした。それは、食品、エネルギー、商業、世界貿易、および経済を代表していました。それは、管理ミス、廃棄物、世界の飢餓、そして生態学的懸念に言及していました。それは、私たちの見当違いの優先順位に注意を喚起しました

  • デネスのアイデアは、1982年にニューヨーク・タイムズ紙に語ったところによると、「世界で最も裕福な不動産である大都市への国への侵入」だった。当時、この作品は経済や都市の不動産システムに対する批判であると同時に、環境意識に対する抗議でもありました。

作品に付随する詩

街の真ん中に、畑を作る
トラックが土を運んできて、野原に降ろす
そして畝を形成していく
ここは、ウォール街からわずか1区画離れた場所
自由の女神がハドソン川の向こうに見える
夕日と4エーカーのマンハッタン
がらんとしていて全て私のものだ
50ページにわたる市との契約書は
私を例外とした全員を守るものだ
4区画先では、3つの建物を建設中
高級分譲マンションや、オフィスビルが
立ち並ぶ街の誕生だ
それらは全て欲に過ぎない
私の位置は、対決にとって重要だ
ウォール街は右
ハドソン川は左に1フィート
自由の女神は私をじっと見て
こう言っているようだ
「頑張るのよ」と
私は頑張った。女神も応援し続けた
私たちは、毎日お互いを見つめ合った
港には強風が吹く
ニューヨークには横風が吹く
種が土から吹き飛ばされないか
心配だった
種をばらまくかわりに、畝を深く掘って
手で丁寧にまいていった
種が飛ばされないように
風は吹くが、雨は降らない
しかし、降ってほしくない時に雨が降る
港の過酷な風、横風が吹く
嵐が訪れ、空は暗く荒れる
生き物たちが到着する
黄色と黒の、かの有名な踊るクモが
記者や、テレビ局のカメラや、
写真家たちの前で踊る
気を失いそうになった私の助手は
謎の病気にかかっていた
彼は、自分を抑えることができなかった
人々は高層ビルから見下ろし
下にある畑で作業をしている
すらりとした女性について話している
遠くにある女性の姿は、
アリのように小さい
たゆまずに、昼も夜もコツコツと
働いている
朝早くから夜遅くまで働いている
虫たちがやってくる
ノネズミたち、テントウムシたち、
イモムシたも、
ノネズミたち、トンボたちが
ウォール街からのメモのように
カマキリたちがやってくる
あまりにも疲れていて、
冗談が理解できない
ニュージャージーの軟体動物たちが
水面の表面張力を利用してハドソン川を泳いでくる
大きな畑にやってきて
小枝や麦の茎にへばりつく
何千匹ものテントウムシも
毎日、船が霧笛を鳴らしてあいさつする
緑色の小麦の芽が出る
泥の中に寝転んで
クローズアップ写真を撮る
私は毎日写真を撮る
国中あちこちでは
黒穂病が麦をダメにしている
テレビ局の取材班は、なぜ私たちには
起こらないのかと尋ねる
「私たちは、毎日手で取り除くから」
と笑んで答える
あの有名な踊るクモを見て
テレビ局の取材は喜ぶ
7月4日の花火を見るために押し寄せる何百万人という人に
畑を踏み荒らされないか心配になる
警察のバリケードを貸してもらう
警察は、親切に手を差し伸べてくれる
人は、愛するものを傷つけることはしない
誰も足を踏み入れず、破壊行為はなかった
ただ大が1匹やってきて、
毎日畑でおしっこをした
彼なりの愛情表現なのだ
7月4日には、タグボートの放水で
赤、白、青の水がまかれた
私たちの畑を称えてくれた
船は、霧笛を鳴らしてあいさつをする
一方、建設業マフィアの脅威がやってくる
あのジョーだ、ヘルメットを被った連中が、
破壊行為をする
ウォール街のブローカーたちはたむろして
畑が成長していくのを見ている
限られた資金で
責任を持ってプロジェクトに取り組む
何の権威もなく
リスクと責任だけを負って取り組む
そして50ページにわたる契約書は
私を例外とした全員を守る
資金も経験もないにも関わらず
作品に取り組んでいる
そこにあるのは虚勢だけで
芸術作品を通して
重要なメッセージを発信している
目標をしっかりと見据え
痛みも、不快感も
泥も、寒さも、暑さも、ひどい暑さも
ものともせず
泥の中に寝転んで、プロジェクト全体を
記録している
カメラとショットだけをひたすら
守りながら
気象観測用ヘリコプターに乗せてもらい
空からのショットを撮ったが、
乗り物酔いしてしまった
それから49階建てのビルの屋上からも
写真を撮った
夜遅く、一日中畑で働いたために
疲れ切っていた
毎日ボランティアのために
サンドイッチを作った
全てをカメラに収め、
プロジェクトを管理し
支払いを済ませ、毎日電話で
ボランティアを探した
同時に、周囲にいる敵たちと戦っていた
すると、建設業マフィアのボスである
あのジョーが
アトランティックシティに行こうと
誘ってきた
断ると、私の道具を盗み
門に錠をかけてしまった
そのため、ボランティアたちは入ることも
出ることもできず
大事な作業が滞ってしまった
最終的にボランティアたちは門の下を
転がって中に入った
私が彼らのために地面を掘って
スペースを作ったからだ
瓦礫の中に、1つの十字架を見つけた
良いしるしだねと言われた
トラックの運転手がお金を返してくれた
彼は、盗もうと思っていたと告白してくれた
それは数千ドルで、私の貴重なお金だった
私には、何をするためのお金もなかった
プロジェクトを行うために、
1万ドルの予算があった
その2倍の額を注ぎ込んだ
だがそれでもまだ足りなかった
私は自腹を切って、
「簡単に人を信用するなんて、バカな女だ」
とあざけられた
建設業マフィアの作業員たちは
門の鍵をくれなかった
あのジョーは・・・、そうあのマフィアのボスは
「俺と寝よう」といつも誘ってきた
マフィアが私の機材を狙ってきた
盗んだり、壊したりした
陰で私のことを笑っていた
「美人で変わり者
何とかあいつと寝てやる
それがままならないなら、あいつの道具を盗んでやる」と
ボランティアたちは、畑から石を除去してくれる
瓦礫を片付けてくれる
持っていたお金は
表土わずか1インチ分しかなかった
ボランティアたちは感謝してくれた
「精神科医に何千ドルも払わなくて済んだ」と
「おかげで恐怖症が治った」
「怒りの問題が消えた」と
ある女性は、石を投げ、畑のゴミを片付けながらそう言う
無邪気で、想像力に富んだ熱意の力だけがあふれ出てくる
ただひたすら目標に目を向けている
目の前にある任務に献身している
刻々と
災難から解決に向かう
私のわずかなお金が盗まれ、
でも奇跡的に戻り
ごみの中にあの十字架を見つけ、
小さな奇跡が続いた
マリアは、「もらってもいいかしら?」 と言った
私のお金が戻り、惨事が達成に変わった
ボランティアは、こう言った
「私たちは、このことを絶対に忘れない
神さまがあなたを祝福してくださいますように」と
錠がかけられた門が開き、
門の鍵もついにもらえた
かしこまって、布の上に置いてあった
まるで、街への鍵であるかのように
渡された
建設業者の作業員たちとの
葛藤も終わった
あのジョーは、私と寝ることを
やっと諦めてくれて
門の鍵を私に手渡した
あの変わり者に対する敬意が日に日に高まっていった
麦が成長するにつれて、 人々も自慢するようになった
「俺たちの麦畑を見てみろ!」と 
「マンハッタンの麦畑を見たいか?見に行こうか」
とタクシーの運転手が言う
私は、「見たことがあるわ」と答える

