ほんのしょうかい:村瀬学:『鶴見俊輔』〈『思想の科学研究会 年報 最初の一滴』より〉
村瀬学:『鶴見俊輔』(言視舎)
(2017年2月の「集団の会」の課題)
まず、僕は鶴見俊輔を、知らない。知らないままに、思想の科学研究会に入ったといっても過言ではない。
そういった「知らない」を前提に踏まえて、この本を「鶴見俊輔の入門書として読むには、不向きかもしれない。何故なら、著者は「一般に知られる鶴見俊輔・像」と「実像としての鶴見俊輔」との間のズレを起点に、この本を書いているからだ。研究会員の中で、親しみを込めて「鶴見さん」と呼ばれるその人柄を知らないままに読むなら、ズレがズレとして把握できないので、そのまま読み進めるしか
それでも、著者はこのズレを意識せざるを得ない「鶴見俊輔」があったようだ。冒頭で「わかっているようでいて、わからないところ」と著者に語らせる人物像。それは、鶴見さんの多弁さが目くらましになって、かえってわからないところを増大させているという認識。この認識に関しては、おそらく間違ってないと思う。会員たちの語る「鶴見さん」が、多面的でそれぞれに、「行動的」あるいは「穏やか」である。「激高する人」であったり「思索の人」であったり「おどけた冗談を言う人」であったりするのだ。しかもその全てが「魅力ある人」と締めくくられる、なかなかの人物だ。
だが、著者の「貴種」と言う言葉への強いこだわりには、間違いとまで言わないまでも、何かひっかかりを感じてしまう。たしかに日本有数の名家に「後藤新平の孫」として生まれたその環境は、彼の人格形成に多大な影響を与えたのは間違いないだろう。だがこの本の帯にある「鶴見俊輔が生涯を費やしたのは己の貴種との格闘だった」とは、一面的すぎはしないだろうか。鶴見家のような特権階級ではなくとも、伝え聞く武家出身の家庭の在り方にも共通する厳しさや傲慢さ。それは戦前の日本には、程度の違いはあれども空気として散在したようにも思える。現代の視点で見ると「貴種」と言う言葉は、語感の美しさとは裏腹に「ローカル・閉鎖的」で、普遍には程遠く「一時的な空威張り」で「はかない幻想」にも思える。むしろ時代の中で「貴種」にとらわれ続けたのは後藤新平や鶴見愛子だったのではないか。そこには自由も幸福もないように見える。
鶴見さんは、渡米した若い時期に「貴種と言う幻想」からの脱皮に成功したように思える。この本に書かれる「日本語を失う体験」や「プラグマティズムとの出会い」が、幻想からの脱皮を可能にしたと思える。鶴見和子が言う「生まれ変わり」がこれにあたる。
この本に、プラグマティズムは「相互に作用する働き」とある。一方通行ではないあり方は、多様性の広がりは、鶴見俊輔に自由と幸福を与えた。一度得た自由と幸福を、彼は生涯手放さなかったのではないか。そう思うとあの「鶴見さん」が、今なお僕たちを圧倒し続けるのにも、納得がいくように思える。「貴種」を脱ぎ捨てた後半に、面白味を感じた。村瀬学さんと、対話しながら鶴見俊輔の人柄を推し量る・・・そんな一冊であった。(橘 正博)
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