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noruniru0826
小説が理解出来なかったら、同じ作者のエッセイを読んでみよう
私は一人の作家に興味を持った時、小説を「教科書」、エッセイやインタビューを「参考書」にして読むクセがあります。これは高校時代に高橋源一郎「さようなら、ギャングたち」と出会ったのがきっかけ。
それまで読んでいたリアルな物語とは全く違っていて、ストーリーがちっともつかめない。それでも時折胸が苦しくなるような切ない一文があったりして、無性に惹かれる。この本を一度でも開いたことがあるひとなら「あー」とうなずいてくれるはず。
本そのものが、魅力的な謎として私の前にあった。謎を解きたい。完璧でなくてもいいから。そう思って手に入れたのが高橋源一郎のエッセイ集「ぼくがしまうま語をしゃべった頃」
ショックなことがあって言葉をうまく使えなくなり、そこから自分の言葉を再構築していった経験などが語られていて、あの不思議な小説の成り立ちを感じることが出来た。詩人への質問とその回答、現代詩の批評も、言葉の世界を広げてくれた。
そしてもう一度「さようなら、ギャングたち」を読み直すと…… もちろん100%は理解出来ない。でもちょっとだけ、作者が伝えたいことを多めに受け取れた気がしたのだ。