指や手を切ってしまうことがないように
収穫には大鎌を使わないことに決めた
収穫機がガンガンとトンネルを進み
渋滞の中をウエスト・ストリートに向かう
刃物使用の手作業は会社の方針に沿わないため
彼らの助けを受け入れるしかない
収穫
人々があちこちに立って泣いている
誰が死んだんだ?この畑のこと?
いいえ、今生命を誕生させたの
彼らは目に涙を溢れさせ、黙ったまま、
ただ立ちすくむ
この数百年で、マンハッタンにできた唯一の畑
私は、ニューヨークの騎馬警官隊の
馬のために
藁をプレゼントした
収穫した種は
後に巨大なキャンパスの袋に入れる
それから数ヶ月の間、
ドブネズミやネズミから
それを守らなければならない
何かを世界にもたらしたら
すぐさまそれに対して
責任を持たなければならない
それが子どもであろうと、 麦畑の種であろうと、とにかく守るのだ
博物館は、その種を世界中の
28の都市に持っていく
小さな袋に入れたものを
人々が運んでいく
私のコンセプトとの連帯の証として
世界中で植えられるのだ
それは、法的に無理だ
畑を続けようと悲願された
でもこのメッセージは生き残るのだろうか?
「地球を滅ぼすな。管理を怠るな
飢えている者に食べ物を。目を覚せ
より良い人になれ
そしてより良い自分を信じろ」
マンハッタンにある最後の広々とした
空間は、無くなった
高級分譲マンションペ、オフィスビル、
ショッピングモールやホテルになってしまった
しかし一夏の間、そこは黄金の麦畑だった
生き残りしものが風に揺られている

Aerial view of Agnes Denes, Wheatfield – A Confrontation, 1982. © Agnes Denes. Courtesy of the artist and Leslie Tonkonow Artworks + Projects, 
Agnes Denes, Wheatfield—A Confrontation , 1982. Photo by John McGrall. Courtesy of the artist and Leslie Tonkonow Artworks + Projects.
Agnes Denes, Wheatfield—A Confrontation , 1982. Photo by John McGrall. Courtesy of the artist and Leslie Tonkonow Artworks + Projects.

引用まとめ


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