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【画廊探訪 NO.111】空隙で綻ぶ無碍なる心―――art Gallery OPPO 『佐野紀満展に寄せて』――――

空隙で綻ぶ無碍なる心
―――art Gallery OPPO 『佐野紀満展に寄せて』――――
                           襾漫敏彦
 昔、縁日の出店で、「型抜き」というのがあった。澱粉を固めた薄い板状の小片に、溝を掘った絵が描かれている。小さな金属の針で、溝をつついて、中の絵を欠けることなく削り出せたら景品と換えてもらえた。縁日や祭、紙芝居の世界では、ひとつひとつの色が自分のリズムを奏でて存在している。僕等は、その隙間に開く余白に心を遊ばせていた。
 佐野紀満氏は、造形的な日本画の作家である。彼は、画面の領域を区分けして、和紙や膠、胡粉を使い、それぞれの部分を盛り土するように厚みをつくっていく。そこに原色をおもわせるような明確な色彩をつけていく。その意匠は、日本人にとって身近な動物達であり、懐かしい自然のイメージであり、一見すると花札や色彩を施した欄間のようでもある。
 日本画には多くの源流からの水脈が流れこんでいる。仏画から来たであろう絵巻物はいうまでもなく、下れば屏風絵、襖絵、花札、錦絵。私は思う。日本の表現の伝統の中に、見る者が安住し、想いを遊ばせることができる空白がある。
 はじめに言葉ありきと西洋では言う。その世界では、主語と述語があり、それは「である」「でない」という繋辞、コプラでつなげられている。コプラは、命題を口にするものの判断を示すといわれる。それに対して映画では、予告なしにカットという形で場面が置きかわる。これは、コプラの不在であり判断の不在である。その為、映画のカットには、判断を見る者にゆだねる効果がある。
 佐野氏の作品は、形と色の主張が明確なため、かえってその間に空白が生まれる。その空白が深いほど人間くささ、ユーモアが生じる。それは、鳥獣戯画に微笑む伝統に通じる。このことは、領域の上に重ねられている丁寧な仕事によって更に深められていた。

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佐野紀満 WEB SITE
【norimitsu sano website】
http://www5f.biglobe.ne.jp/~norimitsu/

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