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【画廊探訪 No.038】凍結した時が揺らめく石の中で ――中村馨章作品に寄せて――

凍結した時が揺らめく石の中で―――中村馨章作品に寄せて――
襾漫敏彦
 石材を扱う作業場は、幼少の頃の遊び場であった。其処に置かれていた磨き上げる前の石の表面、それが、日本画の岩絵具の印象である。

 中村馨章氏は、無音の世界で行きている。その中で、美は表現を求める。彼は、単色に近い色彩を基本として、色の深みで形を描く。そのモチーフは、蝶、蛟(みずち)、古代の蜥蜴といった人と言葉を交わさぬ神の創造物である。アーカンソーの如き葉と共に、色のうねりで象(かたど)っていく。

 瞬く間に、姿を転変させる蝶、肉体の蠢(うごめ)きを鱗の輝きに表す回帰の象徴でもある蛟。時間の檻に閉じ込められ古代の姿の儘の蜥蜴。それは、変化と回帰と永遠でもあり、桎梏(しっこく)と運命と滅亡の象徴かもしれない。それらは、緑の葉の影法師と共に、灼かれるように岩の色の激流に投ぜられる。それは、鉱物と植物と動物を変容させる溶炉の如きである。

 その灼熱の変容は、しかし、切り出された岩の表面の向こうの世界であった。情熱、激動、渇き、飢え、心を捉え縛る執着が、岩の向こうに封じられているのである。それは、大理石の表に浮き出た化石のようなものである。叫びや呻き(うめき)といった声は、石の断面で、スッパリ切断されているのである。その無慚な切断、それは対話の間に切りこまれた「離」であり、無音の世界を形づくる一枚のカーテンである。

 とはいえ、音の溢れる世界に生きる我々には、仮構でしかない。しかし、音は我々を交わらせているのか。荊棘の蔓は、石でできた時の牢獄に我々を縛る鎖なのか、再生へと導く王冠であるのか、沈黙に問うしかない。

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中村さんは、今は、海外留学中です。WEBSITEは、はっきりしたものはないのですが、ネットで画像はみれます。またFACEBOOKにも時々投稿してます。

補聴器がかなり改善したとか聞いています。いま、画風がかなりかわったかもしれません。

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