自分にはできないことをできてしまう人に惹かれるということ
昨日は、今年の「縁巴堂塾」プロジェクトのふりかえり&次の展望を描くためのミーティングでした。
この「縁巴堂塾」自体、セミクローズドに開催しておりました。主宰者の声掛けにより、いつも会わない立場の方と会い、お話をする機会を得ました。ふりかえりの中では、それぞれがゲストのお話を聴く中で、深く感じるところがあり、それぞれの自己変容のきっかけになったことを伺うことができました。いろいろな社会問題や関わる人の話を直接聞く、接することを通じて、選挙に初めて行った!という声も若い方複数人からきくことができました。
これってすごいことです。活動家の世界線がちがう世界線と混じった。普通の会社員としていきているひとたちが、仕事の一環として別の世界と混じることとなった。そんな空間をつくりえたということに驚きます。自ら選んでではなく、仕事の一環としてくることじたいが、化学反応の始まりになります。
一方、私はいつも事務方として円滑に回ることに気を取られており、あまり個人としての受け止めをしていなかったということに気づきました。事務方として参加するときは参加者の満足度・その場の目的が達成できるかを重視するから、自分の感性は置いてきぼりになっていたのは今になるともったいなかったかもしれません。
ふりかえってみると、全然合理的ではない、行き当たりばったりの場でした。別の言い方をすると、主宰者が、この場やご本人の活動・仕事を通じて、都度都度の出会いから方向性を見出していく探し当てていくための紆余曲折だったのかもしれません。合意形成をしてガッと進む組織、とは違う動きでした。理解しにくいものではありますが、最終のアウトプットを見ると、これはこれで意味のある時間だったのだと感じているところです。私にはできないことをしてしまう人(たち)なのです。そういう出会いがあるんですよね、この界隈には。だから合理的・効率的ではないと言って、切り捨てられないのです。
その一方、資源を配分する力を持った人たちには感覚は届かない。でも、この場は必ずしもそういう人たちを必要としているわけではない。複雑な状況であります。